東海道線をガタガタと音を立て貨物列車が通過していきます
あの貨物列車はどこへ行くのでしょうか
さて、私たちも 街道を巡る旅を続けます
道は
所々に雰囲気の良い所も残りますが
生活道路や幹線道路に姿を変えています
最近できた道と違うのは
何とも言えないカーブを描いていることぐらいかな
大宝公園付近までやって来ました
トンネルからここまでは
1.5km
う~ん
ほとんど進んでない
バイクに乗っているのに
こんなにのんびりしてていいのでしょうか
先を急ぎます
そうすると、
こんもりとした盛土の上に
木が生えています
おお!
これはもしや
一里塚ですか!!
一里塚は現代のキロポストの様なものです
その名の通り、一里毎に塚を作り
崩れないように木が植えられました
本来は両側にあるようなのですが
ここは、片方が残っています
資料によると、築かれた当時よりも縮小されているようですが
立派な街道遺構です
今宿一里塚
おお
なんだか街道らしくなってきましたよ
京都の大宅の一里塚以来です
それに、大宅の一里塚よりもはっきりと形が残っています
(京都 大宅一里塚)
それにしても
昔の人は、どうやって江戸からここまで測量したのでしょうか
気になります
一里は約4km
伊能忠敬のように歩幅で計ったのかな
ネットで調べると、用地の面積を測量する方法は出てきましたが
距離はうまく見つけられませんでした
紐を引っ張って測ったんかな・・・・
う~ん謎です
そんなことよりサンバーよ
江戸時代からあるにしては、木が細くね?
と疑問に思っているそこの貴方
そうなんです
私も思ったのですが
木が若すぎて、もしかして作り直したの?ってはじめ思ったのですが、
実は
昔からある木は枯れちゃって、今は無いのですが
その木の根から新しい芽が出て
しっかりと一里塚を守っているんです!
なんか凄いでしょ
と、ひとり興奮している私
一里塚の前で、ニヤニヤとしながら ひとり写真を撮りまくっているので、そのうち
誰かに通報されないかしら・・・・
いや、なんでこんなに興奮しているかというと
草津宿を出てから、しばらくすると
あまりに普通の道でして
この先どうなるのか不安だったのです
(伏見宿 寺田屋)
まあ、史跡でもまわれば、見るところもあるのですが
なんせ今回の旅のテーマは街道です
街道の現在の姿を映像に残そうという
壮大なプロジェクト・・・・(盛りすぎ)
そんな中で現れた今宿の一里塚
それも、ほぼ完全な形で残っていることに感動してしまいました
勢いあまって動画まで撮ってしまいましたが
それは後ほど
さて、守山宿まであと少しです
守山は 京都を出発した旅人、特に女性が
最初に宿をとる宿場だったようです
なお、男性は、もうひとつ先の武佐宿まで歩いたようです
京都三条大橋から守山まで約30kmの距離
けっこうな距離ですよね
みなさん
健康増進で一日8000歩を目標に歩けと言われてませんか?
私もこの8000歩を目標に歩いているのですが
なかなか達成できないのですよ
8000歩 一歩辺り60cmとして 4.8Km
当時の人からすれば
一里もまともに歩けねぇんじゃ 話になんねぇや
と馬鹿にされそうな距離
今も、バイクに乗って街道巡りしてるし・・・
少しは歩けよって声もちらほら・・・・
ブツブツブツ・・・・
と、ひとりごとを言っていると
守山宿に到着です
お、
なんか雰囲気の良さそうな感じがします
この辺りが高札場跡です
さて、
本陣はどこかいな
ここまで来ると、守山宿にもマンションや新しい家が建ち
今風の街に変わりつつあります
あ、 そうだ
本陣 本陣と
宿場をウロウロ探すのですが
見つかりません
グーグルマップを確認すると
行き過ぎてしまったようです
そんなのあったけ??
少し戻りますと
あ、ありました
本陣はこの辺りにあったんじゃね?という
推定地でございます
守山宿
当時を偲ぶものは
あまり残っていないなぁ・・・
本陣が2軒、脇本陣が1軒 旅籠30軒
そして朝鮮通信使の公式宿でもあった宿場 守山宿
古い建物も残っていますが、
近代化が早かったんですかね
さて、ここまでの道中を動画にいたしましたので
良かったら見てください
草津宿から距離が近いので
殆ど編集しておりません
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