前回の記事では、
与沢翼さんの怒りの奥にある「見捨てられた感覚」や「傷ついた自己愛」について触れました。
あのとき私が注目したのは、彼の激しい感情の奥にある、深い内省と苦しみでした。
それから現在に至るまで、
与沢さんは一日に何度もライブ配信を行い、自分自身を語り続けています。
そこで私の中で浮かび上がってきたのは
「与沢さんは、自己愛がとても強いタイプなんじゃないか──」という考えです。
ここで言う“自己愛”は、いわゆるナルシスト的な傲慢さとは違います。
むしろその強さの裏には、
“繊細すぎる心”と“見捨てられたくないという恐怖”が潜んでいるように見えるのです。
与沢さんを見ていると、自己愛が強い人の内面がリアルに立ち上がってきます。
なぜ話が通じないのか、なぜあれほどまでに“正しさ”に固執するのか。
彼の言動をただ批判的に見るのではなく、
私はあくまで“人間の心の構造”として見つめてみたいと思ったのです。
自己愛とは何か?
心理学で「自己愛」とは、
自分の価値を信じる感覚であり、本来は誰にでも必要な心の土台です。
ただし、自己愛が過剰になったとき、それは自分を守るための“鎧”にもなります。
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他人の評価に極端に反応する
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常に優れていなければ不安になる
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弱みを見せると、自分が壊れてしまうような感覚に陥る
そうした人は、無意識のうちに「完璧な自分」「常に強く有能な自分」を演じ続けます。
それが崩れることは、まるで“命の危機”のように感じるのです。
小さい頃から母親に
「お父さんはすごい」と聞かされていたと彼はいいます。
与沢さんも「お父さんはすごいんだよ。」と話されるほど
父親を尊敬しています。
ですが「父親のようでないと愛されない」という劣等感の思い込みが
与沢さんの深い心理の中に作られ
それが強い自己愛に結びついていると考えられます。
そして奥様が主張されている
与沢さんからのモラハラやDVも自己愛が強い方の特徴で
カウンセリングにもたくさんの相談が寄せられているのが現状です。
与沢さんの発言から見える“防衛”と“孤独”
与沢さんは過去に「孤独を感じたピンチのときだけ本領発揮できる」と語っていました。
この言葉は、一見すると自己肯定の強さのように聞こえます。
けれど私には、この言葉が“孤独”という感情に対する強い拒絶と恐れを表しているように感じられました。
与沢さんにとって「孤独を感じること」そのものが、“ピンチ”なのだとすれば、
それは彼にとって孤独がどれほど避けたい感情かを物語っています。
現在、彼が極度の警戒心と不安定さの中で配信を続けているのは、
まさにその「ピンチ」を生きているからかもしれません。
誰かを信じればまた裏切られる、
だからこそ“誰も信じない”という選択をすることで、自分の存在を守ろうとしている。
自己愛が強い人ほど、実は他人との関係において非常に傷つきやすい面を持っています。
「期待して、裏切られるくらいなら、最初から信じない」
「頼って傷つくくらいなら、ひとりで戦う」
こうしたスタンスは、過去の痛みや見捨てられ体験を土台にしています。
与沢さんの「ピンチのときだけ本領発揮できる」という言葉には、
そのような背景がにじんでいます。
それはつまり、
「通常の人間関係の中では、安心して自分を出せない」ということでもあり、
極限状態になって初めて、自分の存在感を実感できるという構造です。
「普通」や「穏やか」な日常では、自分の価値を感じにくく、
危機や孤独といった極端な状況こそが、
“自分でいられる唯一の場”になっているのかもしれません。
奥様への執着と依存
与沢さんの現在の言動には、奥様への強い執着と依存が色濃く見えます。
彼が「唯一信じられる存在」として奥様を繰り返し語るのは、
そこに“見捨てられたくない”という極端な恐怖があるからかもしれません。
自己愛が強い人にとって、誰かとの関係性は
「自分の価値を保証してくれるもの」として機能します。
だからこそ、その関係が揺らぐ可能性や、相手が少しでも離れていくような言動を取ると、
強い不安や怒りとして反応が出てくるのです。
愛情と依存はとても近く、
自己愛が傷ついた状態では「見捨てられたくない」という思いが、
