久々に書きます
中々、アップデートする時間がなく、ようやく復帰できそうです。
その間に、民主党が政権交代するだのいろいろな動きが起こっています。
国際会計基準も、6月にロードマップが公表され、社会の関心も高まってきています。
今後、国際会計基準の話題をバージョンアップしてお伝えいたします!
まずは、復帰のご挨拶まで
白州次郎と日本国憲法
この間(2月だったか?)、NHKで白洲次郎を主人公にしたドラマをやっていた。実は最終回は8月放送予定なのだそうだ。それは、出演者の一人が病気だとかで撮影が間に合わなかったからだそうだ。
因みに私は1回放送分だけ見てそれ以外は見ていないので、8月にまとめて見ようかと思っている(恐らく最終回までのインターバルが長すぎるから総集編とかでまとめて放送されると期待している。。)
さて、その白洲次郎に関する書籍は数年前から結構な数が出版されているが、なぜか私は興味が沸かず何も読んでいなかった。理由は全然不明なのだが。ただ、この間新宿のジュンク堂書店に立ち寄った際に、なぜか白洲次郎の本に惹かれるものがあり、衝動買いしてしまった。
その本の名は「白洲次郎 占領を背負った男」(北 康利著 講談社)である。この本、ハードカバーだと分厚かった記憶があるが、文庫本では上下巻で刊行されている。しかも上巻は比較的薄くて読みやすい。
この本、実はまだ上巻すら読了していない。もう少しで読了するのだが、この巻では終戦後の日本国憲法制定までの経緯が記述されている。今日この辺の章を読んだのだがさすがにここは面白く読んだ。
よく、日本国憲法はアメリカから押し付けられた法律とよく言われるが、この本ではその辺のところが分かりやすく、詳しく、そして面白く書かれている。また、この本を読んで日本国憲法にまつわる話でこれまで知らなかったことも結構あった。
特に、近衛文麿も終戦後しばらくは帝国憲法の改正作業にかかわった話はこの本で知った。どうもマッカーサーが近衛をたきつけたようなのであるが、結局米国内における近衛の悪感情も伴ってGHQは近衛を切り捨てた挙句、戦犯扱いにしてしまう。結果、近衛は失意の自殺を遂げてしまう。。城山三郎の「落日燃ゆ」では、近衛の自殺を聞いた広田弘毅が「そうか、近衛が自殺したか」と興奮して答えたという場面が出てくる。でも、どうして近衛が自殺するに至ったのか、その辺の本当の経緯が分かった気がする。
また、現行日本国憲法の骨格はGHQ民政局が作ったものだが、草案作成に携わったGHQ側メンバーはそのほとんどは、弁護士資格もない法律の素人であることにも愕然とさせられた。いやしくも一国の国体の基礎をなすConstitution(憲法)に対するrespectがGHQには全くなかったということか。因みに、東京裁判で戦犯を追及したキーナン主席検事をはじめとする各国の検事も二流、三流の法律家であったという話もどこかのものの本で読んだことがある。
つまり、わが国における戦争裁判や憲法改正作業は法律の素人かあるいは低いレベルの法律家により行われたわけである。特に憲法改正については、数日という限られた日の中でそれも白洲を含めて限られたメンバーがこんな素人が作った憲法草案から何とか日本の国体を守るために必死の作業を行ったわけである。結局、かなりの部分がGHQの意向に沿った形飲まされてしまったがその当時の時代背景や限られた時間、当時の日本政府とGHQとの力関係を考えれば致し方ないという気もしないでもない。
この本の中で「象徴天皇」や「男女平等」、「2院制」に係るエピソードが出てくる。ここでは書かないが、興味のある方は是非とも読んで欲しい。例えば、現在でこそ衆院・参院という2院制であるが、当初のGHQの草案では1院制であった。なぜ、1院制だったのか、その理由が書いてある。これを読むと、私個人、怒りを通り越して脱力感をも感じてしまう。。。
要は、この本を読むと、現行憲法は取り急ぎ作った安普請の法律であることが分かる。もちろん、基本的人権に関する規定など、今の社会には欠かせない規定もあるし、そういう規定については是々非々で考えるべきと思う。しかし、特に統治機構に関する章などがそうなのだが、急いで作ったため解釈の余地のある規定は結構あるのではないかと思う。
例えば、この本を読んで思い浮かんだのは、衆議院の解散権を誰が有しているのかという主体の問題。
その昔、私は大学で憲法をかなり勉強していた時期があった。勉強していて、ふと疑問に思ったのが解散権の所在の問題。法律に詳しい方なら皆ご存知と思うが、現行憲法上では衆院解散権の実質的な主体を規定した明文上の規定は存在していない。一応、内閣が有する説(7条解散説)が通説なのだが、これはあくまで憲法上の学説である。確かに、明文上の規定がないから憲法上の論点になるのは分かるのだが、そもそもこれは統治上の重要な問題なのだから、そもそも現行憲法制定時にはっきりさせていれば良かったものをと当時は思っていたのだ。しかし、憲法制定当時の本書に書いてある状況から、その辺の事情が薄々分かったような気がする。
今年に入って、衆院解散時期はいつだという議論がマスコミを騒がせているが、そんなニュースを見聞きするたびに私は、この衆院解散権の憲法上の問題を思い出してしまう。。。
本書は、白洲次郎の人生をたどることを目的とする本であるが、私はむしろ憲法改正の経緯についてこの上ない興味を持って読んでしまった。
それでは、現行憲法は改正すべきなのであろうか?
