ぼちぼちと
中山道の旅
前回は中山道の伏見宿でした
東海道の伏見宿だと、京都ですが
こちらは岐阜です
う~ん
差がすごい
さて、今回は伏見宿から御嶽宿へ向かいます
国道をはずれ、中山道はこちら
細い道を下っていくと
真っ直ぐに伸びる一本の道と交差します
この道は、名鉄八百津線の廃線跡です
名鉄広見線の明智駅から八百津駅まで
約7kmを結んでいました
その線路も、2001年に廃止になり
今は遊歩道になっています
日本の繁栄を支えた鉄道も、コロナから岐路に立っていますね
もしかしたら貴方が住む街の鉄道も
いつの間にかひっそりと無くなっているかもしれませんね
街道の話に戻りますが
伏見宿は飯盛女
いわゆる大人の仕事をする女性たちが多くいました
借金のカタでこの宿場にいたのでしょうか
だれも好き好んで こんな仕事をするわけもなく
早く宿場から出たかったことでしょう
当時
宿場から少し離れたこの場所
ちょうど八百津線跡の脇あたりに
一本の大きな柳の木がありました
この柳に櫛をお供えすると
苦死から逃れ、早く親元に戻れる
そう飯盛女の間で信じられていました
今でも柳のあった場所からは、小銭や櫛が出てくるそうです
それでは、国道に戻り御嶽宿へと向かいます
中山道は国道とくっついたり離れたりを繰り返し
東へ向かいます
一里塚跡がありました
比衣の一里塚は
碑が残るのみです
小さな土盛は、塚の跡でしょうか
さらに東へむかいます
少し行くと、史跡らしきものがありました
ちょっと調べてみます
え・・・
鬼の首塚・・・
ひえぇぇぇぇ
いわゆる墓ですよね
塚って
なので写真は控えめに
ここでどんな物語があったのか
案内板に書かれた文を読みますと
なになに
その昔
関の太郎とか
鬼の太郎と呼ばれたこの男は
この辺りで悪行三昧を繰り返していました
やがてこの男は捕らえられ
首を刎ねられました
その首を都へ運ぶ一行がこの地へ差し掛かった時の事
首を入れた箱が突然重くなり
動かすことができなくなったそうな
仕方なくこの地に塚を築いて弔ったそうな
なんか、怖いので
そ~っとこの場を離れ
御嶽宿へむかいました
国道から離れ
集落に
雰囲気の良い通りで写真を撮っていると
散歩中のお母さんに声をかけられました
御嶽はね・・・
と色々なお話を聞かせて頂きましたが
やっぱ人口減少と
このコロナで観光客がへって
広見線が廃線になるんじゃないかって、もっぱらの噂よ
おほほほ・・・
と 話が弾みました 一方的に・・・
この旅で、地元のかたと話したのは初めてでしたが
やっぱいいもんですね
さ、ディブラッシさんは
広見線 御嶽駅までやってきました
赤い電車、いつまでも走り続けてほしいものです
この駅前から、御嶽宿になります
どうですか
いい感じでしょう
手前の赤いコーンを置いている建物は
撮影禁止だそうですので
ご注意ください
ま、こうやって街並みを写すぐらいなら大丈夫じゃないかなと
勝手に思っています
ちなみに、本陣跡はこちら
御嶽館の横に立派な門がありますので
すぐにわかると思います
なんかいい年の取り方をしている
とても雰囲気の良い町でした
あ、そうそう
宿場の規模は
本陣1軒 脇本陣1軒 旅籠28軒
建物総数66軒でした
動画もありますので
よかったらみてください
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