こんにちは、斉藤淳子です
私の特長は、全身の毛がないこと
みんな違って、みんなそれぞれ
毎日、「暑い」というよりも、「暑すぎる」という
言葉の方が当てはまります。
あぁ〜頭も身体も、そして心もゆだってしまいそうです。
遠くには感じることはなかったけれど
こんなに近いとは、思いもよらなかった
と、言う感想が正しいのかもしれません。
病院の付き添いは体力がいります。
個人病院では見切れない診断は
設備の整った病院へ移され
紹介状と共に、次の箱へを移動する。
予約システムなので、
新患扱いとなり、診察は最後
診察を受ける患者、80歳に近い本人も辛いだろうが
付き添いも楽ではない。
年寄り相手の「辛い」「苦しい」を医師は一刀両断で
「病気じゃないから」「命に係わることじゃない」と、
切り捨てる。
あぁ~先生、それはわかっているよ。
先生の診断は、そうだよね。
素人の私も、そうだと思うよ。
が、しかし、80歳に近い本人は、苦しい、辛いが続いている。
そして、困っている。
だから、来たのよ病院に、、、
私の辛さは、病院の先生にはわからない!
(母の叫び)
そして、また苦しむ
あぁ~そうですよ、そうでしょうとも
わからないですよねぇ~お母さん
(娘の叫び)
でも、お母さん
苦しいのは本当でしょ
こうやって、呼吸が苦しいでしょう
辛いよね~と寄り添うが
私にも感情があるので、
ついつい、大声にはならないが、
小声で言いたくもなりまっせ
(どうにかならないのか!)
いつまでも親は元気で、と言うのは
そう遠くないと思っていましたが
こんなにも、頑固で弱弱しく、手がかかるとはねぇ
近くにきてしまったというか、
私が近づいたのかしら?
私、思うのです。
どうにもならないってことがあるんだなぁと
そして、このように
病名がつかない、本人は苦し、苦しい
家族のサポート範囲の限界
他者は言います。
誰かに相談したのか?
行政への相談連絡は?
など、いろいろありますが
それを実行しようとすると
ことごとく、母、本人が拒否をする
なんとまぁ~
さらに、私は思うのです
こうやって、どうにもならない現状に
困っている人っているんだろうなぁ~と
TVのニュースで
一家心中事件、老々介護事件を目にするけれど
その度に、いのちの電話や、行政へのアプローチを
口にするが、それは表面であって
そこじゃないんだよね〜
もっと、深いんだよね〜
(見えない、見せない、あぁー厄介)
そうせざるおえない事情があるんですよ
だから、困っているんだよね
人とのかかわり方や、コミュニケーション能力の学び
過去でも未来でもない、今を生きろ!
と、世の中のえらい人が本を出したり、講演したり
TVで話したりしているが、
そういう情報に触れないで、歳をとると
自分の価値観がガチガチに凝り固まって本当に硬い
「今さら、そうは言っても」と、矢印の向きを一緒に動かそうものなら
更に硬さが増してしまう
そして私は、小さなため息を漏らすのです
さらに、さらに私は思うのです。
そういう事件を起こしてしまう気持ち
わかるなぁ~と
どうにもならないことから、何を知るのか?
どうにもならなくなってしまう前に
回避できることを学んでおくことが必要ですね。
ネガティブになったら、ネガティブに浸り切る
なぜなら、いきなりポジティブにはなれないから
しばらくは悶々としている
と言う、言葉に思わず拍手!
しかたない、しばらくは悶々としよう
それでは、また