Interview with the sam.

Interview with the sam.

のび太よりドジで高倉健より不器用な僕のロータリーエンジンを吹かしたかの様に空回る日常。
楽器やカメラ、スケボー、オープンカーからの景色、美味しいコーヒーとお酒、綺麗な人が大好きなただの貧しい学生です。Maroon5、GLAY、L'Arc。最近ドMだと気づきました。

Amebaでブログを始めよう!
上京後にブログを書くのは初めてでしょうか?
お久しぶりです。
なのでいつも通り長くなりますよ笑

今年の春、北海道は冬ですが
3月28日に故郷の北海道函館市を旅達ち
幼少期からの憧れだった
横浜市
いや YOKOHAMAへ上京した。

出発の日は父親が函館空港まで送ってくれた。
最初は親友のふくちゃんが送ってくれる予定だった。
しかし、急遽父親に変わった。
本当に不器用な人なんだと思う。
しかしながら父親だって人間だもの。


しかしながら、父親が送ってくれることによって母親が見送りに来れなくなってしまうとか、正直面倒な事態にもなる。
母が見送りにこれなくなることだ。

母は誰よりも僕を愛してくれていた。
去年の秋頃
僕と同じ苗を捨てた母の部屋で見つけたたくさんの想い出。
父には目障りなのかもしれない。

懐かしい母の外行きの洋服すらも置いて行っていた。
母のけじめなのだろう。
優しさが邪魔して思い切りにかける母だった。
だから人生で最初で最後の破天荒だったのかもしれない。

僕が独り立ちできるまで20数年間、兄の年も考えればおよそ30年間
母の年を考えれば人生の半分以上を僕ら兄弟の為に
自分ではなく僕らを第一に考えていてくれた。

そんな我が子の旅達を見送りにこれないのは母親としては歯がゆい想いだろう。
まあ、子としては血の繋がった両親 二人に見送られるのが一番なのだがそういうわけにもいかない。

見送りには当時の恋人とその母親、ふくちゃんと当時の彼の恋人 そして野村さんが来てくれた。

本当に忙しい中 僕の為に時間を裂いて来てくれるなんて
心から嬉しかった。

そして9時ちょうどになると携帯が故障でも起こしたのかと思うほどに鳴り止まなかった。
またしてもやられた。

サプライザー福本の仕業だった。
9時ぴったりになると
同時に50人近くの友人たちから応援メッセージがきたのだ。

友人というのは一緒に楽しい時間を過ごせるだけでなく、その人の為に時間を作りたいと思える人たちなのだろうと思う。
中でも親友というのは一緒に思い出を作っていける人たち。
おなじ階段を歩んでいける人たちであって
彼らの幸せが自分の幸せになると思える人たちなのだろうと思う。
本当に僕は恵まれた人間で返しきれないほどの想いを抱えています。


そんな想いを背負っての上京でもあった為、僕にとっての上京はある意味で大きなプレッシャーを感じたものだ。

大きく故郷を離れたのはこれで2度目

1度目は留学でオーストラリア ニューカッスルへ
約一年の語学留学だった。

これまた恵まれた話で
羽田空港へ着くと横浜で個人タクシーの事業を営んでいる遠い親戚のおじさんが迎えにきてくれている。
厳密には父方の祖母の妹の旦那さん
どういう風に表記すればいいのやら。

空っぽの僕の部屋
憧れた都会暮らし。
荷物が次々に届いてきて部屋の整理にかなりの時間を費やしたのを覚えている。

4月から仕事が始まり
数ヶ月で仕事以外で大きな経験をたくさんした。
函館にいてはできない経験ばかりだった。
お世話になっているデザイナーさんの展示会
山口小夜子さんの展覧会
世界的フォトグラファーのバースデーパーティ

順調に僕の都会暮らしは走り出した
順調というよりも
最初に飛ばしすぎた。
上京後に出会う人はモデルか女優がほとんどで
加えてフォトグラファーやデザイナー、事業主
東京には山ほどこういう人材がいるのだろう。

本当に刺激が大きかった。
すぐに自分もそんな人たちの世界に溶け込んだと勘違いを抜かしていたから、現実に戻った瞬間は辛かった。

パーティへ行けば、容姿端麗 美男美女
180cm近い僕ですら普通以下の身長に思えるくらいに長身の男性たち
細さは負けなかったけれど。
しかしそんな環境が心地よくもあった
函館だと中途半端な僕ですら
少しは顔が売れていて、少しは僕のことを知っていてくれていたりもする。
そんな狭さが嫌だった。
変に持ち上げられたり、ただいるだけで嫉妬されたり。

