スーパーGT 1998
いよいよ08年のスーパーGTが最終戦を迎える
今年はまったく参加できなかったが大好きなレースだ。
ちなみに私の勤めている会社は10年前からこのスーパーGT(以下GT)に参加している。
と、言ってもドライバーやメカニックとしてではなく
チームスポンサーとしてレースクィーン(RQ)をだしているのである。
私自身は02年からRQコントローラーとしてレースに参加し、彼女達と接してきた。
せっかくのブログなのでチームや彼女達との思い出などを書いてみようと思う。
私自身がこのGTを初めて生で見たのは98年の富士スピードウェイだった。
そのときは特に興味も無かったのだが、
「自分の会社がスポンサーしているんだから一回くらい見に行ってみるか」
という軽い気持ちだった。
TVのF1中継などでしか知らないピットの内部に入って間近で車を見て設備を眺めていると
どんどんテンションが上がってくる。
決勝レース当日、天気は雨。時折雨が上がるが、そうするととんでもない霧。
手をまっすぐに伸ばすと指先がぼやけるほどの濃霧の中、レースがスタートした。
ピット内でモニターを見ていた私はフとコース上を何かが飛んでいったような気配を感じた
「あれ?今何か・・・」
その次の瞬間、コース上がオレンジ色に光だした。
「何だ!?」「クラッシュだ!」「どこのチームだ!?」「あぁ・・・やっぱり起きちまったか・・・」
と騒いでいたクルー達が一瞬にして固まる。
「ウチだ!太田だ!」
消火器を持って飛び出していくクルー達。炎は観客席まで届き、事故の重大さを物語っている。
それから少しの記憶が飛んでいる。
気がついたときにはクルーやセカンドドライバー達がやり切れない表情をして太田選手の心配、
サーキットオフィシャルへの怒りを口にしていた。
(そのときのことは太田選手の著書「クラッシュ」やウィキペディアなどをご参照いただくといいと思います。)
とにかく私の初めての生レース観戦は終わった。
不謹慎だが、生の迫力をこれほど強く感じられるとは・・・
それもこれも太田選手が無事に生還なさったから言えることだが。
チーム名「YellowMagic with NOMAD」 参加車両はフェラーリF355GT
ドライバーは太田哲也さん。