“相手をコントロールしたい”という衝動に変わっていくこともあります。
与沢さんの奥様への言及や配信での発言からも、
「この人だけは失いたくない」「この人がいなければ自分が保てない」という深い依存の気配が伝わってきます。
それは愛というよりも、
「自分に価値があることを保証してくれる、唯一のつながり」なのかもしれません。
それと同時に、彼が素直に「戻ってきてほしい」と言えないのは、
「見捨てられた」と認めたくないという葛藤があるように見えます。
“見捨てられた”と認めることは、“負けた”と感じることでもある。
それは、自己愛が深く傷ついた状態の人にとっては、耐えがたい屈辱となり得ます。
そうなるくらいなら、正しさを主張し続けてプライドを守りたい──
その葛藤の中で、与沢さんは「戻ってきてほしい」と願いながらも、それを口にできないのかもしれません。
見捨てられたと認めることは、自己愛が深く傷ついた人にとって
“敗北”と同じくらいの痛みを伴うからです。
壊れそうな自尊心を支えるエネルギー
ここまで見てきたように、与沢さんの行動には深い孤独、不安、そして「信じられるものを失った恐怖」が滲んでいます。
そうした背景の中で、彼の現在の姿には“怒り”という形をとった覚醒状態が浮かび上がってきます。
眠れない夜。止まらない配信。過剰な警戒と疑念。
こうした状態は、交感神経が常に高ぶり、身体が「戦闘モード」から抜け出せない“過覚醒状態”にあると考えられます。
そしてその根底には、「見捨てられた」という体験からくる命を脅かされるような恐怖があるのです。
その恐怖が怒りとして現れ、怒りが“自分だけを信じる覚醒”へと姿を変えていく。
まさに今の与沢さんは、そんな“怒りによって立ち上がっている状態”なのかもしれません。
ただ、それは同時に、強烈な孤独との戦いでもあります。
怒りのエネルギーで自分を奮い立たせながらも、
その裏では「誰にも助けを求められない」孤独に押し潰されそうになっているのかもしれません。
そして、その怒りや孤独の背景には、壊れそうな自尊心があるように思います。
与沢さんにとって、自尊心は“完璧さ”と深く結びついており、
それを保つことが「生き延びるための必須条件」のようになっている。
弱さを見せた瞬間、自分の存在そのものが否定されてしまうような感覚があるのかもしれません。
だからこそ、怒りは彼にとって「自分はまだ崩れていない」と証明する手段であり、
同時に「誰にも支配されない自分」を保つための命綱のようなものになっているのです。
怒りとは、境界を守るための感情です。
でもその境界が分厚くなりすぎると、誰も中に入れなくなってしまう。
与沢さんの今の姿は、まさにその極限にあるのではないかと、私は感じます。
自己愛と回復
最近では「病院に行ってほしい」「誰か助けてあげて」という声も多く聞かれます。
けれど今の与沢さんの状態は、外からの“善意”さえも脅威と感じるほどに、
自我を守ることに必死な段階にあるように見えます。
誰かに頼るという行為そのものが、「負け」や「崩壊」と結びついてしまう今、
本人が自分の弱さを見つめ直すことは極めて困難です。
なぜなら、自己愛が強い人にとって「自分で自分を守ること」が生き残るための戦略だからです。
誰かに委ねるということは、自分の主導権を手放し、
支配されるリスクを受け入れることを意味します。
それは過去に傷ついた経験と重なり、「また裏切られるかもしれない」という強烈な不安を呼び起こしてしまうのです。
善意の言葉も届かず、支援の手も拒絶してしまう──
それほどまでに、自己愛の防衛は強固であり、脆いのです。
本当に支援が届くのは、防衛が少しだけ緩んだ“ほんの一瞬の隙”です。
そのときを待つしかない──
それが、自己愛の傷に向き合う難しさなのです。
自己愛は悪ではありません。
でも、自己愛に縛られて苦しくなったとき、人はやがて壊れてしまう。
だからこそ、「完璧じゃなくても大丈夫」と感じられる他者との関係が必要なのです。
まとめ
与沢さんの生き方や言動は、極端に見えるかもしれません。
でもそこには、
現代を生きる多くの人が抱えている“不安”や“見捨てられ不安”が凝縮されているようにも感じます。
怒り、孤独、過覚醒、そして完璧主義。
私たちはそこに、ただの「変わった人」ではなく、
“痛みを抱えて生きているひとりの人間”の姿を見出すことができるはずです。
自己愛の奥には、いつだって「愛されたかった私」がいる。
与沢さんの発信を通して、私たち自身の心にもそっと目を向けてみてはいかがでしょうか。
