ドラマ「6秒間の奇跡」
を見ていてふと思った。
「私」というものは無い
と聞いたことがある🙄
たしかに
「私」というものは
「無い」のかもしれないと☺️
ドラマ第4話
主人公望月星太郎は
個人向けの花火を打ち上げる仕事を受け入れたくない。
そんななか
個人向けの花火を打ち上げてほしいと依頼してきたお客さん片山は
顔見知り程度の相手に
花火付きで告白しようとしている。
そのお客さん片山のことを星太郎は
「風変わりで好感度が高いとは、けっして言えない感じ。思い込みが激しいというか、妄想がすぎるっていうか」
「花火を打ち上げれるのは嬉しいけど、片山さんの告白が失敗した時、花火のせいにされたらたまんない。花火だってかわいそうだし」
という。
それに対して亡くなった父親が
「文句のつけようのない圧倒的な花火をあげりゃいいんじゃないか」というのだが
星太郎は
「片山さんに通用するかわからないよ。あの人むちゃくちゃ思い込み激しいから」と。
父親がぼそり
「どっちが思い込みが激しいんだか」
たしかに!
星太郎自身も
よく知りもしない片山さんを
「片山さんは思い込みが激しい人」
と、思い込んでいる。
⭐️星太郎が思う片山さんと
片山さん自身は違う。
⭐️告白相手の女性からみた片山さんも
片山さん自身とは違う。
見る人、接する人によって
片山さんはそれぞれ違う。
片山さんは、片山さんなのに。
みんなが思っている片山さんはどれも違うし、
本人が思ってる片山さん自身(片山さんの本質)とも違うのかもしれない。
これと同じように
私も父や母、姉妹のことを
「こういう人だ」と思っているのも
思い込みなのかも知れない。
あくまで
自分から見た父、母、妹であり
真実ではないし
固定されたものでもない。
そして星太郎が
「片山さんは思い込みの激しい人」と思っていて
実は「そう思い込んでいる星太郎自身も思い込みが激しい」と言うように
私が父、母、妹の見方にも
自分が現れているのかも知れない。
そして私自身も
「私はこう言う人間」と思っていることも
思い込みなのかもしれない🙄
ということで
「私」という
固定されたものは
無いのかもしれないと思った☺️
そして
「私」と言うものが無いのだから
同様に「あなた」というものもない。
「あなた」とは、私が思って見て
私が創り上げた「あなた」だから。
望月星太郎が、片山さんの中に現れているように
「あなた」とは「私」であり
私の中の「あなた」は、わたしである。
現時点での私が思う
あなたはわたし
わたしはあなた
である
明日は、また別の意見をいっている
私がいるかもしれない☺️
