師匠が言いました。
あなたの信念は何ですか?
私はそのときは答えられませんでした。
夢もないし、目標もなくて、何の為に頑張ればいいんだろう?
そう思っていたときに、必要なのは「信念」だと教えてくれました。
やりがいや生きがいがなければ人は頑張ることをやめてしまう。
嫌なことがあったり、思い通りにならなかったときに、楽な道を選んでしまう。
そんなときにこれだけは守りたいもの、貫きたいもの、それがある人間は強くなれる。
そう教えて頂きました。
私は自分の人生は自分で選んで来たと思っていて、そこに後悔したことはない。
だから、そのときに選んできた理由が必ずあるはずで、それがもしかしたら私の信念になるんじゃないかな。そんなことを考えました。
私はよく、「強くなりたい」と願うことがあります。
思い通りにならないとき、寂しいとき、素直になれないとき、、、
誰かのために笑うことができない自分がすごく嫌になります。
小学生の頃、いわゆる親友という存在が居て、
休み時間や放課後はいつもその子と遊んでいて、
でも転勤族で、その子は転校して行ってしまいました。
1年生のときも、2年生のときも、3年生のときも、4年生のときも、、、
もう笑っちゃうくらい、仲の良かった子がいつも転校して行ってしまいました(^o^;)。
春になる度に、また1人になって、強くなるんだって、自分に言い聞かせていました。
でも、また次の年には新しい友達ができて、また新たな出会いがたくさんありました。
だから、もっと出会いが欲しくて、新しい世界を見てみたくて、
高校は友達が誰もいないところを選びました。
周りから寂しくないの?って言われたけど、そのときは楽しみで仕方なかった。
出会いが私を強くしてくれる、そう思っていました。
そんなときにいつも衝撃的な出会いだったのは、笑顔と感謝を絶やさない人たちでした。
アルバイトで出会ったラーメン屋の大将は、店に泥棒が入ったとき、
「泥棒さんには感謝しないとね。これでまた一から頑張れる。」そう言って、
愚痴一つこぼさず、大笑いしていました。
そのときから私はただのアルバイト先だと思っていたこのお店を、自分のホームにしようと決めました。
私が大尊敬する居酒屋の社長は、くしゃっとした笑顔で笑う人で、
夢と感謝を大切にしていて、リーダーとしての大切さをたくさん学ばせてもらいました。笑顔が見たくて、何度も講演会に足を運びました。今でも憧れの人です。笑
YOSAKOIサークルの初代代表だった女性も、ゼロから一を作り出す粘り強さと弱さに立ち向かう強さを持っていて、とにかくいつも笑顔で接してくれる人でした。YOSAKOIが人を、街を笑顔にする。その素晴らしさを教えてもらいました。
「生きることは出会うこと」
講演会で出会ったある女性の人が残した言葉です。
その人はすごく笑顔が素敵で、優しさと信念に溢れ、最期まで命を輝かせて生き抜いた人でした。私もいつか母親になる日が来たら、彼女のように生き抜こうと心に誓いました。
バングラデシュでバッグ工場を営む女性社長も、笑顔が素敵な方で、
妥協しない厳しさと、信じ抜く強さを持っていて、それでいて人としての弱さも心得ているとてもしなやかな人でした。家族のように工場のスタッフを慕い、慕われる、私もいつかそんな仲間をつくりたいと強く思いました。
カンボジアで出会った子供達。どんな環境だろうと、どんな人が来ようと、常に笑顔で輝いている。私はこの笑顔を守れる仕事がしたいと思い、カンボジアに来ることを選びました。彼らが大人になっても、ずっと笑い続けていられるように、そのために仕事をしたいと思いました。
「笑顔と感謝を絶やさず、大切な人の笑顔を守り抜く」
私の信念は「笑顔」でした。
家族の前でちゃんと笑ってたかな。
職場で怖い顔して作業してないかな。
大切な人の前で笑顔で居れてたかな。
友達と心から笑い合えてたかな。
明日からまた強くなろうと思います。
今日はSuperflyの「愛と感謝」と、いきものがかりの「笑顔」を聞いて寝ます♪
Good Night☆
カンボジアはアツいです。
昨日の夜は、日本から来た経営者約30人の会食に
お邪魔させていただきました。
私の人生を変えた!
