2019年4月
丸々と太っていた父の姿は明らかに痩せていた。
職人ってどうして病院が嫌いなんだろうか。いや、これでは職人の方々に失礼ですかね。これまでも幾度となく受診を勧めていましたが、定期受診しているから行かないの一点張り。
それでもなんとか私が勤務している病院の人間ドックに入ってくれることを受託してくれ、束の間だがホッとしたことを覚えています。
確かに痩せてはいたけど、何キロ痩せたとも決して言わない父。
なぜそこまで頑なだったのでしょうか。
自分でも怖かったのかもしれませんね。
孫が立て続けに生まれ、辛かった生い立ちが全て忘れるのではないかというくらい光に満ちた老後のスタートではなかろうと、息子ながら勝手に思い描いていました。
ドックに入ると決まってからは父・母にも笑顔が戻り、検査で原因がみつかれば、治療して元に戻る。誰もがそう考えていました。
ドックに1泊2日で入り、その夜は私も仕事を終え、ドックの部屋に顔を見に行きました。部屋の電気もつけず、机の光だけでテレビを見ている父の背中は実家で畳に横になっている姿と変わりませんでした。
安心したという背中にも感じられました。
次の日の仕事中、父は昼までの健診で帰宅しました。
医師に何かを告げられたのかどうかは思い出そうとしても思い出せません。
私がドックから連絡を受け、すぐに担当医師と話した時は確か私一人でした。
それほど、頭の中を掻き回されているように、”混乱”とはこのことなのだろうと今思うと感じられます。
同僚のPHSに連絡を入れ、昼休みに予定していた勉強会は中止にしてくれと言った声は震えていたのかもしれません。
普段、誰も入ることはない階段裏の機材庫に行き、母・妻に電話、兄にもしてのかもしれませんが、自分が声を殺して泣いて・・・話そうにも声が出ずに電話を切った記憶が部分的に残っている程度です。
医療人として、様々な患者に出会います。
ですが、不意に自分が患者家族となったとき、これまで培ってきた医療人としての知識が邪魔をし、まだ知りたくないことまで一気に先を見てしまう自分たちの仕事が嫌になったのは、あの日なのかもしれません。
人は誰しも死に向かっています。
どのように”それ”を捉えるかはあなた次第なのかもしれませんが、人生を一度考える時間は本当に大切なことなのだと思います。
また書きます。
