イタリア人の友人が教えてくれたこと

 

 以前、中国の上海に留学をしていたときに、あるイタリア人の友人と話をしたことを、ふと思い出した。彼は、毎年、誕生日になると中国語でメッセージをくれる。だいたいが、「生日快乐!你在哪里?」と送ってくれる。名前はジョージ、中国語では乔治と書く。彼と一緒に授業を受け、授業終わりに食事に行ったり、話をしたりしたのは、たったの二週間くらいだったが、僕にとっては初めてのイタリア人の友人であり、今でも唯一のイタリア人の友人である。とにかく、気さくに話をしてくれる彼は本当に絵に描いたような「THEイタリア人」で、その軽い感じのノリは周りを常に明るくさせていた印象がある。そんな彼が話してくれたことで、一番印象に残っていることは、「イタリアでは女性が一人でタクシーに乗れない」という話である。イタリアでは、女性が一人でタクシーに乗ると連れ去られてしまうということだった。いかにもイタリア、という感じのエピソードである。それまで、僕の知るイタリア人と言えば、芸能人のジローラモさんくらいしか知らなかったが、ジローラモはなんと言っても女性を口説くのが好きだという印象がある。実際に、ジョージもジローラモみたいな感じの軽い感じのオーラをまとっており、女性を食事に誘うのが好きだった。おかげで、僕もそんなジョージにつれられて、フランス人の女性と初めて話すことができた。そんなイタリア人の男性が多いからだろう、女性が一人でタクシーに乗ると危険なわけである。他にも、ジョージが教えてくれたことは、僕にとってはなるほどと思うことも多くあった。今はコロナ禍で海外に行くのは難しい状況だが、自由に海外に行けるようになったら、是非ともイタリアに行って、彼と再会したいとの思いだ。そんな僕らの共通語はもちろん、中国語だ。彼は今頃イタリアで中国語を教えているだろう。

と、いうところで今日はこのあたりで再见!

 

毎日野球をするプロ野球選手

 

 ごく、当たり前のことを書くようだが、「プロ野球」は毎日野球をする。スポーツ観戦が好きな僕は、バラエティ番組は基本的にあまり見ない(一部見るものもあるが)。そこで、何も見る番組がないときは、プロ野球やサッカー日本代表の試合、また、時期によっては大相撲を見ることもある。一番好きなスポーツは卓球だが、野球やサッカーなどと比べると市民権を得ておらず、めったに地上波で放送されることがない。さて、今回の話題だが、プロ野球には6連戦や7連戦など、休みなく、しかも日本各地を移動して試合が行われることが多い。勿論、「プロ野球選手」なのだから、当たり前なのかもしれないが、全力で毎日プレーすることが、どんなに大変なことか。いくら好きでやっているとは言え、それを毎日続けるのは、本当に難しいことだと客観的に見て、そう思う。だいたい、プロ野球の試合は18時開始が多い、そこからだいたい21~22時まで試合をして、そこからおそらくはミーティングなり、ストレッチなりして、一日を終え、遠征先ではそこからホテルに戻るということだろう。それを考えると24時以降になってようやく休息、というところではないだろうか。そこから、また、次の日は朝はそれなりに時間に余裕はあるのだろうが、ここが移動日だとしたら、午前中を使って移動、そして、午後に練習をして、また夕方から試合・・・。これを毎日続けるのは本当に大変そうだ。まして、今、メジャーリーグで大活躍をしている大谷翔平選手などは、まさしく異次元だと思っていい。日本とは比べものにならないほどの距離を毎日のように移動しながら、バッターかつピッチャーの練習をし、試合に出続けて、第一線級の成績を残す。もはや、「すごい」の一言では言い尽くせない。その他、多くの世界で活躍するプロスポーツ選手(錦織圭なんかもそうだが)は、日々世界各地を転々して闘っている。

 それを考えると、どんな仕事であっても、毎日あるわけで、それを続けるためには、ある程度の「好き」「充実感」「報酬」などといった気持ちや代償がないとモチベーションは上がらず、続けられないのではないだろうか。そうした考えから、再度自分も立ち返って考えるときに、やはり「好き」であり、「充実感」のある仕事をやりたいという気持ちがある。報酬も勿論大事だが、「好き」であることと、「充実感」が一番、二番のような気がする。先日、中国から日本語教師のオファーがあったことを書いたが。ふと、プロ野球を観戦していて、改めて自分にあった仕事を考えていきたいと思う今日この頃であった。それにしても、お盆は高校野球、お正月は箱根駅伝、長期休暇にはいつもスポーツ観戦。もうすぐ夏休みも終わりです。再见!

 

 

2年ぶりのオファー

 

 先日、中国の学校から日本語教師のオファーをいただいた。思えば2年前、奇しくも新型コロナが拡大していた時に一度オファーを受けて、ビザの申請を進めていたのだが、中々思う通りにビザの申請が出来ず、断念した話だった。そして今回、再び声をかけていただいた。さて、どうしたものか、と思い悩んでいるところである。

 僕の将来の夢は、海外で日本語教師をすること。それが、また少し、現実味をおびようとしている。しかし、また前回同様、新型コロナの脅威は減るどころか、拡大の一途をたどっている。果たして今回は、ビザ申請が上手くいくのか、それが一番のネックである。前回も、警察署に行って無犯罪証明書を取得したり、大学から修了証明書を発行してもらったり、領事館と連絡をとって認証を受けたり、中国側に仕事の許可証を発行してもらったりと、様々動いた挙げ句、結局のところ中国行きの航空券が入手できないというところで、計画は頓挫してしまった。今回もあまりその状況に変化はない。2年経っても、何も変わっていないのが残念ながら今の新型コロナとそれをとりまく周囲の状況である。そして、今現在は新しい仕事をようやく見つけ、軌道に乗ろうとしているところである。今の職場は、来年度の僕のポストも考えてくれており、そうした一連の流れから、このタイミングで果たして中国行きを決断してよいものか、考えあぐねているのである。もし、行くとなれば、早い段階で今の職場にも話を通さないわけにはいかない。かといって、いざビザ申請を進めて万が一上手くいかなかった場合、次の手はどうすべきか、また、無駄な時間を浪費してしまうのか、、、、。家族にこれ以上心配はかけたくない。ということで、悩みは尽きない。とはいえ、2年前には持っていなかった日本語教師の資格を今は持っている。無駄な2年間だったというわけではない。

