今日も全力で1日を駆け抜けた日本中のママさん

 

本日もお疲れ様でした。

子供を連れて出かけると、どうしても

周りの視線がなんとなく気になってしまうのは私だけでしょうか。

 

その視線は決して私たちを助けてくれるでもないのに

優しい言葉をかけてくれるのでもないのに

ただそこに存在していて、私はどうしてもそれを見て見ぬ振りはできなくて。

 

時にはとんでもなく素敵な言葉をかけてくれる方もいます。稀に。

でもやっぱり心のないそれらの方が多い気がして、どこか臆病になって。

 

そんな時でも関係なくニコニコしてくれるのは我が子ですね。

今日は早朝からまだ混雑が続く地下鉄に乗って、用事を済ませるために

横浜近くの駅まで出かけていました。

途中までは主人も同じ電車に乗り、別れる際には気をつけてねハニー、と

声をかけて去って行きました。

 

私は役所の住所を確認するためにやっと携帯を手に取り開こうとした途端、

「携帯禁止!」

目の前から叫び声が聞こえ、目をやると、目の前で優先席に座るおばさんが

私に向かって指を指していました。

ちなみに私が立っていたのは優先席区域にあたります。

その区域に座っていたのはそのおばさんを除き、全員が男性達。

通勤中なのか、大半はスーツを着て携帯電話を触っています。

 

そのまま続けておばさんは私に叫びます

「母親のくせに、自覚もないのか。ったく。」

 

数秒のうちに様々な考えが頭をよぎりました。

まずは優先席で携帯を手に持っていて申し訳なかった。

でもその次には、なぜ私だけに注意をするんだろう。

なぜ子供が寝ているのにそんなに大きな声を出すのだろう。

そもそもこのおばさんに母親の資格を定義される筋合いはあるのだろうか。

私が今日までこの子を育てた間に費やした愛情や時間をこの人は知っているのか。

 

怒りが込み上げながらも私の神経の内部はそれより先に

「恐怖」の信号でいっぱいになってしまっていました。

その信号に呼応して、体はすでに電車の出口へと向かっていました。

 

「くそばばあ」

 

かろうじて降りる瞬間にそう一言叫ぶことが出来たことは唯一の気休めです。


 

車両を乗り換えた後、マスクの中は涙でいっぱいになります。

それでも混み合う電車に乗る人々はもちろん気づくこともなく、

そんな時には気づいたとしても視線以上の何かを与えることもなく

ただただそこに空気のように存在しているだけでした。

でも、それはむしろありがたいように思えました。

この人たちがいなかったなら、あのおばさんに私は何をしていただろうかと。

そう合理よく考えようとしていたのかもしれません。

だってこの世界は本当に冷たい場所だとわかってしまったら

私はこんな世界でこの子を育てていく自身はもうどこにもなくなってしまうから。

 

泣きながら倒れるようにホームの椅子に座り込んで、

ニューヨークに住む親友に泣きながら電話をかけました。

日本の早朝はニューヨークの夜なので、酔った親友の言葉は普段より拍車がかかり

「そんなに優しいからサンバは自分が傷ついてばっかりなんだよ!

言いたいことは間違っててもいいんだからちゃんといってやりな!

そのくそばばあ、おれがぶん殴ってやっから今度連れてきな?」

と笑わせながら励ましてくれました。

 

世の中のママ達はこんな経験をしたことがありますか。

ママになると強くなると聞くけど、

強くなる本当の理由は出産の痛みなんかじゃなくて、

女性の元来の才能なんかじゃなくて

こんな理不尽な文句をナイフにして好き放題投げつける奴らが

いつまで経ってもいなくならないからじゃないですか。

 

それが本当の理由ならば、私はそんな風に苦しむママが一人でもいなくなるように

一人で我が子の前で涙をこらえながら今日も頑張るママが笑顔になるように

どうにかこの理不尽な日本の風潮を変えたいと思うんです。

 

とりあえずそのあとはコンビニでチュウハイを片手に曇りない空を眺めたら

びっくりするくらい心がスッキリして、あのおばさんを拝みたくなるくらい

素敵な1日が過ごせたんですけどね。 : )