やっと土曜日です
会社から帰ってくると、疲れからかすぐに寝てしまう一週間でした
さて、街道の旅は美江寺宿へ残すところ一里です
呂久渡場を通り過ぎ
揖斐川へ
当時 呂久川と呼ばれた揖斐川は
大正時代に付け替えられ、流れを大きく変えました
大きな橋が架かり、渡し船は必要なくなりました
橋を渡り、中山道へ戻ります
どこまでも続く農道・・・
街道だった面影は、どこへ行っちゃったのか
ここは、かつて松林並木の綺麗な街道だったらしいのですが
農地造成時に切られちゃったとのこと
ちょっと寂しいですね
柿畑がありました
柿の産地と言えば、和歌山県
調べてみると、岐阜県も柿産地の上位に入っています
へぇぇぇぇ
でも、私 柿はあまり好きじゃないのです
なので、割愛・・・
かと思いましたが
富有柿という品種の発祥の地
原木があるとのこと
・・・
でも、やっぱ
柿は好きじゃないので、割愛
小さな橋を渡ると
美江寺宿です
では、ご覧ください
美江寺宿
じゃん!
う~ん
なんだか、宿場感が無いぞ・・・
本陣跡は石碑が立つのみです
なお、美江寺宿は
本陣1軒 脇本陣0軒 旅籠11軒
家屋総数136軒とこじんまりした宿場でした
名前の由来は
美江寺というお寺の名前なのですが
今は神社になっています
寺から神社に変わったのは
神仏分離の影響かと思ったのですが
どうも違うのです
ここにあった美江寺は今の岐阜市内に移転していました
その跡地に、神社が建てられたようなのです
さらに移転の理由を調べてみると
斎藤道三が自分の城の裏鬼門を守るため
この寺を移転させたとあります
マムシと呼ばれた男は、自領の発展のため
自由に商いを行えるようにしたり、街を壁で囲い敵からの攻撃に備えたりと、街の発展にけっこう尽力したようです。
ま、それも、軍事力を維持向上する資金を得るためなのですが・・・
恐るべし斎藤道三
この寺の移転もその一環だったのではないでしょうか
しらんけど
さて、
美江寺宿
宿場内もさみしいものでして・・・
ひゅーるり~♪
ひゅーるり~らら~です
この宿場、当時の建物が全くと言っていいほど残っていません
そこには、とても悲しい物語が
それは
明治24年10月28日6時38分
本巣市付近を震源とする濃尾地震が発生します
その規模は、あの阪神淡路大震災を上回るマグニチュード8
想像を絶する揺れがこの地を襲います
この地震で
建物は1軒を残してすべて倒壊してしまうのです
造り酒屋布屋
唯一残ったのは、酒蔵であった布屋の建物
酒を仕込む大きな樽を備えるため、広い土間を必要とする酒蔵特有の建て方が幸いし、地震にも耐えたのではないでしょうか
その後、戦災なども経験し
当時の面影は薄れていったのかもしれません
さて、次回は河渡宿を目指します
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