といっても過言ではない社長さんとの久々の再会でした。
居酒屋てっぺんの大嶋啓介。
笑顔と情熱と下ネタが日本一の社長です。w
大嶋さんとの出逢いは高校3年生の2月。
居酒屋てっぺんのドキュメントDVDがきっかけでした。
それまでの価値観がぶっとんでしまうくらい衝撃を受けました。
実際に会ったのは大学1年生の4月。
札幌で行われたアホ会というイベントでした。
もう4年くらいも前のことです。
それ以来、大嶋さんの講演会には何度も行きました。
完全にファンです。w
笑顔が本当に最高です。
会うと必ず「彼氏はいるか?」と聞いてきます。w
ネガティブになって相談メールすると、
超ポジティブメールを返してくれます。
本当に社長なのかと思ってしまうくらい、
子供心があってアツい人です。
昨日も久々に会えて、
エネルギッシュな姿にまた刺激を受けました。
そして昨日はずっと会いたいと思っていた社長さんにも会えました!
コニージャパンの小西社長!!
やっと会えたー!!
まさかカンボジアで会えるとは!!
私が去年入りたいと思ったソリューションという会社の社長さんです。
(カンボジアに行きたくて結局選考は受けなかったんですが…)
小西社長!なんであんなに面白くて人を惹きつけるんでしょう?
関西弁で、話すこと全て周りを爆笑させます。
想像通りアニキな感じでカッコ良すぎでした!!
アニキ達のおかげでこれからカンボジアはますます面白くなります。
私もこの輪に入っていつか一緒にビジネスができたら良いなーなんて思いながら、
この繋がりをこれからも大切にしていこうと思います。
「人生誰と一緒にいるかで変わる」
やりたいことできる仕事っていうのも大事だけど、
どんな人と一緒に働くか、それも非常に大事ですね。
私の経験上では、一緒に居てモチベーションが上がる人は、
「西田塾」に繋がってることが多いです。
あと坂本龍馬好きとドラッカー好きも多いです。
そーいう人は全国飛び回ってたりする人も多くて、
全国に仲間が居たりします。
そんな人と会うのが大学時代の私の人生勉強法でした。
そして私は、高校時代に既に師匠と呼べる人と出会ってました。
こーいうエネルギッシュでアツい大人達と出会えるきっかけになったのが、
高校時代、私の地元、
北海道千歳にあるラーメン屋でのアルバイト経験なんです!!
家から近いからというだけで働いたこの
ラーメン屋での繋がりが今も発揮されてます。
「ラーメンみのり」といういたって正統派なラーメン屋(のはず)なのですが、
かなり(良い意味で)ぶっとんだ大将と、
厳しさと優しさを兼ね備えた女将さんが居ました。
高校時代、てっぺんのDVDをくれたのもこの大将で、
今回私がカンボジアに行くことを報告したときに
小西社長を紹介してくれたのも大将なんです。
小西社長からカンボジア現地法人を任された、たかやんと出会えたのも、
元をたどれば大将なんですね!
そして昨日の会食では、
北海道から来た経営者の方も居て、
やっぱりラーメンみのりを知ってました。
カンボジアに来てみのりの話で盛り上がるとは…!
大将の人脈は本当にすごい!!
きっと大将も、ただのアルバイトだった私が
今こうしてカンボジアでご縁を繋いでるとは思わなかったでしょう。
出逢いは不思議なものです。
これからどんな人たちと出会い、
何をもって人に憶えられたいか、
これまでのご縁をもっと大切にしていこうと思います!
千歳に帰ったらみのりのラーメン食べに行きまーーす!!
昨日の夜は、日本から来た経営者約30人の会食に
お邪魔させていただきました。
私の人生を変えた!
