はじめまして。
さなといいます。
埼玉県さいたま市で、猫(男の子)二匹と暮らしています。
この度、個人ボランティアを始めることにしました。平日は普通に会社員として働いていて、猫を移動させるのに便利な車も持っていません。できることが限られています。それでも、1匹でも多くの猫ちゃんが里親様の元で幸せに暮らしていけたらな、という思いがあります。
よろしくおねがいします!
……ここから、なぜ、保護するのか?ということも書いていますが、一番初めのブログが超長文かつ真面目なので、おも~くなってしまいました💦
ご興味のある方のみお読みください。
私は本来、猫好き!というわけではないと思います。猫グッズを集めてる!とか、猫カフェに通いつめてる!とか、絶対猫派!とか、そういうタイプではありません。「保護するなんて、どんだけ猫が好きなの」と言われたこともあります。でもしっくりきません。猫は……もちろん好きだけど、恐らく一般的な「猫好き」に分類されるほどではないと思います。(表現がとても難しいです)
動物は好きでした。実家では幼い頃から犬がいたので、完全に犬派。しかも中型~大型犬ばかり飼っていたので、大きい犬ほど好きでした。
月日が経ち、ワンコ達は亡くなり(長生きしてくれました)、私は20代半ばで結婚をしました。
それまで、ペットが欲しいねと「いつか」の夢の話をしていたペットを飼おうとようやく決めたのは結婚後半年くらい経った時でした。主人が猫と生活してきたことと、犬は毎日散歩は難しいと判断し、猫を選びました。
血統書付きに興味がなかったので、都内で行われていた保護猫の譲渡会に行きました。猫の抱っこの仕方など全くわからず、3ヶ月にも満たないまぁるいシロキジの女の子に一目惚れし、その場で予約をして帰りました。帰り道、期待の反面、生まれて初めて自らの意思で生き物を飼う、その緊張感がズシンとのしかかりました。
譲渡日までに、ご飯やおもちゃを準備して、いざ当日。保護団体の方から「風邪を引いたみたいで延期にして欲しい」と連絡が入りました。その後、何かの数値が悪く、経過観察が必要なので譲渡できなくなりました、とお断りのご連絡も。白くてフワフワしたあの子と暮らすのだと思い浮かべていた夢の生活は泡となって消えました。
その時に「他にも子猫がいますよ」と紹介されたのがサビ猫の女の子でした。生後5~6ヶ月くらいで、臆病な子でした。白っぽい子猫との生活を妄想していたので、突然の、黒っぽいしかもサビというまだら模様の猫の登場に悩んだ覚えがあります。しかし、この子を引き取ることにしました。
現実は甘くない。あれだけ楽しみにしていた動物との生活なのに、トライアルの時に初めての室内での動物との生活にストレスがたまりすぎて本気で悩みました。子猫なのでイタズラしまくり、テレビの裏に隠れたり、思い通りの動きをしなかったり。今となってみればそんなこと当たり前なのに、当時の私は全く余裕がありませんでした。トライアル終了日、泣きながら「飼えません」と保護団体の方にメールを送りました。もう情は湧いていて、離れたくないのに。離れたくないのに、自信がなくなってしまったのです。泣きながら、ごめんねと謝りました。何もわからないその子は、私の伝う涙の動きに反応し、手を顔にぺと、と付けてきました。飼えないって言ったのに、離れたくない。でも飼う自信がない。その日は一晩中一緒にいました。朝、やっぱり「飼います」と連絡を入れました。離れたくない気持ちが勝ちました。「飼います」と連絡を入れたら心が落ち着きました。同時にこの子はこれから10年以上、私たちのそばにいるのだと。命を預かるのだという覚悟も、
その後、正式譲渡になりました。4月の上旬、菜の花が咲いている季節でした。
その子は臆病ではありましたが、当時、ほぼ家にいた私にはすぐに慣れました。ご飯を欲しがる時にふみふみしたり、私が寝転がると二の腕を枕にしに寝たり。その子に対する私の気持ちは、猫ではなく完全に子どもでした。可愛い可愛い娘でした。「こでまり」と仮名をつけられていたので、「てまり」という名前に決めましたが、すぐに「てま」に変更しました。「てまちゃん」と呼ぶと、返事をしてくれるようになりました。
サビ猫、というと、汚い猫と言う人がいるようですが、その独特の柄が可愛くて、顔はほぼ黒なのに顎の下だけ茶色なのがたまらなくて、サビ猫が大好きになりました。
