深夜帰宅すると、私の誕生日のお祝いに夫の母が作ってくれた赤飯が待っていた。久々に実家にもどった夫が持って帰ってくれていたのだ。こういうお祝いは下手なものをもらうよりうれしい。赤飯大好きだし。
インスタントの味噌汁を作って一緒に食べる。赤飯と味噌汁という組み合わせで、昔々の記憶がよみがえった。
高校生のときアメリカでちょっとだけホームステイしたことがある。風邪をひいてベッドで寝ているとき、急に日本のものが食べたくなった。そこで持参していたレトルトの赤飯をインスタントの味噌汁に放り込んでぐつぐつ煮るというすごいものを作ってはふはふ食べていたら、ちょうどホストファミリーが帰宅した。私が食べているものを見て彼らは、
「OH?ソレハジャパニーズフード?タベサセテクダサ~イ」(いや、日本語しゃべってたわけじゃないけど。)
こんな奇妙なものを日本食とも思われたくなかったが、それを説明するだけに英語力もない。もごもごしているうちに、彼らは無邪気にその得体の知れない物体を口に入れ、なんともいえない表情をし、私もなんだかいたたまれない気持ちになったのだった。
考えてみたら今や英語どころか西班牙語を使って仕事をしているわけで、その頃に比べて成長したのかなあと思う。でも実はレベル的にはむしろ当時の方が高度な文法知識があったかもしれず、成長したのは、場数と度胸なのかもしれないなと。
特に相手がネイティブスピーカーの場合はもはや開き直っている。あんたが日本語しゃべれないから、あんたの言葉でしゃべってるんだ。我慢しろ。文句あるなら、日本語でしゃべれ!と。しかし、最近日本語が流暢な人もたくさんいるのでうかつにいえなかったりするのだが。言葉どころか日本人顔負けにぺこぺこお辞儀をしながら名刺交換する人もいる。あなどれん。
海外旅行に行くたびに、言葉はできないくせに自分の意思を通じさせてしまう友人を見るたびにいつも思う。大事なのは言葉を操ることではなくて、これをしたい、と思う気持ちだなあと。







