御嶽宿いい感じでしたねぇ
え? 何のことかわからん
ちょっと遡って読んでいただければ、御嶽宿が出てきますので・・・
ここに貼っておきます
さて、中山道の旅ですが
だんだんと山が近づいてきました
今はどの辺りかというと
現在名古屋の右上辺りです
ここが御嵩宿
左下の御嵩共栄会は関係ありません
今回目指すのは
細久手と書いて ほそくて
そう、細くて別嬪のいる 細久手宿へ向かうのです
経路はこんな感じ
徒歩で約3時間ですが
走破するのは、この子
出力は1馬力です
馬一頭分
無事にの到着できるのでしょうか
現在オドメーターは2518km
ついでに距離も測ってみましょうかね
では、いざ出陣です
御嵩宿を出発し、私たちは再び国道21号線にでました
DiBlasiさんは
大きな道が苦手なので
結構気を使います
岐阜のこの辺りのローカルルールも知らないし
というのは
全国各地を走っていて気がついたんですが
その土地その土地で
独特なローカルルールがありますよね
運転していて
一番びっくりしたのは
長野県を走っているときでした
確か、片側1車線で交通量の結構ある道
直進優先ですよね普通
でもね
右折優先・・・
少しでもスピードを落とすと
右折車が曲がってくるんですよ
もうビックリ
片側1車線で右折待ちしてると後続車も停車するでしょう
対向車線のドライバーが譲るようになったんでしょうね
そのせいで、右折優先が当たり前になったんですかね
ま、初めて和歌山県で運転した時は
前の車が青信号の交差点の前でブレーキを踏んで
何で止まるんかなぁ?って思ったころウインカーが出て
左折していかれました
みんなそんな合図の出し方だから、教習所でそう教えているのかと思うほどでした
ふぅ
気をつけましょう。安全運転です
しばらく走っていくと、お墓が・・・
街道沿いには、お墓が多いと思いませんか
こちらは和泉式部廟所
和泉式部って誰やねんと思ったそこの貴方!
私も知りまへん
和泉式部をググってみます
なになに
和泉式部とは
情熱の歌人!と讃えられた平安時代の女流歌人だそうです
へぇぇぇぇ
情熱といえば
与謝野晶子さんも情熱の歌人と呼ばれていたような・・・
学が無いので、歌人と言われてもよくわからんのですが
歌手でいえばUAでしょうか
情熱って歌ってたし・・・
ここで写真を とも思ったんですけど
やっぱ そっとしておきます
最後の詩はどんな詩だったんだろう・・・
「ひとりさえ渡れば沈むうき橋にあとなる人はしばしとどまれ」←石碑より
これじゃないだろうな・・・
これ普通に読んだら、
「やっべ!一人で渡っても沈むやん。後ろの人はちょっと待ってや~」
「押すなよ!」「絶対押すなよ!」って声が聞こえてきそうです
・・・
学のある人素晴らしい解説をお願いします
まだまだ 街道の旅は続きます
牛の鼻欠け坂に到着
え~っと
めっちゃ急です
どれぐらい急なのか想像つかんでしょう
荷物を載せた牛の鼻が地面にこすれてしまうぐらいの急坂です
う~ん分らんわ!ってお叱りを受けそうなので
DiBlasiさんに上っていただきましょう
・・・・
たったこれだけ走って動かなくなってしまいました
この先もっと急な坂が待っています
ここで、どれぐらいの坂なの具体的に説明を
ごほん!←偉そうに咳をはらう音
例えるなら、砂利道の暗峠!
(大阪と奈良を結ぶ暗峠より)
これが一番しっくりきました
良い写真が無いので動画で見ていただければと思います
が、途中でエンジンも止まり
人力で峠を通過
そして、再び走り始めました
続いてやって来たのは謡坂
うぅぅぅ
石畳です
小径タイヤのDiBlasiさんは
石畳が苦手
押してもまともに動きません
ちょうど、車止めもあったので
ここは素直に迂回です
ちなみに謡坂は
坂を上る苦痛を和らげるため
歌を歌いながら上ったことから
うたう坂
↓
謡う坂・・・
そういや、歌ってる坂ってあったよな
乃木坂?
↓
欅坂と変わって・・・
不協和音を出しながら
僕は嫌だ!って言ったらしいんです・・・
って、なんでやねん
で
なんのひねりも無く
謡坂と呼ばれるようになったそうな
もっとボケなさいよ・・・
アホなことを考えて、坂の下へ
さて、迂回しますか
あれ?
エンジンが
不調和音?
・・・・
続きは次回
動画はコチラです
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