とうとう分娩室

不思議なもんで、分娩室に入ると、痛みが倍増してくる

子宮口が6センチって声がして、まだまだやんって思って
まだ、この痛みに耐えるのかって

この子早いから、先生連絡しといてーって、
早く、早く、分娩に入りたい
痛みから解放されたい

なんて、思うんじゃなかった

子宮口が8センチ
分娩体制に入るって、助産師サン達が準備してくれてるけど、耐えられない程の痛み

そして、子宮口が全開になっても、なかなか赤ちゃん、出てこないって
産道が固くて、赤ちゃんの頭が見えてるのに、出てこないって

もー本当耐えれない
何度も何度も耐えれない痛みに襲われて、
何度も何度もイキんでも、なかなか出て来なくて

助産師サンに、1回休憩しませんかって言ってみようかな休憩中は、痛みも休憩してくれるかなあー無理、今更ながら、お腹切ってもらおうかなもう手遅れかなんて、色んな事思いながら

先生が到着して、助産師サンが、状況を説明先生が、広げようってハサミを入れてるってか、切られてるのが分かるでも、痛みの方が凄くて、ハサミの痛みなんて、全くない

それでも、なかなか出て来なくて、先生が次出なかったら、引っぱろうって
次で最後にしよって

引っぱるって吸引
頭の形がおかしくなるんじゃ
って思った私は、出てきてーって思いながらイキんだら、助産師サンから次は肩が引っかかってると
産道がキツイなぁって皆、口揃えて
私は、足を置く台に足を乗せれず
足をその台に乗せた体形を取ると、足が攣りそうになり、助産師サンに足がつるーって叫んで、足をカエルのような体形にさせてもらい、もう、辛くなって限界が来ると思ったその瞬間、

「次、イキむ時は、目を開けて、イキんだら、そのまま下見て」

そう、もう産まれるって合図
呼吸法の勉強を受けた時、助産師サンが言ってた
目を開けて、下を向くように言います。産まれてくる瞬間を、その目でちゃんと見てくださいって

見えた
頭が見えて、次背中が見えて、ドロドロで血まみれで、ふにゃふにゃで

やっと出会えた

分娩室に入ってから30分程度、トータル4時間の安産で、私の出産は無事に終えました

出産後は2時間、そのまま安静になるんだけど、なんせ、その日は分娩が立て込んでる日で、次の待ちが待機してるって事で1時間半で部屋へ戻る事に
次、ここに入る妊婦サン、頑張れって思いながら退室しようとすると、物凄いうなり声が
助産師サンにもう、出したいと叫んでる
その気持ち、すごく分かるよって思っていると、助産師サンが私にいきなり振ってきた
分娩室入ってしまうより、まだ陣痛室にいる方がいいよなーって
確かにあの中入ってからの痛みと、まだ陣痛室の痛みなら、陣痛室の痛みの方がマシ
頑張ってーって爽やかに去っていく、余裕の私に戻った

その日、朝から何も食べてない私の、入院最初の夜ご飯
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半分も食べれなかったなぁ
まず、ろくに座れなかったし

傷口はまだ痛いし、痛み止めを夜中に飲みました
出産予定日に産まれなかったら、赤ちゃんが元気なうちに産んであげようねって事で、週明けに強制入院となった私

いつもと違う朝を迎えてました

「怖くないん
と聞いてくる旦那サン

いよいよかぁって意気込んでる私にとっては、怖いとか感情がなかった

促進剤を使うと普通より痛いって聞いていた私達夫婦は、旦那サンと私の温度差があったようで、やっぱり、女は強いんだなぁって感じる瞬間で

予定の8時半より少し早めに病院へ到着

受け付けが終わると病棟に案内されるけど、朝イチってのもあって、退院の人の手続きに追われる看護師さんから、待っててとの事で、ナースステーションの前で待機

9時半に病室に案内されて、病衣を渡され、着替えて待機

もう、いよいよだなぁってソワソワ

10時半頃に助産師サンがやって来て、促進剤の点滴を開始
陣痛を測る機械をお腹に装着して、まだ余裕な私

なんか、痛いまだいける
そんな事を繰り返して、何度も訪室してくれる看護師サンや助産師サンに大丈夫って返事する私

正直なところ、波が襲ってきたら痛いんですが、旦那も横にいて、情けない姿を見せたくなくて、平然を装ってました
寝てるより座ってる方が赤ちゃんが降りやすいって助産師サンからのアドバイスで、ずっと座ってるけど、痛みの波は強くなる一方で、痛い時は、お尻が押されてる感じ

