「僕が本当に人を愛すると、その証に
相手を不快にせたくなっちゃうんだよね~(笑)」
あたかも、愛嬌あることを言っているかのように。
はにかんで笑いながら言う、元夫。
今でも衝撃で覚えている。結婚1年目か2年目のこと。
元夫の赴任先で、彼の勤め先の会社が契約してくれた
アパートのキッチンだった。
「え…?それって…私にとっては、
ちっとも嬉しくないことのになのに
なに『てへぺろ』みたいな顔して笑ってるの?」
今思うと、「結婚したし、やっと取り繕うの止められる」
という感覚だったのかな、と思う。
私には無い感覚。
ある一定のゴールを超えたら(結婚)そこでピタッと
相手への心配り(してるふり)を止めるって、
どういう思考回路なんだろう。
ちょっとずつ、ちょっとずつ。
「どこまでいけるか」相手を試すかのように、
だんだん冷徹さを増して。
本人は「可愛いこと言っている」とまるで疑っていない様子で、
言っていること自体に加えて、その全体的な「ズレてる感」が衝撃だった。
明らかに、私の感情への配慮は、彼の眼中に無い。
「でもここで問い詰めたら、またきっとキレるしな…」
と、元夫の言葉に凍りつきながらも、
静かにキッチンでの作業を続けたのを覚えている。
本当、最初から危険信号の連続だった。
いつも「キレる」という強硬手段。
都合が悪いと怒りでごまかすのだ…。
結婚してから「あの時はキレてごめん!今後は気を付けるから」
という毎度お馴染みだった彼からの謝罪も、パタッと止まった。
結婚後は「なんでいつも俺が一方的に謝ってんだよ!謝れ!一生話しないぞ!」
といわれた。理不尽な理由で急にキレ出すのは相手なのに…。
「でもそうなのかな?」と当時の私は思い、
色々と謝り出すと、「なんなの、気持ち悪いんだけど」と言われる。
元夫が理不尽にキレたことに、
私が涙して…「もう無理」と思ってると、
優しく「本当にごめんね」と抱きしめてくれたのは、遠い遠い過去だ。
いや、どうやらあれは幻だったようだ。
あれは相当がんばって装っていたのだろうと思う。
電話が遠くて、私が「もしもし」と数回「言い過ぎ」
たのが原因で「うざいんだよ」と怒鳴られたり。
夜中に寝ぼけながら子どもの汚物を洗ってると、
「なんだよムスッとして感じわりーな!」
といきなり怒鳴られたり。
優しい彼と親しそうに身を寄せ合っている友人カップルを見て、
「いいなぁ、心の優しい彼氏で…」と涙が出そうなのを
必死にこらえたのを今でも思いだす。
そんなに泣きそうなくらい毎日ヒヤヒヤしてたのに、
結婚してしまったのは、優しい時と怒っているときの
温度差に混乱してだと思う。ある意味、詐欺。
あとは、思い返すといつも大きな決断を
「急がなくてもいいよ!けど、なるべくすぐに決めて」
と巧みに急かされていた気がする。
「なんで、関係続けたの?」
人に何回かデリカシーのないことを聞かれた。
(これ本当に被害者に聞いちゃダメなヤツです。)
なぜ、関係当初優しくしてくれて巧みに「騙された」人が問題なのか?
なぜ、相手や関係を救いたい、と頑張ってきた人が問題なのか?
なぜ、きっと本人も悩んでるから、と耐えてきた人が問題なのか?
なぜ、「優しいときもあるから、いつか安定して優しくしてくれるのでは?」と希望を持った人が問題なのか?
なぜ、きっと私が考え過ぎなのかもしれない、と不安と孤独に戦ってきた人が問題なのか?
なぜ、お金を操作されて一銭ももっていなくて逃げられない人が問題なのか?
そして、関係続けてませんから!離婚しました。
ほかにも「なんでもっと早く離れなかったの?」という質問。
本当に、返す言葉がない。
こういうタイプの質問をする人は恐らく早めに離婚してたら
「あんないい人なんで離婚したの?」
と言っていただろう。
DVに関しては、外野の声は、例えどんなに近い人でも
プロフェッショナル以外からは聞かない方がいいと学んだ。
なぜなら残念ながら被害者を責める「偏見」が本当に多いからだ。
すでに精神ズタボロなのに、
たとえ悪意はなくとも軽率な質問は
「傷に塩を塗る」。極力、避けるしかない。
DV救済のプロは全部知っているので、苦しんでいる人は
ちゃんと信頼のある、例えば内閣府の「配偶者からの暴力被害者支援情報」
などを通して、プロととりあえず話をするといいと思う。
(精神的暴力も暴力です)
恐らく多くの人が「たかがこんな事が理由で悩んでるなんて言えない」
と思っているのでは、と思う。
「たかがこんな事」でって、
加害者が被害者に対してよく使う言葉。
だから自分に対しても自然と使ってしまうけど、
苦しんでいるならそれは「何かがおかしい」列記とした証拠。
DVに長年関わってきたLundy Bancroftという人が書いた著書で
(本当に助けになるので、洋書読む人はおすすめです。)
「加害者の悪癖は直は直るけど、
たとえ稀に加害者本人が本気で直したいと思っても、
10年単位で『少し』しか変われない。
だから、生きてるうちに少し変化はあっても
生涯のうちに『普通の人』になることはまずないでしょう。
それでも本当にいいのかよく考えてください。」
というようなことが書いてあって、
(洋書&記憶から書いてるので
若干違うかもですが)
結構それが個人的に衝撃で、
「いつか変わるんじゃ」という、
ずっと抱いていた淡い期待を
「払拭」してくれました。
支援団体に1本の電話をかけるのも
死ぬほど怖かったけど、今となっては
勇気だして震えながらも電話をかけて
ほんとうにほんとうに良かった。
たとえ泣きじゃくって何も言えなくても
それでも大丈夫。私は電話口で泣いてばっかりでした。
そんな感じで、振り返って色々頭に
浮かんだことを書き出してみました。