ざっくりと自分がデニスカフェチになり今に至ったキッカケを。
70年代生まれの自分の幼少期、つまり昭和50年代には今の様なしっかりしたデニムスカートは少なく、ケミカルウォッシュだったり質素なデニム生地で作られたスカートが多かったと記憶している。
勿論ミニスカート等穿いてる若い娘も少なく、どちらかと言うとおばさんがデニムのロングスカート、しかもマキシでは無い半端な丈の物を見る事が多かった。
幼少期、デニムの半ズボンを穿いていた自分は、初めてデニムの感触に股間が疼くのを覚え、やたら股間を摩っていたが、ある日この気持ちいいデニム生地のロングスカートを穿いた近所のおばさんを見掛ける。
「うわあ…ジーパンの生地があんなに…触ってみたいなあ…」
しかも比較的タイトな物だったので、歩く度に股間部分がパツっと張るのが堪らなく興奮したのをハッキリと覚えている。
まだ射精すら無いクソガキなので、あのスカートを思い出して只管股間を弄るガキ。
ふと、うちにあんなスカート無いかな🤔と親のいない隙にタンスを探る。無い…
普通のタイトスカートならあったので穿いて股間を摩ってみる。スカートのパツパツ感は良いが、やっぱりあのジーパン生地が良い‼️
そうして悶々と過ごし、高学年になった頃一人暮らしから実家に戻った姉の部屋でケミカルウォッシュのタイトなデニスカを見付ける。
家に…あのジーパン生地のスカートがある…
家族が1人もいない隙を伺い、姉のスカートを穿く。生まれて初めてのデニスカオ○ニーである。
ただ1つ難点が…その頃丁度精通を迎えてしまったのである…💦
パンツの中にティッシュを詰め、スカートを穿いて摩る。ティッシュの感触がやはり邪魔になる。
それでも他に方法が思いつかないので家族がいない時は必ず行為に及んでいた。
やがて姉が家から出て行き、またデニスカに触れる機会は全く無くなる。
中学や高校で彼女も出来るが、当時地元でデニスカは流行って無く、滅多に見掛ける事も無いので次第にデニスカに対する執着も無くなって行く。
卒業、就職等を経て実家に帰った20歳過ぎ、デニスカ着用AVがある事をたまたま行ったレンタルビデオ屋で知る。
借りるのは何故か恥ずかしいので中古のビデオを探して買う。
同じビデオで猿の様に抜き、飽きるとまたビデオ屋に探しに行く。
インターネット等無いあの頃はそれが日課になっていた。
やがて20代中盤に最初の結婚をし、仕事上必要になるPCを初めて買って、インターネットを知る。
勿論最初に検索するのは「デニムスカート エロ画像」
そうやって某大型掲示板等で画像を漁り、AVのサンプルを観て満足していた頃、まさかの嫁バレ。
ただ当時の嫁は理解があり、「そんなに好きなら穿いてあげるよ」とわざわざ買って穿いてくれていた。勿論プレイ時にも。
自分でもネットでデニスカを探しては「こんなのどうかな?」と嫁に勧める。
そんな生活も永遠には続かなく、セックスレスになり、やがて離婚。
幸運な事にすぐに再婚相手に巡り逢い、付き合う時点からデニスカフェチである事をカミングアウト。
全てを受け入れてくれた彼女と一緒になり、更には自分がデニスカを穿く事も受け入れられる。
その頃には自分専用のデニスカも購入し、デニスカを穿いてオ○ニーする際は、ゴムを装着して直接に近い刺激で出来る事を覚える。
お互いにデニスカを穿いて行為をしたり、デニスカを穿いた自分の股間を摩ってもらったりと全ての念願が叶っていた。
ただ年月が経ち、嫁はスカートを穿いてくれなくなり、またしてもセックスレスを迎える。
それでも彼女は自分がスカートを穿いてオ○ニーする事は咎めないので、問題無く満足出来る日々を過ごしている。
今の念願はデニムのロングやマキシスカート着衣プレイのAVが観れる日が来る事。
これらが自分がデニムスカートフェチになるキッカケから立派な変態に育つまでの生い立ちになりますww