 実際のところ、どうなんだろうか。僕と同じように、海外で仕事をしようとしている手続きをしている人で、上手くいく方法があれば教えていただきたいものだ。2年前は、中国側に航空便の日程の提示を迫られたが、結局飛行機自体が運行していなかったため、計画書を提出できずに断念した。今はどうなのだろうか。航空券は手に入れられるのだろうか。その辺りのことが詳しくないため、その方面に詳しい人がいれば、教えていただきたい。

 

 

ずっと夢に描いているフィリピンへの英語留学

 

 僕は英語がとっても苦手だ。と言っても、実用英語技能検定(英検)は2級を23歳のときに取ってはいるが、英語よりも中国語の方が圧倒的に話せるし、聞けるし、書けるし、読める。なので、おそらくは今ガリガリと受験のために英語の学習を毎日やっている高校生の方が、今の自分よりも英語が分かるのだろうと思っている。そんな僕がここ数年描いている夢が、フィリピンへの英語留学である。個別指導の体制がしっかりしているらしく、費用も欧米に行くよりもお得ということを聞いて、コロナ前は本気でフィリピンに行きたいと思っていた。願わくば、仕事を半年くらいせずに、留学だけをしにフィリピンに行きたい。理由はやはり、英語が出来れば世界のいろんなところに行ってコミュニケーションが取れるのだろうという淡い期待があるからだ。勿論、僕には中国語という武器があり、アメリカに単身旅行が出来たのは、中国語とほんの少しの英語ができたからだとも思っている。がしかし、英語ができるのとそうでないとでは、見える景色も変わってくるだろう。

 留学の意味。様々あると思うのだが、いろいろな国の人のイメージが、それまでは単なる「イメージ」に過ぎなかったものが、「本物」としてはっきりと分かるようになる、というのが僕個人の意見だ。かく言う自分も、中国人のイメージが中国に留学して初めて分かった。いかに彼らが努力家で真面目なのか、どんなに家族を愛しているのか、様々な中国人の実態を知ることができた。また、僕の場合は、同時に世界各国からの留学生とともに中国語を学んだことで、ベトナム人の女性は真面目だ、とか、タイ人は友好的だ、とか、インドネシア人は全体的にのんびりしている、とか、イタリア人の男性は軽い調子(いい意味で)だ、とか、南米(僕が知り合ったのはエクアドル人)の女性やロシア人の女性はやっぱりきれいだ、とか、、、、。挙げればキリがないわけだが、とにかくいろんな各国の人のイメージがはっきりと経験として持てるようになった。世界にはまだまだ自分の知らない国の人たちがいる。そういうような人と交わり、国際交流をする経験をまだまだしてみたい、というのが僕の本音だ。とともに、日本語教師を目指す身として、日本のことをもっと多くの国の人に知って欲しい、その架け橋になりたいというのが僕の夢だ。

 さてさて、今日はこのあたりで!再见!写真は3年前に行った道後温泉にて。

 

 

  語形変化で品詞が変わる~日本語のおもしろさ

 「楽しい」という言葉は形容詞。これが動詞になると、「楽しむ」。名詞になると、「楽しみ」「楽しさ」などが挙げられる。この品詞の感覚があるかどうか、これがどうやら日本語学習の飲み込みの速さにつながるのだと、日本語教師の先輩から教えてもらった。文法的なことは置いておいて、とにかく話せるようになりたい!という目的で外国語を学ぶ場合は、結構多いと思うが、この文法の基礎があるかないかで、飲み込みの速さが変わるのは、実体験として僕自身も感じている。

 僕は、中国語の学習に関して極めて特殊な段階を経ていて、上海に留学をする時点では「你好」(こんにちは)「谢谢」(ありがとう)しか話せない状態だった。しかし、留学して一か月後に受けたHSKという中国政府が認定している中国語のテストの4級(1級~6級までがあり、6級が一番上)の合格点180点以上を一発で超える点数をたたき出すことができた。自分で言うのもなんだが、これはちょっとすごいことだと思う。HSK4級の180点以上は、だいたい中国の大学の留学の最低ラインに設定していることが多い。それを留学を始めて一か月でクリアできた。その背景にあったもの、それが文法の知識だったように思う。日本語がSOVの語順なのに対して、中国語は英語と同じSVO、よく分からない言葉があっても、「これは動詞だな」「これは名詞だな」「これは副詞だな」などと感覚的に読むことができたことは、やはりどこか文法的な素養が自分の中にあったからだと思う。もちろん、日本人なので読解に関しては漢字の意味から類推して読むことができるという強みもあるし、留学をしていきなり中国語だけの生活になったので、リスニング力が急激に伸びたことも関係していると思う。それらをひっくるめても、やはり文法の基礎があるのとないとでは、飲み込みの速さは変わるのではないだろうか。

 話をもとに戻すと、日本語は一文字変わるだけで意味が変わる。これは前回述べた「~ようだ」「~そうだ」などにも共通することだ。改めて、日本語の面白さを感じた一日だった。再见!