さて、

前回デザートへと書きましたが

街道の旅の事を忘れておりまして、戻ります

 

 

 

鳥居本宿の本陣は無くなり、洋館に変わっていました

なお、高宮宿から鳥居本までの距離は

2363-2355=8kmです

ちょっとウロウロしたので、少し距離が伸びていますが

 

 

 

 

ほぼ直線で、6km程度

なんでこんなに近いんでしょうね

普通に歩いても2時間程度です

 

街道を番場宿方面へ走っていくと

大きな屋根の古民家が現れます

 

なんか、庄屋チックな建物です

DiBlasiと比べて、非常に大きな建物です

(比較対象を間違っているような・・・)

お寺の様な屋根でしょう。

ここは薬局です

 

赤玉神教丸という和漢胃腸薬を製造販売しています

 

それも

350年前から・・・

 

350年というと1672年

寛文12年 徳川家綱の時代・・・何した人やろ・・・

 

この胃腸薬

説明書を見ると、15歳以上15粒という結構な量を飲まないと駄目です

小さな粒なんでしょうね

 

ちょっと思い出したのが

小さな子供に飲ませた あれ

 

赤ちゃん夜泣きで困ったな♪ かんむし ちちはき困ったな~♪の宣伝で有名な

(関西人しか知らんかな)

 

樋屋奇応丸(ひや~きおうがん)

これも小さな粒粒だったでしょ

樋屋奇応丸も300年以上歴史があります。

赤ちゃんに2~3粒小さな粒をのませた記憶があります

 

赤玉も一緒のサイズなのかもしれませんね

 

だんだんと街道の話じゃなくなってきましたが

もどります

 

ここへ来るまでに藁葺の古民家が結構残っていましたが

やはり、維持が難しいのでしょうか

このように、屋根が落ちてしまっているところもありました

 

 

 

鳥居本宿をすすみ

宿場の端っこへやってきました

この川の向こう側へいくと

 

中山道は峠道になります

 

橋を渡って、中山道を辿ると

 

え~っと

 

よその人の家を横切ります

 

通っていいのかしら

 

とりあえず、エンジンを切って押して行きますと

 

 

 

直ぐに峠道へ

左側が中山道

右側は新しくできた道です

 

左側の道は、ちょっとディブラッシでは走れそうにないので

新しくできた道を行きます

この辺りで、中山道と交差するのですが

どこだかさっぱりわかりません

新しい道を走って正解です

 

一生懸命坂を上るディブラッシさん

やっとの思いで峠辺りに来ると

小さな集落がありました

 

ガイドブックでは、古い街並みがあったのですが

建物が取壊され、更地になっているところもちらほら

 

やはり、維持していくのが大変なのでしょうね

 

あ、そうそう

この峠の名前ですが

 

摺針峠(すりはりとうげ)といいます

あるとき、修行のため、諸国を歩いていた弘法大師が

この峠にやってきました

まだ、若き修行僧であった弘法大師

毎日の厳しい修行に、ちょっと疲れていました

 

その時、この峠で斧を摺る老婆と出会うのです

 

けっして包丁を研いで、休んでいる弘法大師を喰おうとしているのではありませんよ

それは山姥ですから・・・

 

恐らく、こんな感じのやり取りだったんじゃないかな

 

若き修行僧は老婆に尋ねました

修行僧「婆さん、なぜ斧を研いでいる」

 

婆さん「はい、お坊さん・・・ 私は、たった一本しかない大事な大事な針を折ってしまったのです。これでは、針仕事が出来なくなってしまいますから、家にあった斧を研いで、針にしようと思うのです」

 

が~~~ん 弘法大師がショックを受ける音

 

この老婆、斧から針を作るに、どれぐらいの月日がかかるのか、分かって斧と研いでいるのか?

単なる馬鹿なのか?

それとも、人間必死になれば何とかなるということか・・・

私はこれしきの修行で弱音を吐いておったが

世の中には、もっと苦労している人がいるのだ

 

己の未熟さに気付き、修行に励んだとか・・・

(概ね私の想像ですのでご勘弁を)

 

「道はなほ学ぶることの難(かた)からむ斧を針とせし人もこそあれ」という歌が残っていますが

 

意味は分かりませんが、

「ぼ~っといきてんじゃね~ぞ~~~」と

チコちゃんに叱られないようにしなくてはと

思いました。

 

 

 

 

摺針の一里塚

 

 

摺針の集落を過ぎると

高速道路の側道になります

名神高速道路を作るときに、中山道は壊されてしまったのかもしれません

 

 

小さな祠が見えてきました

 

ここは、泰平水とよばれ

お地蔵さんは、旅人の安全を見守り

この水は、喉を潤わせ、力づけたのかもしれませんね

 

 

峠を下ると

番場西という所にやって来ました

 

 

 

もともとこちらが宿場だったようですが

より米原に近い東番場に宿場が移ったとのことです

 

でも、集落はしっかり残っています

 

こちらの方が、資料館などがあって

宿場チックなのです

 

 

西番場を過ぎると、少しだけ寂れたところになります

 

でも、すぐに番場宿に到着

ここが番場宿

 

純和風の家々が立っていますが

それ程古いものではありません

 

 

本陣跡を示すものは

この小さな碑のみ

 

ちょっと寂し~~ぞ~~~

 

 

 

京都方面を見ます

 

早くから近代化が進んでしまったんでしょうかね

あまり、歴史を感じるものはありませんでした

 

宿場は本陣が1軒、脇本陣1軒、旅籠10軒

やはり峠をかかえているからか

問屋場が6軒ありました

 

さて、恒例の宿場間距離ですが

2369kmー2363km=6km

 

近いですね

峠があるので、この距離なのかもしれません

 

次は醒井宿を目指します

 

あ、そうそう

動画もありますので

よかったらどうぞ

 

 

 

 

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