といっても過言ではない社長さんとの久々の再会でした。
居酒屋てっぺんの大嶋啓介。
笑顔と情熱と下ネタが日本一の社長です。w
大嶋さんとの出逢いは高校3年生の2月。
居酒屋てっぺんのドキュメントDVDがきっかけでした。
それまでの価値観がぶっとんでしまうくらい衝撃を受けました。
実際に会ったのは大学1年生の4月。
札幌で行われたアホ会というイベントでした。
もう4年くらいも前のことです。
それ以来、大嶋さんの講演会には何度も行きました。
完全にファンです。w
笑顔が本当に最高です。
会うと必ず「彼氏はいるか?」と聞いてきます。w
ネガティブになって相談メールすると、
超ポジティブメールを返してくれます。
本当に社長なのかと思ってしまうくらい、
子供心があってアツい人です。
昨日も久々に会えて、
エネルギッシュな姿にまた刺激を受けました。
そして昨日はずっと会いたいと思っていた社長さんにも会えました!
コニージャパンの小西社長!!
やっと会えたー!!
まさかカンボジアで会えるとは!!
私が去年入りたいと思ったソリューションという会社の社長さんです。
(カンボジアに行きたくて結局選考は受けなかったんですが…)
小西社長!なんであんなに面白くて人を惹きつけるんでしょう?
関西弁で、話すこと全て周りを爆笑させます。
想像通りアニキな感じでカッコ良すぎでした!!
アニキ達のおかげでこれからカンボジアはますます面白くなります。
私もこの輪に入っていつか一緒にビジネスができたら良いなーなんて思いながら、
この繋がりをこれからも大切にしていこうと思います。
「人生誰と一緒にいるかで変わる」
やりたいことできる仕事っていうのも大事だけど、
どんな人と一緒に働くか、それも非常に大事ですね。
私の経験上では、一緒に居てモチベーションが上がる人は、
「西田塾」に繋がってることが多いです。
あと坂本龍馬好きとドラッカー好きも多いです。
そーいう人は全国飛び回ってたりする人も多くて、
全国に仲間が居たりします。
そんな人と会うのが大学時代の私の人生勉強法でした。
そして私は、高校時代に既に師匠と呼べる人と出会ってました。
こーいうエネルギッシュでアツい大人達と出会えるきっかけになったのが、
高校時代、私の地元、
北海道千歳にあるラーメン屋でのアルバイト経験なんです!!
家から近いからというだけで働いたこの
ラーメン屋での繋がりが今も発揮されてます。
「ラーメンみのり」といういたって正統派なラーメン屋(のはず)なのですが、
かなり(良い意味で)ぶっとんだ大将と、
厳しさと優しさを兼ね備えた女将さんが居ました。
高校時代、てっぺんのDVDをくれたのもこの大将で、
今回私がカンボジアに行くことを報告したときに
小西社長を紹介してくれたのも大将なんです。
小西社長からカンボジア現地法人を任された、たかやんと出会えたのも、
元をたどれば大将なんですね!
そして昨日の会食では、
北海道から来た経営者の方も居て、
やっぱりラーメンみのりを知ってました。
カンボジアに来てみのりの話で盛り上がるとは…!
大将の人脈は本当にすごい!!
きっと大将も、ただのアルバイトだった私が
今こうしてカンボジアでご縁を繋いでるとは思わなかったでしょう。
出逢いは不思議なものです。
これからどんな人たちと出会い、
何をもって人に憶えられたいか、
これまでのご縁をもっと大切にしていこうと思います!
千歳に帰ったらみのりのラーメン食べに行きまーーす!!