正直、今の私には当否は下すことが出来ない。
ただ、確かなことは、現行憲法は形式的には国会議員により承認されたものであるけれど、実質的には全国民の総意を反映しているわけではないことである。少なくとも当時の国会議員の多くはそう思っていたと思う。もし、憲法というものが(内容の是非はともかくとして)形式的・実質的な国民の総意を反映しているものでなければ、それは国体というものを反映したものとはいえないと思う。
そもそも「アメリカに押し付けられた憲法」という意識(コンプレックス?)が今でも為政者の中には残っているのではないか?
だとすれば、現行の日本は本当の意味で「戦後は終わった」とは言えないのではないだろうか?
憲法改正ではよく9条とのかかわりが問題となるが、私は憲法改正はこのような個別具体的な条文上の問題よりもむしろ、上記のような日本国民全体に横たわる意識の問題がより重要ではないかと思ってしまう。
現在の私は法律を生業としているわけではないので、上記の一連の法的な考え方には誤りもあるかもしれない、上記論説に各所矛盾があるかもしれないことは率直に認める。でもこの本をよむとどうしてもそんなことが頭に浮かんでしまうのだ。。。
ようやく更新できます
本当は国際会計基準やその他の経済情勢などいろいろ書きたいことがあるのですが、中々そんな時間を確保できません。折角ブログを立ち上げたのに。。。
その理由は簡単。単純に仕事が忙しいからです。
ただ、前にも書いたのですが、忙しい仕事の対象は、あくまで業務命令でやることになったもの。
もちろん、働いて給料をもらっているので文句なぞいえるはずもないのだが、自分にとって全く不得手(つまり才能ゼロ)な仕事をアサインされてしまったので、四苦八苦しているわけです。仕事がそれだけならそれはそれでいいわけだが、そのほかにもそれと同等にヘビーな仕事が数本走っているので、回るに回らない、いわば四面楚歌状態にあるわけです。。。
正直辟易してしまっているのも事実ですが、そういうことになったのは自分にも原因があることは十分承知しています。。
そういうことを再認識するために、勝間和代さんが書いている、「断る力」を昨日、出張帰りの飛行機の中で読んだわけです。やはり、自分が日ごろ反省していることがずらーっと書かれており、正直、私は読むとヘコんだのですが、負けずに頑張って読みました。
同書を読んで感じた気づきは、以下の通り。
①やはり自分に正当な意見があれば例え相手方(上司など)と意見が衝突しても言うべきことは言おうということ。
②でもその半面、正当なことを言って意見が通るためには自分自身の実力を蓄えなければならないこと。
③自分自身の力を蓄えるためには、もちろん自分の得意分野の力を伸ばすことが最も効率的。
④そのためには、自分の得意分野を中心とする分野に時間等の限られた資源を集中投入したい。
⑤だとすると、自分の不得意な分野からはなるべく遠ざかったほうが効率的。
問題は、上の気づきをどう捉えるかです。現状の困難さからの逃避なのか、それとも純粋に効率的な時間配分なのか。。。
今やってる現状の仕事は当初は私だけに任されたものではありませんでした。4,5名のチームで仕事をしていましたが、いつの間にかみんな逃げてしまい、結局は自分が中心となってやるような羽目に追い込まれてしまったのです。。。しかも自分が他の仕事に忙殺されている間に半ば欠席裁判のような感じで。。。
本来ならばここで「No!」言えればいいのでしょうけど、私がいる部署は比較的小所帯ではっきり意思表示するのは勇気が要ります。せめて、各スタッフの仕事の負荷を見ながらアサインしてくれればいいのですが、ただでさえ負荷の重い仕事の上にまた更に重い仕事まで任されれば心身ともに潰れてしまいます。
確かに現状の困難さから逃れたい気持ちは否定はしません。しかし、そのようなネガティブな要因を差っ引いても今の自分が置かれている状況はあまりに不合理であると自己分析しました。
そこで出した結論は、「早めにいまの部署から出よう」でした。
この決心に基づいて、出張の翌日からいろいろ動き始めています。
以前書いたブログではしばらく頑張って仕事に一区切りしてから結論を出そうと思っていたのですが、やはりそれによる時間などの機会損失があまりにも大きいことに気づきました。しかも、その仕事は一応秋口で一段落するのですが、来年も同じ仕事が振られる可能性が高く、このままでは何も生産的なことが出来ずに貴重な時間を無駄にすることになりかねないのです。
そこで、以前の決心は全て撤回して動くことにしたのです。
でも今の部署から出る代わりに自分の得意分野で存分に活躍できる行き場がなければなりません。
ひょっとしたら他部署かもしれないし、今の組織そのものから出てしまうかもしれません。
今年は本当に転機の年になります。
