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元気体質からのhappyブログ

元・虚弱体質の30代主婦が元気で健康な体を手に入れた先のhappyを味わいつくすブログ。
2018年3月に第一子出産しました。

胎盤遺残についての情報って少なすぎない?

 

 

 

死産後の胎盤遺残で引き続き約3~4cmの胎盤がお腹にあります。

 

そして恐らく癒着しているとのことで、その部分の子宮壁が薄くなっており、

手術はしてみないとどうなるかわからないと。

削り取るような形になるので、大量出血になった場合に塞栓術が間に合わない場合は子宮摘出だと。

 

 

症例も少ない地方の総合病院で、もはや頼れるのは先生一人。

 

子宮を取るのだけは嫌だ。

不妊治療を終える決断はしたけれど、子どもを産まないと決めたわけじゃない。

 

 

…事実を受け入れるのにかなりの時間を要しました。

 

 

 

死産後7000あったhcg。

5カ月でようやく0になり、その頃からようやく出血がない日が増えてきました。

精神状態も比例して漢方を飲まずに眠れるようになりました。

出血を気にせず運動もできるようになりました。

育児は楽しく大変な毎日です。

 

 

 

そしてやっと、手術を受ける覚悟ができるようになってきました。

 

 

家族となかなか会えない入院生活がトラウマで、コロナがある間は妊娠も考えられず。

年齢的にもそろそろかなと思うので、子宮もお疲れさまって感じで。

3人家族の予定で間取り2LDKのマンションも買いました。

 

 

この9年ほど、

妊娠6回(不妊治療による妊娠4回、自然妊娠2回)。

心拍確認後流産2回。

化学流産2回。

死産1回。

 

 

 

複数回の流産死産時の手術と、出産時の付着胎盤の処置により、私の子宮には細かい傷が残っているはず。

おそらくそこに胎盤ができてしまうとまた癒着して遺残になるんだろうなと。

 

胎盤遺残については個人で調べまくった結果、高度不妊治療経験者、流産手術経験者の多いこと多いこと。

 

これまでは稀な症例だったのでしょうが、これから症例は増えていくのでしょうね。

病院の先生によっても方針はまちまち(待機or手術)なので、標準治療?みたいなものが確立されていくといいなあと思います。

 

 

私の胎盤遺残はまだ解決していませんが、ここまでも本当に大変だったー。

妊娠初期から出血続きでずっとナプキンがお友達💦

生理以外で出血するというのは本当にビビるしストレスです。

 

 

最近は、自分は妊娠には向いていないと思ってます。

まさかの自然妊娠で順調に生まれた娘は我が家のミラクルガール☆

 

あ、仕事にも向いていない。(苦笑)

 

もう、悠々自適でのんびり主婦生活が一番向いてるってことにしよう。

そんなことを考えています。

 

 

母とは距離が近くなるとストレスが増える。

 

一番大きな感謝する存在ながら一番大きなイライラする存在。(苦笑)

 

 

 

久しぶりに娘(1歳11か月)がティッシュを延々と取り出す遊びをした。

 

変かもしれないが私は娘のこの光景が大好きだ。子どもを授からずに苦しんでいた頃にずっと夢見ていたから。

 

2歳近くになった娘は取り出すのも上手で速くなっていたので、成長したなあと嬉しくなった。

 

 

ところが一連の動画を観て母は、「あんなに取り出させて。やめさせることを教えないと」と言った。

私が止めなかったことをたしなめた。

 

 

私は好きなようにさせて見守ることが、娘の好奇心を育て、発達にもつながると自分なりに考えてそうしている。

娘は全体的に発達遅めなほうなので、ティッシュ遊びがダメでままごと遊びはいい、なんて区別も理解もできないと思う。

(さすがにこれが5歳になっても遊んでいたら間違いなく止める)

実際、好きなだけ取り出したら娘も満足してすぐにやめ、しばらく飽きてやらない。だから一度満足するまでさせた方が私も楽だし娘も笑顔でいられる。

 

そしてティッシュ遊びは危険でもない。出したティッシュは使えばいい。

危険なことや人を傷つけるようなことは0歳からでも厳しく言っているけれど、それ以外は基本的に何でも好きなことをしてもらいたい。

2歳。今の時期にたくさんの充実した「できた」を経験させてあげたい。我慢を覚えるのは娘の成長を見ながら適度な時期でよいと思っているし、「ダメ」は本当にダメなときだけ使いたい。