この1年半くらい悩み続けてきた進路のこと。
正直、選択肢は拡がる一方
それでも前よりは確実に何かが見えてきてます。
今は北海道に戻って働きたいなって思ってます。
前はむしろ北海道を出たいんだとしか思ってなくて、
1年前の今頃は特に「カンボジアで働きたい」ってことしか考えれなかった。
それがどういうことで、私はほんとは何がしたいのか、、、
わからないからこそ、それしか考えれなかった。
途上国から日本に輸出してるメーカーや商社、
インフラやプラントなどのプロジェクトを手がける総合商社やJICA、
去年受けてたのってそういうとこ。
バングラデシュではそんな企業の駐在員に実際に会えることも多くて、
なんかイメージと違ったっていうのが一つ発見できたこと。
駐在員になってカンボジアの発展に貢献したいっていうのは、
はっきり言ってかなり難しい。
だって日本のメーカがなんでそういう国に行くかって言ったら、
賃金が安いから。
賃金が高くなったら撤退してまた別の途上国へと移る。
バングラデシュには今、そういう「移ってきた企業」が増えだしてる。
もちろん新しく工場や拠点を作るのはすごく大変だし、
やりがいがある仕事でもあると思う。
でも、一番に考えなきゃいけないのはお客様、つまり商品を届ける日本人のこと。
どちらかというと途上国のためなんか言ってられない仕事でもある。
企業によっては駐在員はローカルの乗り物や食堂へ行くのがダメってとこもあるし、
安全第一にしろ、それじゃその国のことを知ることは難しい。
中にはボロボロのゴキブリだらけの家に住んでたり、
ローカルバスを乗りこなして生活してる駐在員の人も居るけどね。
それはそれで給料安いからそうせざるを得ないってのもあるけど。
「インフラが整えば自ずと賃金も上がってくる。
だから僕は電力プラントを早く造ってこの国を自立させたい。」
そんなことを言っていた某商社の方はカッコ良すぎる。
マザーハウスのように、日本に届ける商品を作るにしても、
安さではなく、品質と可能性にこだわる企業もある。
でもいずれにしても、
駐在したいっ(とはもうあんま思ってないけど)ていうだけで、
日本でまずは働いて…っていうのは私の性格的に難しい。
そして何が途上国の人の為になるのか。
それは「途上国の人が自立できるようになること。」
単に稼げるとか暮らせるとかじゃなく、
「環境」や「技術」や「メンタル」を変えていける人になること。
NGOやJOCV(青年海外協力隊)は、
企業が進出しないような地方や、
国がまかないきれない教育という分野で貢献できる。
でも現状は、「支援があるから大丈夫だ。」ってさせてる環境が多い。
現地の人よりも頑張ってしまう日本人。
「僕たちがこの環境をなんとかするんだ」
彼らがそんな環境で立ち上がるのは難しい。
それに自分の給料が寄付金とか税金なのは私はあんまり心地よくない。
だからできればビジネスとして貢献したい。
あとは残念なことにカンボジアのJOCVの要請は、小学校教員とかだから応募は難しい。
そういう訳で、
①東京本社の大手企業で海外駐在を目指す気持ちは薄れた。
②NGOで働くよりも、ビジネスとして、あるいは稼いだお金で寄付する方が性に合う。
③現地で働くのであれば日本人としてのステータスを持って働きたい。
④カンボジアが好きな気持ちはこの先も変わらない。
⑤物価の安い国で日本水準の給料を稼ぐのは難しい。
⑥道外出身者の方が北海道に詳しいと悔しい。
⑦日本が好きじゃない、合わないからこの国来た。ってなりたくない。
⑧雑踏と喧噪の街よりものどかで温かい街が好き。(都会<田舎)
⑨地元の人間、現場の人間が立ち上がらなければ地域活性化は実現しない。
⑩家族を大切にしたい。
ほんとのところは、カンボジアに関わることで元気になって欲しいのは
現地の人ってよりも日本人の方。
私はカンボジアに出会ったおかげで可能性が拡がったし、
自分の住んでる環境が幸せだと思えた。
それに彼らは既に元気だし、
テキトーであったかい人柄と、
自然いっぱいで空がきれいで食べ物がおいしくて観光できるとこがカンボジアの魅力。
カンボジアの問題を解決することよりも、
そーいう魅力を発信してみんなにカンボジアを好きになってほしい。
そうしてカンボジアがもっと盛り上がっていけば良い。
よく考えたら、
私は大学生活を「小樽活性化」に捧げていた気もする。
地元を忘れ、実家泣かせで、
途上国の為に汗を流している日本人もいる。
日本はつまらないからと、
