(当時弟子入り3年目21歳、左から一番弟子の自分、二番弟子勇、三番弟子次男、右端が親方)
自分が大工になりたいと言う想いは
小さかった頃から
ずっと心の何処かにあった様な
気がします、
家のお風呂は薪で炊いて居たし、材木は沢山積んで有った
(母方祖父と自分昭和43年)
父の道具をしまってある引き出しには
金槌や釘抜きや色々な道具がびっしり入っていた、
そんな環境で遊びとして釘で木を組んだり貼り合わせたりしていた、
子供の頃に仕事から帰って来る父の
独特の匂いを今でも覚えています、
現場で木を切りその引粉が髪や作業着に染み込み
必死に頑張っている父の汗の匂いと混ざり
強いて言えば職人大工さんの匂いです、
又父が給料を貰って来る月末には
デカイ分厚い封筒をワザとテーブルにドスンと
置くのです、
子供ながらにそんな父を見て凄いなぁと
感じていたんだろう、潜在的にお金を
沢山稼いでくる父をみていたから
子供の自分の中でじぶんも大工さんになると
決めていたのかもしれません、
(宇治市三兄弟での作業平成30年)
高校卒業後に就職先を探すのもクラスで最後のほうでした、
言えば就職するつもりはなく大工修行に
弟子入りを考えていたから、
でも担任の先生の作戦にハマってしまいました
「なんでも経験や!受けるだけ面接行ってみたらどうや?」
こんな事を言われ気楽に考えた末に
経験するだけだと思いテキトーに近くの会社を
選んで先生にこの会社にしますと
言ってしまいました、
どうせ受かるはずがないと思っていたから、
何にも考える事もなく日々が過ぎて
ある日の事です
その会社の社長さんが偶然か必然か分からないが
自分が3年間続けた伏見工ラグビー部の
山口良治先生の友達だったのです、
これは後から知り驚いた事実ですが
僕は大工職になりたいから会社就職はせずに
親方に弟子入りするつもりで居たから
さぁー大変さ〜
ラグビー部山口良治先生の知り合いであった社長さんが、
ラグビーの練習中に学校のグラウンドまで
来られる始末、
いよいよ後に引けなくなったなと
頭を悩ませました。
オマケに面接もして無いのに
多分…合格…
経験の為に冷やかしで面接の雰囲気だけを
感じて見ようと思って担任の話に乗ったのが
仇となりました
(令和元年母校正門前で)
卒業後宇治市の中堅ゼネコンに就職となり
やりたいと1ミリも思って居なかった
現場監督になってしまいました、
やるからには何事も一生懸命にやると
言うのが自分の気性ですから
気持ちを切り替えてやることに決め
毎日頑張りました、
しかし❗️半年くらいした夏の暑い日になり
中堅ゼネコンに一度は就職したものの
やっぱり大工になりたい気持ちが
勤めながらもたまに湧いてくるんです、
それは監督をしながら現場に入って居る
鉄筋屋の親方や型枠大工さんと仲良くなり
冗談を言ってると、大工さんが新米の僕に
「監督さん休憩しよか?コーヒー飲み」って言うんです、
そんな時それを毎日繰り返して居ると、
自分が大工で現場に入って居る様な錯覚に
なる時も有りました、
そんな日々が続いたある日、
やっぱり大工になりたいと
膨らんだ気持ちに歯止めが効かなくなり
現場所長に今月末で会社を辞めたいと
伝えました、
自分は親方について弟子に入り
休みらしい休みの無い
大工職の修行に没頭する事五年で、
親方の太鼓判を頂き無事に年期明けしました、
その後独り立ちして、一人親方として
世間を渡り歩きました、
26歳から鮫島工務店を名乗り
小さなリフォームからはじめたのです、
そして27歳の時に請負業を
本格的に初ようと決め、
鮫島浩工務店が誕生したのです、
施工管理技士の資格をとり
建設業の許可を取りました、
その後ローカルな資格で
古材施工技士
古材施工プランナー
愛犬家住宅コーディネーター
などをとり
個人のお客様のお仕事だけをさせて頂きながら
今年の10月でまる29年になります、
来年は節目の30周年ですが、
なんにも分からない状態から
勢いだけで工務店を始めて
よくやって来たなぁと思ってます、
兄弟にも助けて貰ったし
沢山の方に助けて頂きました、
又逆に、理由もなくバカみたいな屁理屈で
請負金額の2割を引かれたことも有りました
追加を山盛りやらされ、見積書には目も通さず
最後に2割引かれ、
720万の見積が1100万になっていた、
しかし720万から120万引かれ最悪の客でした、
どっかの会社の会長でしたが
2度と会う事も無いです、
しかしあの時周りに居た人は誰もかばってくれなかった、
周りに居て話は聞こえて居たに決まってる、
でも知らん顔でした、
その周りに居た人も同等の人なんでしょう、
世間の冷たさ、非道も知りました
逆に親切に僕の身になってくれた方もおられました
まあ、いろんな事がありましたし、
色々経験したし、勉強もさせて頂きました、
会社としては大きくするつもりは
殆ど考えた事は無かった
未だに自分で現場に出て大工をしながら
お客様と打ち合わせして
楽しく請負をやっております、
根っからの職人気質だから仕方ないし
そのやり方が大工の本来の姿で
昔は長家に1人大工が居れば近所から
ちょっとこれ直してよと言われ
代金の代わりに大根を貰ってチャラだったり
そんな感じで器用な近所のオッちゃん見たいな
感じだったんだろうと思ってます、
助けて貰った人も沢山有りますが他にも
協力業者のみんなにも助けて貰い
今まで来れたんだと思います。
お客様、協力業者さん
みんなありがとうー!
訳の分からんねぎりで金払わんかった馬鹿タレー!
集金に行ったら事務所空っぽにして
持ち逃げした奴❗️ボケー!
ロクな死に方しないから
覚えておきなさい。
330万円持ち逃げされたけど
来てくれた業者や大工さんには責任が無く
ちゃんと自分は払いました、
そんなこんなで丸29年
来年で30周年、皆さんありがとうございます。
沢山のお客様に出会えた事
沢山の協力業者と一緒に仕事できた事
それが宝です、
その中で自分の中での決まり事も出来ました、
自分に何かをしてくれた人には
自分もその人には同じ対応をします、
又明らかに困って居る人には手を差し伸べるか若しくは相談に乗る、
自分に対して後ろ足で砂をかけた輩には
頭からバケツで砂をかけ返します。
それは冗談として、
まあ長かったかなぁと思う反面
まだまだ頑張らないとダメだし、
沢山のお客様に頼りにされるようになり
又沢山のお客様と出会えるように
代表と番頭さんと経理課と営業マンと
設計と大工さんを一人でやりながら
頑張っていきます、
鮫島浩工務店を応援お願い致します。





















