1月1日の「能登半島地震 2024」発生から、約4週間。被災者の方々は、避難所での不自由な生活が続いています。

 

 北陸の冬の悪天候の中、被災地で復興支援作業を続けていらっしゃる皆様に、心より感謝します。
 

 おかげ様で、公共交通機関については、
JR七尾線(金沢⇔和倉温泉)が、15日に「高松⇔羽咋」、22日に「羽咋⇔七尾」が運行再開し、金沢と七尾間が電車で往復できるようになりました。
また、輪島と珠洲方面の特急バス(北陸鉄道)が25日から運行再開し、被災地への一時帰宅を支援するため、被災者とその親族を優先し、約1か月間、無料運行されます。

 

 このように、復興に向けての“明かり”がひとつずつ点灯しています。

ありがとうございます !!

 

 今回は、震災直後のあるメディア報道が被災者を混乱させた・・・という事例を紹介し、今後の災害時の対応に生かせればと思います。

 

被災者を安心させるはずの報道が、混乱を引き起こした

 能登半島地震発生時、私自身も、驚いて、路上で立ちつくしました。揺れがさらに強かった能登半島の方々は、津波や土砂崩れや火災などから身を守るため、命を守ることで精いっぱいだったと思います。
 

 たどり着いた避難先で、心配と不安の一夜を過ごした翌2日の夜、NHKニュースは、石川県内の被災地 医師の処方箋なくても薬局で薬購入可能に」と題して、野々市市と川北町を除く県内17の市において、被災地では医師の処方箋がなくても薬局で薬を購入できる・・・と、厚生労働省から2日に連絡があった・・・と報じました。
 

 そのときの報道内容が次のものです。この記事は、短時間で、複数のWeb記事まとめサイトで配信されています。

 

 この1月2日のNHK報道では、被災地の患者は、処方せんがなくても、県内(野々市市と川北町を除く)のどこの保険薬局でも、必要な治療薬を入手できる・・・と受け取れます。自分の病気の治療薬を持ち出せなかった被災者は、この報道を知り、安心されたことと思います。

 ところが、この報道では、大事なことが抜けていました

 

事務連絡には、「条件」が書かれていた

 厚生労働省は、1月2日、地震被災者への対応として、各都道府県担当部局に向けて、「被災地での医薬品の取り扱い」に関する事務連絡を出しました。この中で、今回の混乱のきっかけになったのが、「4 処方箋医薬品(法第 49 条)」の部分です。


 事務連絡には「医師等の受診が困難な場合、又は医師等からの処方箋の交付が困難な場合」という条件があります。

 

 被災地では、道路が寸断されるなどの理由で、医療機関を受診して医師から処方せんを受け取ることが難しいケースがあります。また、「かかりつけ医」が被災して受診できないケースもあります。事務連絡は、このようなケースを念頭に置いたものだと解釈しています。


 ただ、この事務連絡の文面からは、「医師」というのが患者の「かかりつけ医」だけを指しているのかどうか、はっきりしません。

 

週刊誌でも取り上げられました

 知り合いの薬剤師から、金沢市の親戚に避難された被災者が薬局に来られ、「NHKで、薬局へ行けば薬がもらえる・・・と言っていた」と主張されて、対応に困った・・・という話を聞きました。また、親戚の被災者を受け入れた近所の方からも、同じような相談を受けました。報道を、自分にとって都合よく受け取ることは避けられません。

 

 同じような経験をされた薬剤師が少なくなかったのでしょう。1月17日に配信された 「NEWSポストセブン」では、「《能登半島地震》NHKが薬購入について“勇み足”報道 被災地の薬局に被災者が殺到する大混乱」という記事を掲載しています。

※こちらから、全文を読むことができます。

 

 週刊ポストの記事では、「NHKの記事は訂正の告知がないまま修正され、処方箋なしでも薬が受け取れる条件が追記された」と書かれていますが、確認すると、確かに、1月7日に、次のような記事内容に修正されています。

 

同じ混乱を避けるために・・・
 今回のような大地震の発生直後は、当然のこと、被災者は混乱しています。また、保険薬局、薬剤師や薬局スタッフも、地震の被害を受けているかもしれません。

 

 このような非常時なので、薬剤師も、2日夜のNHK報道をキャッチできず、被災者対応の準備が整えることができなかったとしても、無理もないことだと思います。

 

 NHKにしてみれば、被災者に少しでも安心していただこうとの思いで報道されたこととは思いますが、結果として、さらに混乱を生じることになりました。

 

 ただ、今回のような混乱は、新たな災害時にも起こる可能性があります。大切なことは、再び、同じことを起こさないことです。そのために、次のような対応(案)はいかがでしょうか? 

「受付窓口」とするか「相談窓口」とするか(対応窓口の一本化)を含め、その先の具体的な手順(保険薬局への伝達方法、調剤ステーションの設置、モバイル・クリニックやモバイル・ファーマシーとの連携など)を決めておくとよいと思います。

 

 この他にも、重要なトラブルが起きているかもしれません。忘れないうちに記録し、具体的な対策とともに共有することが必要だと思います。

 

 最後に・・・
 のと里山空港も、27日から、能登‐羽田便の運航を再開(火、木、土)します。
でも、被災地の電気と水道などのインフラ復旧作業は、今なお続いています。

復興への道のりは遠く、まだまだ続きます・・・

 

●余談ですが・・・

 今でも、記憶に焼き付いていることがあります。

ポートアイランドの救援物資備蓄センターでの2泊3日の作業の後、徒歩で三ノ宮まで戻り、青木駅から阪神電車で大阪駅に向かいました。大阪に近づくにつれて、沿線のブルーシートは見えなくなり、電車に乗り込んでくる客は “普通の生活”をしている人達でした。被災地からほんの30分ほどで、震災とは無関係の世界に変わりました。
あれは“別世界”だったのだろうか・・・? 
あの時の違和感、記憶に焼き付いています。

 

※1995年の「阪神淡路大震災」の時は、病院長の許可を得て、日本薬剤師会から被災地に救援派遣していただきました。その時の体験は、「日本医療情報学会誌」の特集記事として掲載されました。
 70歳を越えた今、現場での支援は足手まといになるだけですので、自分なりに・・・