英語ペラペラで優秀な日本人もいる。
私はそんな地球人じゃなくていい。道産子であることに胸を張りたい。
北海道にないものを生み出すこと、北海道にあるものを活かすこと、
それはその場を知り、外を知らなければできない。
海外にはもちろんこれからも行きたいと思うだろう。
カンボジアにだってこれからも何度だって訪れたい。
そうしてまた北海道に戻って可能性を拡げていく。
北海道とカンボジアが繋がればそれはベスト。
でも自分で繋げたいんだったらまだ経験値が足りない。
ゆくゆくは北海道初のカンボジアレストランなんか開いたりして。
北海道のおいしい食材とカンボジアの調味料と、
カンボジアのアットホームな空間を北海道に作ったりなんかして。
いつかカンボジア人が日本にも自由に旅行できるようになったら、
北海道に呼びまくりたい。
んで北海道の人たちにもカンボジアをお勧めしたい。
北海道の魅力に触れることが出来て、
北海道の魅力を作り出すことができて、
それを発信できる仕事。
もしかしたら北海道じゃなくてもいいのかもしれない。
カンボジアであってもいいし、
別の地域、国でも良い。
でもスタートは北海道がいいな。
北海道を知っていくことはマスト。
実現するかはわからないけど、
どんな形であれ発信はしていくことにして、
また別の仕事を見つければ良い。
世界は広い。
グローバルな道産子に今もこれからも。
ぐだぐだな文章呼んでくれてありがとうございます。
正直、選択肢は拡がる一方

それでも前よりは確実に何かが見えてきてます。
今は北海道に戻って働きたいなって思ってます。
前はむしろ北海道を出たいんだとしか思ってなくて、
1年前の今頃は特に「カンボジアで働きたい」ってことしか考えれなかった。
それがどういうことで、私はほんとは何がしたいのか、、、
わからないからこそ、それしか考えれなかった。
途上国から日本に輸出してるメーカーや商社、
インフラやプラントなどのプロジェクトを手がける総合商社やJICA、
去年受けてたのってそういうとこ。
バングラデシュではそんな企業の駐在員に実際に会えることも多くて、
なんかイメージと違ったっていうのが一つ発見できたこと。
駐在員になってカンボジアの発展に貢献したいっていうのは、
はっきり言ってかなり難しい。
だって日本のメーカがなんでそういう国に行くかって言ったら、
賃金が安いから。
賃金が高くなったら撤退してまた別の途上国へと移る。
バングラデシュには今、そういう「移ってきた企業」が増えだしてる。
もちろん新しく工場や拠点を作るのはすごく大変だし、
やりがいがある仕事でもあると思う。
でも、一番に考えなきゃいけないのはお客様、つまり商品を届ける日本人のこと。
どちらかというと途上国のためなんか言ってられない仕事でもある。
企業によっては駐在員はローカルの乗り物や食堂へ行くのがダメってとこもあるし、
安全第一にしろ、それじゃその国のことを知ることは難しい。
中にはボロボロのゴキブリだらけの家に住んでたり、
ローカルバスを乗りこなして生活してる駐在員の人も居るけどね。
それはそれで給料安いからそうせざるを得ないってのもあるけど。
「インフラが整えば自ずと賃金も上がってくる。
だから僕は電力プラントを早く造ってこの国を自立させたい。」
そんなことを言っていた某商社の方はカッコ良すぎる。
マザーハウスのように、日本に届ける商品を作るにしても、
安さではなく、品質と可能性にこだわる企業もある。
でもいずれにしても、
駐在したいっ(とはもうあんま思ってないけど)ていうだけで、
日本でまずは働いて…っていうのは私の性格的に難しい。
そして何が途上国の人の為になるのか。
それは「途上国の人が自立できるようになること。」
単に稼げるとか暮らせるとかじゃなく、
「環境」や「技術」や「メンタル」を変えていける人になること。
NGOやJOCV(青年海外協力隊)は、
企業が進出しないような地方や、
国がまかないきれない教育という分野で貢献できる。
でも現状は、「支援があるから大丈夫だ。」ってさせてる環境が多い。
現地の人よりも頑張ってしまう日本人。
「僕たちがこの環境をなんとかするんだ」
彼らがそんな環境で立ち上がるのは難しい。
それに自分の給料が寄付金とか税金なのは私はあんまり心地よくない。
だからできればビジネスとして貢献したい。
あとは残念なことにカンボジアのJOCVの要請は、小学校教員とかだから応募は難しい。
そういう訳で、
