私が事あるごとに思っていた
「私ばっかり」は
心の中に根強くある
「わかってほしい」
「認めてほしい」という気持ちだった。
私の父母は
私が成果を出せたり
誰かに褒められたりすると
喜んでくれたし、褒めてくれた。
とても安心していたように見えた。
でも、それ以外のときは全然だめで(笑)
ネガティブなことがあると
頭を抱えたり、機嫌が悪くなったり
とても悩んで不安そうだった。
そのうえ悪口も聞かされてたし
嫌味まで言われてたから
自分がここにいて良いのかな?
と思えて、辛すぎて
少しでも親の安心した顔が見たくて
私は「良い娘でいること」を頑張ったのよね。
「良い娘でいること」は
めちゃくちゃ大変だった
学生時代は
成果出せるように
勉強は自分の頭叩きながらやってて←
部活は体育会で主将したり
数時間正座したり修行だった(笑)
「良い人でいること」に拘って
みんなに平等、みんなに優しい人を目指していた。
大人になってからは
「仕事ができる人」を目指したけど
そんなペースで毎日働くなんて
しんどすぎて続かなかったから
数年ごとに転職。
結婚してからは
「良い妻でいること」を目指して
家事しないといけない、でも出来ない、
で新婚生活楽しめず(笑)
やがて出産して
「良いママでいること」を目指したけど
そこでついに
摘んだ( ・ั﹏・ั)
「良いママ」を目指しながら
実際は育児放棄のほうに進もうとしてた。
嫌いな両親のもとに里帰り
&
夫との揉め事で、
これまでのツケが回ってきたかのように
現実が不安定なものになった。
成果を出して誤魔化すこともできないし。
産後うつっぽい感じになってて
無理すぎて逃げたかったし
死にたかった
あの辛かった時からもう2年半くらい経つ。
自分とたくさん向き合って
ずいぶん変わったけど
「だれも分かってくれない、孤独だ」
「いい加減がんばりを認めて欲しい」
そんな思いが
まだまだ残っていたことに気づいた。
その思いに気づいて吐き出したら
自分の心は軽くなったし
「やっと分かってもらえた」と
ホッとした気分になった。
仕事が続かなかった
夫との暮らしを楽しめなかった
育児放棄気味だった
そんな過去の自分が嫌いで責めていたけど
子どものころから
めちゃくちゃ頑張って
めちゃくちゃ耐えてきて
いつも命がけで必死だったんだな
と思うと、
もう自分を責めなくていいかな
むしろ自分自身に寄り添いたい
労ってあげたい
と思った。
昔は両親にわかってほしかったはずだけど
大人になって両親と離れても
無理して頑張ることを続けていた自分。
これを手放すには
「自分自身」にしかできないよね。
「自分自身」が
自分の頑張りをわかって
労ってあげる以外にないよね。
自分と仲直りできそうな、そんな気持ち。