嘘で塗り固められた記憶と思ってた。

大概がこじつけで、半分は自分の盲信に過ぎない。

多少、好きな部分があるんだ。今の人生には。

あの頃のあの時に比べたら、私はまだやれてる。そう信じてた。

そうやって信じれる部分と受け入れ難い事実を受け取っていく。

受け止めることが事実で、受け入れられないなら受け入れないことが心の健康に繋がる。


わかっていても、健康であることが大切なことだとは思えないし、振れ幅が大きい分犠牲にしてしまった人達ばかりで生きている意味を失ったまま、誤魔化しながら生きている。

たくさん愛に恵まれている気がするが、あくまで期待しないが基本。


今どこで何をしているの。

私はどこで何をしていたんだろう。

何をしたらこんなことになるんだろう。

何でもしていいし、なんでも出来ているのに、満たされない気持ちを自分で補っていく。

自分で満たせる部分と満たせない部分、境界線を引いている。

(これはあの時の私)(あれは知らない人)


自分の中で選別してたって、他者から求められることだってこの先あるかもしれない。

私が貰った優しさという名の愛を、どれだけ君にあげられるだろうか。


私は好きだし、この形で生まれたことを後悔はしていない。

ただ、やっぱり人嫌いは自分の中から生まれてくることを覚えているし、あの時の私が酷く嫌いなことはいつも変わらない。


自分という自分を受け入れられないと思いながら受容している自分の甘さに酷く失望を繰り返しながら、自分を許している。


不器用が不器用で歩いたんだ。想像上の空想世界を。ありがとう。