 

…と説明したところで母は納得しない。

モンテッソーリ教育の本でも読んでほしい。(笑)

 

私は子どもの頃からずっと母に褒められるのが好きで、母の思うように行動してしまうことが多かった。

これは今でも少なからずあり、考え方が違うときに割り切るのは本当に苦しい時がある。

 

 

 

また、娘はお肉好きで大きなハンバーグでもナゲットでもよく食べる。

しかし野菜は食べない。牛乳は私が嫌いなのでほとんど飲ませたことがない。

これについても母は「どうにか何でも食べるようにならないと」と言う。

 

 

つい先日の健診で身長体重も問題なく、野菜を食べないことも牛乳を飲んでいないことも全く問題ない(歯もまだ生えそろっていないし、十分食べれている。牛乳はヨーグルトを食べているからそれで大丈夫だそうだ)と言われている。

それにもかかわらず、である。(^^;)

 

そのうち食べるようになると思っている。

なぜなら、すりおろした野菜はほとんど食べるから。牛乳もそのうち飲む機会があるだろう。

そして今食べなくても問題ないと思っている。

何でも食べれるならそれは良いだろうが、世の中、好き嫌いが全くない人のほうが珍しいのでは?

何でも食べなくったって大部分の人が大して問題なく生きている。

 

 

 

また、娘は靴を自分で履く練習を頻繁にしている。

先日初めてベルトまで一人で留められるようになった。

娘も嬉しかったらしく、何度も履いて見せた。ただ、見せようとするせいか、玄関ではなく部屋まで靴で上がってきてしまう。

そのことについても「なに部屋で履かせてるの。靴の裏はちゃんと拭いてるの?」と。

 

 

娘は私たち親に見せたいから部屋に上がってしまっているだけだ。

「お部屋が汚れちゃうから脱ごうね」と言えばちゃんと脱いで玄関に直してくれる。

気持ちが先走ってしまうだけだ。

今は部屋が汚れることは大きな問題じゃない。自分で靴を履こうとして、履けるようになったことが大事なんだ。部屋は拭けばいい。

 

 

 

私が聞きたかった言葉はそれじゃない。

ティッシュを素早く取り出せるようになったことを喜んでほしかった。

大きなお肉を娘が一人前に食べれるほどに成長したことを喜んでほしかった。

靴を最初から最後まで自分で履けるようになったことを喜んでほしかった。

 

なぜ母はいつも否定から入るのだろう。

子どもの頃はよく褒めてくれた母。もういないのかなーなんて。

 

私は娘にとってどんな母になるのかな。

残りの凍結胚12個、全て破棄することにして署名を済ませました。

 

 

涙が止まらなかった。

 

たくさん受精してくれて、2人も3人も望めるかもしれないと、淡い期待を抱いていた。

夫とも喜んだあの日のことを今でも覚えています。

 

何事もなく産まれてくれるのなら今でも欲しい。

 

娘はいつか弟か妹が欲しいと言うこともあるだろう。

 

 

でも本当にもう耐えられない。

 

運よく妊娠できても出産まで無事か?産後は?

高齢による諸々のリスクは他人と同じだとしても、出血に怯え、胎盤遺残に怯え、流産死産、大量出血…

家族を大きく巻き込む事態になる可能性は否定できない。

 

 

まだすっきりとは言い切れない。

悲しさと悔しさがある。どうして?って。

 

 

治療による妊娠は全て悲しい結果に終わり、子宮にも負担が残った。

結果的に娘は自然妊娠で授かり、不妊治療して良かったのかどうかはわからない。

しなくても授かれたかもしれない。

わかっていれば治療などしなかった。

 

 

30歳から8年。長かった。私には長すぎた。

思い切り子育てを楽しむ予定だった30代は不妊治療とともにあった。

 

36歳で娘を授かったありがたさは言葉では言い尽くせない。

 

 

夫には心から感謝しかない。

両親も義実家も優しかった。

 

 

これから元気になって目いっぱいの子育てと恩返しがしたい。

お金と時間を娘や家族が笑っていられることに費やしたい。

 

 

 

いつか娘に尋ねられたらこの日の気持ちを話せるように、ここに記しておこうと思いました。