①東京本社の大手企業で海外駐在を目指す気持ちは薄れた。
②NGOで働くよりも、ビジネスとして、あるいは稼いだお金で寄付する方が性に合う。
③現地で働くのであれば日本人としてのステータスを持って働きたい。
④カンボジアが好きな気持ちはこの先も変わらない。
⑤物価の安い国で日本水準の給料を稼ぐのは難しい。
⑥道外出身者の方が北海道に詳しいと悔しい。
⑦日本が好きじゃない、合わないからこの国来た。ってなりたくない。
⑧雑踏と喧噪の街よりものどかで温かい街が好き。(都会<田舎)
⑨地元の人間、現場の人間が立ち上がらなければ地域活性化は実現しない。
⑩家族を大切にしたい。
ほんとのところは、カンボジアに関わることで元気になって欲しいのは
現地の人ってよりも日本人の方。
私はカンボジアに出会ったおかげで可能性が拡がったし、
自分の住んでる環境が幸せだと思えた。
それに彼らは既に元気だし、
テキトーであったかい人柄と、
自然いっぱいで空がきれいで食べ物がおいしくて観光できるとこがカンボジアの魅力。
カンボジアの問題を解決することよりも、
そーいう魅力を発信してみんなにカンボジアを好きになってほしい。
そうしてカンボジアがもっと盛り上がっていけば良い。
よく考えたら、
私は大学生活を「小樽活性化」に捧げていた気もする。
地元を忘れ、実家泣かせで、
途上国の為に汗を流している日本人もいる。
日本はつまらないからと、
英語ペラペラで優秀な日本人もいる。
私はそんな地球人じゃなくていい。道産子であることに胸を張りたい。
北海道にないものを生み出すこと、北海道にあるものを活かすこと、
それはその場を知り、外を知らなければできない。
海外にはもちろんこれからも行きたいと思うだろう。
カンボジアにだってこれからも何度だって訪れたい。
そうしてまた北海道に戻って可能性を拡げていく。
北海道とカンボジアが繋がればそれはベスト。
でも自分で繋げたいんだったらまだ経験値が足りない。
ゆくゆくは北海道初のカンボジアレストランなんか開いたりして。
北海道のおいしい食材とカンボジアの調味料と、
カンボジアのアットホームな空間を北海道に作ったりなんかして。
いつかカンボジア人が日本にも自由に旅行できるようになったら、
北海道に呼びまくりたい。
んで北海道の人たちにもカンボジアをお勧めしたい。
北海道の魅力に触れることが出来て、
北海道の魅力を作り出すことができて、
それを発信できる仕事。
もしかしたら北海道じゃなくてもいいのかもしれない。
カンボジアであってもいいし、
別の地域、国でも良い。
でもスタートは北海道がいいな。
北海道を知っていくことはマスト。
実現するかはわからないけど、
どんな形であれ発信はしていくことにして、
また別の仕事を見つければ良い。
世界は広い。
グローバルな道産子に今もこれからも。
ぐだぐだな文章呼んでくれてありがとうございます。
時間が過ぎるのは早いものですね。
おかげ様で、毎日充実した日々を送っています。
パブストリートでの年越しから始まり、
曇り空のもとトンレサップ湖での初日の出鑑賞、
クライミングが少しずつ上達し、
体重が少しずつ増加し、
ビールが少しずつ好きになり、
カンボジア人の結婚式に行ったり、
弾丸プノンペン出張に行ったり、
日本から友達が来てくれて一緒に観光したり、
小学校の校長補佐をしている日本人女性の方に会いに行ったり、
子供達の音楽演奏に感動したり、
バングラデシュに取材に来たADさんとカンボジアで再会したり、
インターンの給料が入ったり、
友達のライブで踊りまくったり、
・・・
日記書かない間にこんなにできごとが!!!!
そのうち繰り上げて書きまーす。w
シェムリアップでの生活は
極めて日常的と言いますか…
ここはとっても住みやすいところです。
スーパーもコンビニもあるし、
チャリもあるし、
夜も安全だし、
飲みたくなったらビール1$だし、
ごはん美味しいし、
デザートも美味しいし、
自然いっぱいだし、
人もフレンドリーだし、
可愛いカフェとか雑貨屋さんもあるし、
遺跡がすぐそこにあるし、
インターネットばっちりだし、
道に迷わないし、
天気良いし、
完全に夏休みを過ごしてる感じです。
とはいえ、
週6でちゃんとお仕事もしている、つもりです。
今月から部署が移動になり、
ツアー会社から、
お土産企画部へ。
って部署名は勝手につけましたw
なんたって一人ですからw
仕事内容は、
犬・猫用のお土産開発(主に服)!!