平穏な日々が過ぎ、6月頃。急にご飯を食べなくなりました。少し警戒しているような体勢で、いつもいないような部屋の奥にうずくまっていました。明日病院に行こうかな、と思っていたら、口呼吸を始め(猫はすごく苦しい時しか口呼吸はしません)ごろん、と横になった瞬間に慌てて体勢を変えた様子を見て、すぐに病院へ行くことにしました。
日曜だったので、いつもの病院が空いていなく、初めて行く病院に行きました。お医者さんは「……呼吸がおかしい。恐らく水が溜まってる。レントゲンを撮ってみるけど、レントゲンを撮るときに横の体勢にします、そのまま呼吸が止まるかもしれない状態です」と言いました。
無事にレントゲンは撮れたものの、呼吸はどんどん苦しくなる一方。救急病院に行ってくださいと言われ、その時車がなかった私達は川口市にある電車で向かいました。苦しいだろうに、てまは必死に訴えるように鳴いてました。
救急病院では長時間検査が行われました。
言われたのは、「胸部に膿が溜まり、それで肺を圧迫している。注射器で取り除いたら呼吸は少し楽そうになりました。でも溜まっている膿がとても粘着質で増えていくし注射器で取り切れない。中を洗浄しながら取り続けますが、手術が必要です」
手術を、することになりました。
手術をし、経過観察。「膿は増えていないのでもう大丈夫でしょう」と言われて救急病院からかかりつけの近所の病院に転院。それからも通院はしましたが、大丈夫だと言われて安心したのが夏頃です。
秋。
また呼吸が苦しそうになっていたので、救急病院ではなく、かかりつけの病院へと行きました。レントゲンを撮ると、「膿が溜まってる」……と。
「再発したのか」と思いました。なにせ、原因がわからないのです。交通事故にあったとか、それくらいの衝撃がないとこうはならない。保護団体の方が保護する前、野良時代に何かぶつかって既に膿が溜まっていて、徐々に悪化していったのか、家にきてから発症したのかわからない。
膿を取り除きながら、様々な検査をしました。エイズ白血病検査は陰性でしたが、遺伝子検査をしてみようとか、寄生虫が原因かもしれないからとことん調べてみようとか。原因がわかれば治療法がわかるのに、何をやっても問題はなく、原因不明のままでした。
お金はすごく、かかりました。1週間の入院で10万円。手術で20万円……諸々。でも、いくらかかってもいいから完治させたい気持ちしかありませんでした。
膿が減ったり、溜まったり。入院をして治療をして、大丈夫になったら退院して。年明けからは入退院を繰り返しました。
そろそろ我が家に来て1年になる春。やはり手術をしましょうということになりました。粘着質の膿が内臓に張り付いていて、開胸しないと取り切れないだろうと。お薬でも治療はしていましたが、膿は増える一方。悩んだ末、手術をすることに決めました。お見舞いに行くとふみふみし、甘えてくるうちの子は、酸素室にいたのでとても元気そうで、ごろにゃんとお腹を見せては可愛くて鳴いて、家に来てから半年以上病院通いだけど、これでようやく終わるかな……、という気持ちでした。
手術の日、事前検査。膿が減ってる……とのこと。このまま膿が少なくなればいいけど、今までも減ってもすぐ増えてたし、予定通り手術しちゃいましょう、ということになりました。
成功する確率は80%でしょう、と言われて、不安でしたがこのまま常に膿が出続けて苦しむのはつらいだろうと、飼い主の私達も手術をお願いすることにしました。
手術が始まり、私達は一旦帰宅しました。「麻酔から醒める時間もあるから、来てもらうのは2時間後くらいかな」と言われていた予定時刻より1時間ほど早く電話が鳴りました。
いつもより少し暗い、お医者さんの声でした。
「手術は上手くいったんですけど、終わってから咳込んでしまって、それで膿が器官に入ってしまったようで……今すぐ来てもらえますか」と。
私は「それは、危ないってことですか」と問うと、「……そうですね」と返って来ました。
その時のショックはよく覚えています。脳に酸素がいかない感じ、腕がうまく上がらない、呼吸は勝手に過呼吸のようになり、視界の四隅が暗くなる感じ。初めての感覚。必死に着替えて、震えながら夫と無言で病院に向かいました。病院に着くと、手術室で心臓マッサージをされている、我が子のように思っている愛猫。私は耐えていた糸がぶつりと切れ、パニックになり、人目もはばからず大泣きしてしまい、まともに話ができなくなりました。お医者さんは夫に状況説明をしていました。
