離婚した

離婚からも早2ヶ月が経過しそうになっている。

なかなか早い。

しかし離婚したときのまま、状態を保存してある箇所もあり

まだ荷物を置いていて取りに来るには

そのままだから辛いときもあるのかもしれない

部屋の鍵はまだ返ってきていない。

、そもそもきっと1ヶ月くらいはものを取りに来た形跡がない。

両親に彼女の荷物をどうするのか聞かれた、私は知らないと答えた。連絡を取りたくて、いつの何時くらいにお話できるか聞いたら、無視された。

もう梯子は外されてしまったので、取り付く島がもうない。

また連絡はしてみるが返答の期待値は非常に低い。


私の後悔というか、反省であり、彼女への懺悔にもなるのかもしれないけれど、私が思うこぅしたら良いのかな?ってところに場所じゃなく、精神的に彼女を連れて行ってあげられなかった。でも今思えば、そんなものは個人で彼女が決めていることであり、私がそーかな?と思ってなすことでもなかったのかもしれない。だから押し付けが多くなってしまって彼女も疲れたのかもしれない。

単純に、親と離れたアパートではなくて持ち家でちゃんと二人で生活してあげられたら良かったと思う。

長男の呪縛やら、モラハラの頭に過る言葉から、私は打ち勝つことができなかった。

妻もいなくなり、待つのは両親との心中だけ。もうしばらくすると両親は衰え、介護の日々とそれに稼ぎが消えて疲れ疲弊して、そのまま死ぬ気がする。

毎日考えていた、妻と共にどう生きていくか、自分の行わなきゃないこと、不妊治療、今の仕事、収入、老後、住む家をどうするか

頭が考えたくなくてもシュミレーションしてしまって。とても疲れていた。

離婚して思うことは、こんなにも毎日考えていたんだなと思った。

組合もあって21時過ぎに帰って、作ってくれたご飯を食べた。

ありがたいと思っていた。でもそういうのは伝えないと伝わらなくて、きっととても、酷い態度を取っていたんだろうと思う。

仕事も組合で出来ないから貯まるし、組合がない日は残業をした。

新卒新人が増えていて、指示してもやらないし、動きは遅いし、やらなければならないでまた問題になるからフォローばかりしている

組合は役についているから出張、残業、また忙しく

採用も少なくというか、人がいても爆弾のような人しかいないからマトモなヤツがいない。代われない。

そんな日々で休みだとなると、飲みにも行きたくなって

女とかじゃない、単純に一人で飲みに行って、ただカラオケしてビジホで寝て。

そうすると彼女といる時間がどんどんどんどん無くなっていった、そうしたなかで彼女も疲れたり、居てほしいと思うタイミングで私は居なかったんだろうな。

アナタともし不妊治療が上手く行っても育てられないと言われた、そらそうだよ。こんなに家に居ないんだから。生活の時間も違うし。

あとは、私が過去に彼女の態度や物言い、普段の状態から、私もそう思うも告げた。

私は結婚当初、やることなすこと否定されて口が一時期聞けなくなってしまった。

どのタイミングで話しても、何で今なの?と怒り出し、何をやってもなんで今なのと怒られた。顔色を見ながら行動していた。ある日、家事は夕飯作り、朝はお化粧だけして早く出るのにゴミ出ししないし、家事もしないで実家行って帰ってこないし23時とかまでかえってこないこともザラだったから

怒鳴り散らして、夜中にガンガン叫んで

そこからイロイロやってくれるようになった。

疲れてそうなときは変わるよと

やらなくても良いんだよって言っても断られたから、任せていた。

私からはもう二人の将来そういう話はしなくなっていて、数年後に彼女がそのような話を始めたときに、私は今そな話しをしたくないと言った。

彼女が正当性を主張するなら、私も聞きたくなければ聞く道理がないので、そうした。って


いつ出ていくかという話になり、早めにと言ったら翌日帰宅したら、もう荷物が半分なかった。


で離婚届を土曜に持ってきてくれた。

きっと出かけるついでに持ってきたんだろう。


書き出すとお互いどっちもどっち

ショックだったのは、平たく言うと不妊治療はあなたに怒られたから始めましたということだった。

確かに強く言ってしまったけど、

どの病院に行っても、あの先生が嫌だ、言い方が悪いだ何だと言って辞めてしまうから、そらしゃーないでしょうよ

腹決めて前に進まないと得るものは得られないのだし、それが悪い結果であったとしても

結果手術をしたり、そういう事もあった。

でもそれは前に進んだから、そういう事ができたのであって、何も知らなければ、浮腫み続ける体に、レディースデイは強く痛む時があって、それも解消していなかったのだろうし。

私は良かったと思った。でも彼女は単に強要されてやって、酷いことをされたとなったわけだね。


悲しい単純に

実家側も妻の実家は嫁に出た方々が皆帰ってきていて、なんか異常だなと思った。とても簡単に結婚して、とても簡単に別れ、とても簡単に実家に帰るんだと思っていた。

冠婚葬祭の私の行動はあちらのお母様によって、決定され

私の妹の嫁ぎ先の親がなくなっときに拝みに行く話をしたら、あちらの母親がいかなくて良いと妻に行って、妻は行くことが腑に落ちていないようだった。

それで揉めてからは預かっている娘さんだと思って接していた。 

悲しいけども心はやっぱり変わらず、名字も心はそのままだったんだと思った。

私の中で彼女が同じ苗字の同じうちの人だとかんじるときはとても少なかったと思う。 


書き出しはセンチメンタルだったけども、結果としては別れるようになっていたのかもしれないと2ヶ月たって最近思い始めた。