既にお店は出してあって、
そこにはタイから仕入れたワンちゃん用グッズが並んでます。
そこにカンボジアをモチーフにした、
ワンちゃんネコちゃんグッズを出すのが目的です。
んで、その商品を私一人で一から作るという仕事です。
猫用っていうのは私が勝手に作りたいから加えましたw。
これって、
山口さんがバングラデシュでゼロからバッグ作った大変さを
少し経験できるんじゃないかとか、
山崎さんにバングラデシュで
「実際にモノを作ってみたらわかるよ」
って言われたことが実現できるんじゃないか!って、
理想や形から入ってしまう私は、
初めはとってもワクワクしてました。
それにプノンペンでも視察してきたけど、
カンボジアにはカンボジアらしいワンちゃん服はまだないから、
犬用お土産ってけっこう当たるんじゃないかとも思ってる訳です。
でも実際はすご~く難しくて、
すご~く不便でめんどくさいことなんです。
日本だったら、
デザインさえ考えれば、
ネットから検索した企業に連絡するだけで、
すぐ商品ができるんじゃないかと思う。
でもここだったら、
まずどこで作れるのかがわからない。
服飾品はほとんどがタイからの輸入。
そこはなんとかシェムリアップで作りたいのが一つ。
そして伸びる生地が見つからない!
犬用Tシャツには伸びる生地じゃないと厳しいよねー。
布屋さんに行くと、だいたいクロマーの生地か、
ドレス用の生地か、普通の綿生地しかない。
ここは発想の転換で、
既に売られてるTシャツのリメイクが今のところ濃厚。
あとはクロマー生地でシャツとかブラウスを作るとかね。
そして気付きました。
私、裁縫ができない。w
ネットや本からなんとかパターンや作り方を引っ張ってきて、
その通りにテイラーのおばちゃんにお願いします。
テイラーには「犬の服作りたい」と伝えると、よく「無理」と断られます。
おばちゃんはベテランそうで唯一「大丈夫」と言ってくれたんだけど、
英語も通じない人だから、
指差し会話帳とジェスチャー
を駆使してコミュニケーション。
なんとか出来上がり、サンプルを犬太郎に着せると、
なんかサイズ合わなかったりで作り直し。
しかも服はすぐ犬太郎にかじられる。
せっかく作ったのに~w
おばちゃんが忙しかったときは一度だけ自分でミシンにトライしました。
ミシンの使い方を教えてもらい自分でサンプルを作ろうと試みる。
結果は残念でした。
残念の余り近くのお姉さん達が助けてくれましたw
外に出る時間も多くて、
順調に肌が黒くなってきてます。
そして暑い・・・。
こんなんで商品ができるのかとも思いますが、
そこは作って売って日本に帰りたいと思います。
考えるだけじゃ答えは見えないのでやってみるしかない。
でも浅い考えじゃ全然商品と呼べる物にはならない。
頭が悪いのか、不器用なのか、、、
頭脳も身体も精神的にも鍛えられてる気がします。
なんたってめんどくさいが先に来る。
それを打ち破ってアイデアを捻り出して行動に移すまでが大変。
人間ラクをしたい生き物なんだと本気で実感してます。
でも、そこにはカンボジアでの達成感を得たい気持ちと、
うちのネコちゃん達にお土産作ったと自慢したい一心で頑張ります~。
こんなのちょろい、と言い聞かせて、、、
明日も行動あるのみ!!!!!!
おかげ様で、毎日充実した日々を送っています。
パブストリートでの年越しから始まり、
曇り空のもとトンレサップ湖での初日の出鑑賞、
クライミングが少しずつ上達し、
体重が少しずつ増加し、
ビールが少しずつ好きになり、
カンボジア人の結婚式に行ったり、
弾丸プノンペン出張に行ったり、
日本から友達が来てくれて一緒に観光したり、
小学校の校長補佐をしている日本人女性の方に会いに行ったり、
子供達の音楽演奏に感動したり、
バングラデシュに取材に来たADさんとカンボジアで再会したり、
インターンの給料が入ったり、
友達のライブで踊りまくったり、
・・・
日記書かない間にこんなにできごとが!!!!
