さて、一里塚を出発し
あと少しで醒井です
北陸道の下を潜り
街道は続きます
久々に、門屋のある屋敷がありました
趣がありますね
中山道を進んでいくと
国道21号線へ
ここは樋口というところで
醒井に宿場ができるまでは、こちらが宿場だったようです
押しボタン信号をポチっとな
信号が変わり、樋口の集落へ入ります
東山道時代の宿場であった樋口は
宿場が醒井に移った後は、立場として発展したようです
ここを過ぎると、再び国道へ出ました
国道を走っていると左側に小さな祠と案内板がありました
頻繁に車が来るので、うまく写真が撮れませんでしたが
あの石碑にはこう書かれています
「一類狐魂等衆」と・・・
まず、読めん・・・ そして、調べても意味が分からん
謎の いちるいきつねたましいなどしゅう
横の説明板を読んでみると
ちょっと悲しい物語
ある日のこと
旅の老人が、宿場の見付の石垣にもたれかけ
「母親の乳が飲みたい・・・」とつぶやいていたそうな
え~っと
現代なら、通報されて捕まっているかもしれません
当時も、誰も相手にしませんでした
が、近くを通りかかった乳飲み子を抱いた母親が
「私のでよかったらと・・・」超絶神対応
老人は
目に涙を浮かべながら、一口二口と口にし
「本当の母親に会えたような気がしますと」お礼を言った後
70両のお金を手渡し、そのまま亡くなったということです
お礼にと頂いた70両ものお金
その母親は、受け取ることを遠慮し
老人を埋葬した墓のたもとに
この碑を立てて、供養したとのことです
なんか不思議な話ですね
通りすがりの女性が、見ず知らずの老人に
今では考えられないことだと思います
再び国道を離れ
中山道は進みます
六軒茶屋辺りに来ました
ここは、六軒の茶屋が連なっていたのでこう呼ばれています
そのうちの一軒がつい最近までここにあったようなのですが、それも取壊されたのでしょうか
更地になっていました
やはり、こういう建物は、個人で維持するのは大変で
全体で保存していかないと、どんどんなくなっていくのでしょうね
醒井宿の端っこにやって来ました
飛び出し坊やが現れました
この辺りは、子供が多いのでしょうか
飛び出し坊やをよく見ると
あまり可愛くないですね
宿場の中心部へやって来ました
おぉ
なんか、保存地区っぽい佇まい
思いっきり手が入ってないことを祈りながら進みます
宿場内を流れるのは地蔵川
宿場の東側にある湧水
「居醒の清水」から湧き出る水が
川となり流れているのです
醒井という地名も
日本武尊(←ヤマトタケルノミコトと読む)が
伊吹山に住む大蛇(山神の化身)と闘い、傷を負います
日本武尊は、毒に侵され 高熱を出し倒れ
生死を彷徨うことに
この地まで家臣たちに運ばれ
ここで湧き続ける清冽な水で体を癒したところ
高熱が下がり目覚めたというお話から
醒井と呼ばれるようになったと・・・
どこまでホンマなんでしょうか・・・
恐らく、熱を出してここの水で冷やしたのはホンマだと思いますが
大蛇と戦いって・・・
盛りすぎの様な気がします
もしかしたら、マムシに噛まれて寝込んでいたのかも
詳しくは、日本書紀を読んでください
私にはさっぱりわかりません
難しい話をしていると、腹が空いてきますね
もう少し奥へ進みます
問屋場がありました
この宿場の規模は
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠11軒とそれほど大きくはありませんが、問屋場は7軒と物流中心の宿場です
手前には、地蔵川が流れ
清流でしか育たないバイガモがゆらゆらと
川の流れに身を任せています
醒井 ええところでんな
程よい宿場です
近くの和菓子屋によって
水饅頭を頂きました
この旅で初めてのおやつ
疲れがす~っとひいていきます
醒井宿
本陣は無くなっていましたが
駅からも近く街並みも、ノスタルジーな雰囲気を残しいい感じです
ここまでの動画は
コチラになります
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