青墓宿を通り過ぎ
もう間もなく昼飯町です
え~っと昼飯(ひるめし)ではありません
昼飯(ひるい)と読みます
垂井線の下を潜り
昼飯町の集落へ入ります
で、昼飯の由来ですが
ご想像の通り
ここで昼飯(ひるめし)を喰ったから、昼飯(ひるい)となりました
え~い
なんのこっちゃ分らんわというそこの貴方の為に
少しだけ説明を
ここ如来寺も
昼飯町の由来に関係しております
ほわほわほわわわ~~~ん←妄想の世界へ入る音
むかしむかしのお話です
大坂にある和光寺の和尚は
海で発見された仏像を善光寺に運ぶことになり
田吾作や権兵衛ら人足と共に善光寺に向け歩いていました
仏像を運ぶ一行がこの辺りに差し掛かった時のこと
(市原悦子さんと常田富士男さんの声を想像してね)
権:「お~い 田吾作ど~ん お~い」 と
後ろを歩いていた権兵衛が大きな声で呼んでいます
前を歩いてた、田吾作が
田:「なんじゃ~~~権兵衛どん」 と返しました
権:「おら~もぉ 腹が減って 腹が減って 歩けねぇだ」
と、だんだんと声も小さくなっていきます
一緒に歩いていた和尚さんは
和尚:「しょうの無いやつじゃのぉ・・・ここらで、一休みするか」
権:「やったぁ~」←飛んで喜ぶ
和尚:「慌てるでない、先に仏さまを拝んでからじゃぞ」
ぽくぽくぽく←木魚の音
なんまんだぶ なんまんだぶ
ぽくぽくぽく ち~ん
和尚さんは、仏像を前に昼のお経をあげ終えると
和尚「おい皆の衆、それでは 昼めしにするか!」
と言ったものですから
待ちに待った権兵衛たちは
大の大人が、「ひるめしじゃ ひるめしじゃ」と
おおはしゃぎ
お経が終わる間、ずっと我慢していたので
ひるめしは 今まで食べたことが無いような美味しさだったそうな・・・
仏像が善光寺に無事届いたあとも
人足の間で”ひるめし”を喰った所と呼ばれ
地名が「ひるめし」となりました。
ですが、あまりに下品だということで
飯の字を「い」と読み
「ひるい」と改められたそうです
なお
仏像の供養を行った場所に如来寺が建てられました。後に当地へ移り今も善光寺如来の分身仏が祀られています。
注意:上記の内容はフィクションです
詳しく知りたい方は
ここに看板がありますので、当地で読んでみてください
おっと、こんなことに大半を使ってしまいましたが
先を急ぎます
左側には細長い空地が続きます
この空地は、金生山から産出された石灰石を運ぶために敷かれた鉄道の線路跡です
西濃鉄道の昼飯線がここを走っていました
高度経済成長期は、たくさんのホッパ車が鉱石を積んでセメント工場まで走っていましたが
だんだんと輸送方法がトラックに置き換わり
廃線になってしまいました
街道を進んでいくと、昼飯線の踏切跡をこえ
この向こうが、赤坂宿になります
長くなってきたので←昔話なんか書いたから・・・
また明日
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