「心臓マッサージをしていても心拍が弱く、心臓マッサージを止めたらそのまま亡くなってしまう。可能性は低いのですが、生き残れても障害が残る。見てください、少し心臓マッサージを止めると心拍が止まりそうになるでしょう……もう自力では、難しいと思います……どうされますか」
飼い主の許可がないと心臓マッサージを止められないようで、どうするのか……、というか、「心臓マッサージを止めていいか」の確認をされました。もう、頷くしかありませんでした。私たちが病院に着いてから15~20分ほど経っていたと思います。人間の娘はいませんが、猫を通り越して本当に子どものように思っていたてまは、心臓マッサージを止めるとゆっくりと心臓を止めていき、すぐに亡くなりました。
診察台に運ばれてきて、どんどん冷たくなるてまに、「なんで」「てまちゃん」と繰り返し問いかけていたと思います。夫まで大泣きです。帰宅して、もう動かないてまに「てまちゃん、愛してるよ」と繰り返し何度も何度も話しかけて。
夫は次の日仕事を休み、お葬式をしました。業者さんに頼んで火葬してもらい、未だにお骨は私の手元にあります。
あれだけ悩んで引き取って、娘のように可愛く愛しく感じていて、大好きで大好きで、これから私たちが40歳になってもそばにいてくれるんだな、と思っていた子が、あと2日で我が家に来て1年、という日に亡くなってしまいました。菜の花の季節に来て、菜の花の季節に天国に行ってしまいました。
それからの私は……あまり覚えていません。辛くて辛くて、どう生きていたか覚えていません。その頃は主に在宅で仕事をしていましたが、たまに会社に行って仕事をしていると気が紛れるものの突然悲しみに襲われて会社でこっそりと泣くこともありました。今までの人生で一番辛い、と思いました。どうやって生きていけばいいんだろう、死んでもいいや、と思う瞬間すらありました。大袈裟でしょうか。それほど……大事だったのです。私の中で、ほとんどを占めていました。
そんな子が、まさかこんなにすぐに死ぬとは思わなくて。私たちのところにきて殆ど入退院繰り返していて、本当に申し訳なかったし、辛い思いばかりさせてしまってごめんねと、そういう気持ちが消化することができずに、毎日のように泣いていました。あの鳴き声も、手触りも、もう聞こえないし、触れない。
今こうして、簡易的にですが思い出しても、辛くて辛くて涙が止まらないし、普段は考えないようにしているだけで本当は全然立ち直れてなんかいないんだと再確認します。闘病中の様子や、私たちに甘える様子を思い出すと辛さで気が狂いそうになります。
私が世界で一番愛を注いだのは、てまでした。
私の中で、てまを長生きさせられなかった後悔が強く残っています。生き物なのだからいつか命が終わるのはわかっています。それでも、どうしても、長く幸せにしてあげたかったのです。他の方に「さなさんのところで人生を終えられて幸せだったと思うよ」と言われて、腑に落ちる所もありますが、心のどこかでそれでも足りないような、もっと色々してあげたかった後悔が残っているのです。
保護団体の方に言われました。「野良猫は悲惨な死を遂げる子も多くいます。てまちゃんは幸せだったと思います」
だったら、いつか私は自分の身を投げ打ってでも……と言うと大袈裟ですが、てまを助けられなかった分、猫ちゃんを助けたい、と思うようになりました。
…実際に保護するまでに何年もかかりました。てまが元気だった頃に保護猫を二匹ひきとっていたので(男の子二匹、今一緒に暮らしています)その子達の世話もあるし、私の家庭環境も変わり、一人暮らしになりました。数年猫と暮らしただけで、猫の生態を実はよく知りません。母猫といる子猫は奪ってもいいの?子猫の飼育方法は?里親さんが見つからなかったら?未だに答えが出ていないこともあります。ifでしか考えられないことが多いのです。……猫の存在を知っていながら行動に移せない期間を経て、近所の方にエイっ!と背中を押されて保護した初めての子猫たち。保護してからも不安だらけです。でも、1匹でもいいから外で死んでしまう子を減らせたら。人間のそばで、私がてまを愛したように、愛情を注がれて生きていける猫が増えたら。そう思っています。
端折っていますし、まとまりがなく、わかりづらい部分もあるかと思います。もし私にもっと力があれば、規模を大きくしたいと夢がありますが、保護団体の方のようにはできません。今は会社勤めをしながら個人でできる範囲で頑張っていこうと思います。
以上が私の「どうして保護するのか」の理由です。根底には、てまへの愛があります。