そうやって数ヶ月が経った

仕事にも慣れて、気の緩みもでてきた。
僕の住む町は少しばかり特殊で
アジア系の外国人、夜の商売人、風俗嬢、日雇い労働者と言われる人たち、そして立ちんぼやGLBTの人たちが溢れている。
少し歩けば未来都市 みなとみらい
また少し歩けば 元町
一歩はずせば昭和の商店街のような街並みが未だに残っている
なにやら不思議な環境だ。
そんな中で僕は上京したての頃に見知らぬ小汚い格好をした男に自宅マンションの前で声をかけられた
その男は私は体が悪くて働くことができない
金を恵んで欲しいというのだ。
とても戸惑った。
どうしていいのか。
帰宅してからスリランカにいる親友ヤスに相談した。
そこでズバリと一言
お前そんなこといちいちしてたらお前の金がなくなるぞ。

強く握った拳で思い切り顔面を殴られたかのように僕の体に響いた。
半年少し暮らしているとそういう経験も多数してきた。

親友に言われた通りにしている。

しかし正直僕の感覚では考えられないことが当たり前のようにこの町では行われている。

飲屋街も近い為もあるが、よく人が道で倒れている。
初めてみた時、僕は驚いて駆け寄って声をかけた
大丈夫か?という問いに
しっかり大丈夫だと返事が返ってくる。
どうみても大丈夫ではないから
立ち上がれないなら手伝うといっても大丈夫だという。

人が倒れていてもみて見ぬふりというか
何事もないように誰もが横切っていく

この感覚だけは未だにわからない。
倒れている人がいると僕はたいてい声をかけている。
明らかに大丈夫ではないと判断しているから。
だって街路樹の草むらだとか、建物の間にうつ伏せだったり。。。

お前のその行動はおかしいよと言われてもこの気持ちは忘れずにいようと思っている。



そんな気持ちが邪魔して仕事にも影響がでてきた。
僕が神経質すぎると言われたがどうしても納得が行かなかった。

逃げだとか色々言われた。
そう思うのであればそう思ってくれて構わないけれど、ぼくには理解がどうしてもできなかった。

だから思っていることはすべて伝えた。

それでも僕と関係を続ける人、そうでない人。
それぞれだと思う。
何も見ずに何も知らずに生きられたら幸せなのか
きっと不幸になることはないし、間違えもない。
あがけばあがくほどに
深く食い込んでいく。


留学中に自分の居場所を持ち歩くという言葉をとても意識していた。
自分の居場所っていうのは居心地のいいものできっと自分が作りあげていくもの。

僕の上京の目的にはこれが大きな目的の一つでもある。

人間関係の形成は自分次第なんてことはたった20数年の人生で少しは身につけてきたつもりだったけれど
故郷のようにはうまくはいかないものだ。

共通の話題や共通の環境、共通するものが多くある故郷とは違い
0からのスタート
20数年で積み上げたものを試す場でもある。

新しい環境での新しい出会い
今は一人でどこまで自分の居場所を作れるのだろうか。

近頃はそれがうまくできずに、故郷の景色や仲間、気温すらも恋しく思っている。
肌を刺す冷気
寒さを通り越し痛いほどのあの外気が恋しい。
癖のある話し方も。

上京してから聴く故郷の歌は身に沁みて
お米も無意識に北海道産を選ぶ。

こんなにも故郷に敏感になったのは初めてだ。
孤独を隠しきれずにいる近頃

そんな気持ちを感じ取ってなのか
海の上の親友よっちからの連絡で明日、急遽会えることになった。
なんだかこのタイミングには意味があるようで
こんな夜更かしまでしてしまった。

でもこれが僕の憧れた都会暮らし
憧れを期待通りにするのか、不満をぶつけて誰かのせいにするのか。
さっきこの文章を綴る前にふと留学前にふくちゃんが作ってくれたtime誌を手にとった。
こんなにも支えてくれる人がいる。

当たり前じゃなくいつも感謝すること。

ささやかな想いを大切にまだまだまっすぐ生きられそうです。