そのうち繰り上げて書きまーす。w
シェムリアップでの生活は
極めて日常的と言いますか…
ここはとっても住みやすいところです。
スーパーもコンビニもあるし、
チャリもあるし、
夜も安全だし、
飲みたくなったらビール1$だし、
ごはん美味しいし、
デザートも美味しいし、
自然いっぱいだし、
人もフレンドリーだし、
可愛いカフェとか雑貨屋さんもあるし、
遺跡がすぐそこにあるし、
インターネットばっちりだし、
道に迷わないし、
天気良いし、
完全に夏休みを過ごしてる感じです。
とはいえ、
週6でちゃんとお仕事もしている、つもりです。
今月から部署が移動になり、
ツアー会社から、
お土産企画部へ。
って部署名は勝手につけましたw
なんたって一人ですからw
仕事内容は、
犬・猫用のお土産開発(主に服)!!
既にお店は出してあって、
そこにはタイから仕入れたワンちゃん用グッズが並んでます。
そこにカンボジアをモチーフにした、
ワンちゃんネコちゃんグッズを出すのが目的です。
んで、その商品を私一人で一から作るという仕事です。
猫用っていうのは私が勝手に作りたいから加えましたw。
これって、
山口さんがバングラデシュでゼロからバッグ作った大変さを
少し経験できるんじゃないかとか、
山崎さんにバングラデシュで
「実際にモノを作ってみたらわかるよ」
って言われたことが実現できるんじゃないか!って、
理想や形から入ってしまう私は、
初めはとってもワクワクしてました。
それにプノンペンでも視察してきたけど、
カンボジアにはカンボジアらしいワンちゃん服はまだないから、
犬用お土産ってけっこう当たるんじゃないかとも思ってる訳です。
でも実際はすご~く難しくて、
すご~く不便でめんどくさいことなんです。
日本だったら、
デザインさえ考えれば、
ネットから検索した企業に連絡するだけで、
すぐ商品ができるんじゃないかと思う。
でもここだったら、
まずどこで作れるのかがわからない。
服飾品はほとんどがタイからの輸入。
そこはなんとかシェムリアップで作りたいのが一つ。
そして伸びる生地が見つからない!
犬用Tシャツには伸びる生地じゃないと厳しいよねー。
布屋さんに行くと、だいたいクロマーの生地か、
ドレス用の生地か、普通の綿生地しかない。
ここは発想の転換で、
既に売られてるTシャツのリメイクが今のところ濃厚。
あとはクロマー生地でシャツとかブラウスを作るとかね。
そして気付きました。
私、裁縫ができない。w
ネットや本からなんとかパターンや作り方を引っ張ってきて、
その通りにテイラーのおばちゃんにお願いします。
テイラーには「犬の服作りたい」と伝えると、よく「無理」と断られます。
おばちゃんはベテランそうで唯一「大丈夫」と言ってくれたんだけど、
英語も通じない人だから、
指差し会話帳とジェスチャー
を駆使してコミュニケーション。
なんとか出来上がり、サンプルを犬太郎に着せると、
なんかサイズ合わなかったりで作り直し。
しかも服はすぐ犬太郎にかじられる。
せっかく作ったのに~w
おばちゃんが忙しかったときは一度だけ自分でミシンにトライしました。
ミシンの使い方を教えてもらい自分でサンプルを作ろうと試みる。
結果は残念でした。
残念の余り近くのお姉さん達が助けてくれましたw
外に出る時間も多くて、
順調に肌が黒くなってきてます。
そして暑い・・・。
こんなんで商品ができるのかとも思いますが、
そこは作って売って日本に帰りたいと思います。
考えるだけじゃ答えは見えないのでやってみるしかない。
でも浅い考えじゃ全然商品と呼べる物にはならない。
頭が悪いのか、不器用なのか、、、
頭脳も身体も精神的にも鍛えられてる気がします。
なんたってめんどくさいが先に来る。
それを打ち破ってアイデアを捻り出して行動に移すまでが大変。
人間ラクをしたい生き物なんだと本気で実感してます。
でも、そこにはカンボジアでの達成感を得たい気持ちと、
うちのネコちゃん達にお土産作ったと自慢したい一心で頑張ります~。
こんなのちょろい、と言い聞かせて、、、
明日も行動あるのみ!!!!!!