早く陣痛室へ行けないかなぁって思いながら、旦那には笑顔を見せてたけど、看護師サンから、お尻が押されてる感じあるって聞かれ、あるあるーって思った私は、いたって平然を装いながら、あるって伝えると陣痛室へ移動

この日は出産が多く、陣痛室がいっぱいとの事で、分娩室に近い部屋での待機

出産が立て込んで、助産師サンからも、付いててあげれなくてゴメンね
本当は腰でもさすってあげてたいんやけどって
仕方がないし、大丈夫
ってか、立て込んでなかったら、そんな事してくれるんやーって思いながら、痛みの波に耐えてた私

でも、段々、波が強くなって、とうとう、痛みがある時に、うなり声をあげてしまうようになって
一度うなり声を出すと、次からも我慢出来ず、うなり声をあげてしまい、旦那サンからも笑顔がなくなり始めた
そのうなり声が徐々に大きくなり、旦那サンもソワソワしたので、痛みがある時、腰をさすって貰いました
ってのも、自分は痛みに耐えるのに必死で、腰をさする余裕もなくなってたし

そして、とうとう、痛みの波も頻回過ぎて、助産師サンが見に来てくれた時には、私、もがきあがいてまして

助産師サン、びっくりしてた
「いつからそんなんなったん
って慌てて、他の看護師サンも呼び、車椅子がダッシュで運ばれて、
「この子、先入るからー」
「分娩室空けてー」
などなど、色んな声が飛び交い、ダッシュで分娩室へ

本当、12年前の事だけど、こんなに痛かったかなぁって思うくらい、陣痛も痛くて、旦那サンに、これ以上の痛み、もう無理やでとか、なんでこんな痛いのに、まだ産まれてないんと言いながら、陣痛に耐えてました

あー2ヶ月たった今も、痛みの度合い、少しまだ覚えてるし、あの時の状況はリアルに覚えてるなぁ


出産予定日がねぇねの運動会
診察の度に先生に
「いつ産まれるか
「運動会行けるかな
って聞きまくりだった私

計画分娩するか
なんて話も出たけど、先生も私も自然に任せようって事で、ずっとドキドキだったけど、無事、お腹にまだ居てくれて、ねぇねの最後の小学校の運動会へ行く事が出来ました

今は、新しい命がお腹に居るけど、どんな事があっても、ねぇねの事は大事にしたかったから、本当良かった

できちゃった婚で、お金もなくて、何度も親に頼ったり、周りに迷惑かけて
身なりもボロボロになって、心まで病んで、夫婦喧嘩もしょっちゅうして、何度も離婚しようと思ったり
それでも、赤ちゃんのねぇねに支えられて

小さな手を握りながら、寝顔を見るたび、ママ頑張るよって、赤ちゃんのねぇねに励ましてもらって、今の私がいるんだよね

周りは、新しい赤ちゃんで舞い上がって、お腹の赤ちゃん優先でって言うけど、私にとっては、ねぇねがいるから、私がここまでこれたってのがあって、赤ちゃんのねぇねに、何度も、こんな親でごめんねって謝ったり、何があっても、この子だけは守るって誓ったり、そんな思いの中で過ごして来たから、ねぇねが1番大切で

だから、どんな事があっても、ねぇねの行事には参加してあげたかった

お腹の赤ちゃんにも伝わったのか、運動会には余裕で参加出来ました

お弁当はお母さんが作ってくれて、本当、ママには感謝です
体調が良くなくて、大病を抱えてるのにも関わらず、朝起きて作ってくれて、何年たっても、周りに助けられて生きてるって事を感じ、ねぇねの最後の運動会を目に焼き付け、お腹の赤ちゃんが元気でいてくれてる事、無理してまで作ってくれたお弁当を食べて、大切な日になりました
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