それでは
街道の旅は、赤坂宿から美江寺宿へと駒を進めます
まずは
西濃鉄道の踏切を渡ります
一日数本、石灰石を積んだ貨物列車がこの踏切を通過します
旅客駅もあったようですが、廃れてしまいました
赤坂湊を過ぎ
杭瀬川に掛かる赤坂大橋を渡ります
ふぅ
困りました
参考にしている資料なのですが
この先 いつもの半分ぐらいしか無いのです
恐らく、な~んも無い
そんな気がしてきました
だって、別の話題で半分ぐらいページ使ってるんですもん
・・・
どうしましょう、この先の二里八町
9キロの距離を
どうすればいいんですかぁぁ
神さまぁぁぁぁ
・・・
長浜で見た あぁ女神様のフィギュア
あぁ 女神様?・・・
ということで、
話題が無いのです
困りました
動画を作るのも困りましたが
ブログにもネタがいるのです
街道を走っていくと
一里塚の碑がありましたが
よく見ると、本来の一里塚は西へ30m程の所にあったようです
丁度そこは家が建て替わっていたので、碑が邪魔になったんでしょうかね
こちらへ移されたようです
昔の遺構を示す碑も、土地の方の善意で場所を提供し、建ててあるんだなと改めて思いました
先へ進みます
養老鉄道東赤坂駅近くの踏切を渡り
しばらく走ると
カーブがあります
このカーブ
ただのカーブではありません
なんと、名前がついているのです
その名も
七回り半・・・
ちゅ~と半端やなぁ~~~~
という声が聞こえてきそうですが
7回り半なのです
そう、街道には曲線がつきもの
それは、城を守るための仕組みだったりします
京街道にあったのは七曲り
地図で見ると、こんな感じで曲がっています
(国土地理院地図を加工)
これは、進軍してくる敵の向きを変えて
軍の規模などを把握するための仕組みでした
ではこの七回り半は何のために作られたのか
調べてみましょう、
まずは城跡があるのか
グーグルで城跡を見てみます
な・・・なんじゃこりゃ~~
城跡だらけです
なんだかアプローチを間違ったようです
それではネットでググってみましょう
が・・・
それらしい城も出てきません
困りました
ま、深いことを考えずに先に進みます
↑↑
おいおい
走りながら数えていたのですが
はっきり曲線だと分かったのは7か所でした
では、7回り半の半って・・・
半分の曲線って
半分でも1は1やろし
航空写真でも見てみましょう
(国土地理院提供 昭和22年撮影)
上から見ても、7か所です
う~ん
謎です
途方に暮れてしまいました
・・・7回り半
調べると、最初に出てくるのは
光の速さ・・・
江戸時代の人は光が1秒間に地球7周半する速さだなんて
どうでもいいだろうし・・・
う~ん
困りました
もう一度 七回り半と中山道でググってみると
なんだかもっともらしい記事が出てきました
出所はコチラのブログからです
どうも、参勤交代の際
籠に乗ったお殿様が自らの行列を見るために
このように曲げているようなのです
どのように見たかというと
鉄道でこのような映像がありますよね
先の機関車が見える映像ね。
これがイメージで
大井川鉄道
参勤交代の際は、籠に乗ったお殿様は、七周りに差し掛かると、後ろを振り返り隊列の様子を確認したと
後ろを振り返りったり前を見たり繰り返すこと7回、
最後に前を向いたのを半と数え
7回り半・・・・
へぇぇぇぇぇ
京街道は7曲がりと曲線の数だったが
7回り半は殿様が首を動かす回数なのかぁ
ほ~~~
ほんまかいなぁ~~~~
と
そんなお話が残る中山道
美江寺宿まであと一里半
話題が続くのでしょうか・・・
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