旧仏領、東南アジアインドシナ半島の国である、タイ・カンボジアの研修から帰国して48日が経過した。予想通り、いや予想を遥かに超えた変化が日本の生活に既に表われ始めている。

まず、私は大阪市内の企業に勤める社会人であり、同様に、大学にも所属している。タイ・カンボジアから帰国した時点(9月4日)では、大阪市内に居住していたのだが、その1週間後(9月13日)には既に、京都へ引越しを完了させていた。住居移動は、偶然そのものであり、研修の影響である。帰国時点までは、京都に住むことなど想像もしていなかったが、その9日間で心情の変化があったのである。

果たして何があったのか?

最も大きな点は「京都の魅力」である。
日本人としては恥ずべき発言ではあるが、率直に言って日本に興味がなかった。全てに対してではないが、圧倒的な興味などが既に薄れていたのである。しかし、タイ・カンボジアでの知人に会うために、京都に訪れると、心が躍り、圧倒的な魅力によって心が奪われた。確信した場所は「宝泉院」である。カンボジアやタイのそれと比べると、人造的であるものの、技術によって維持・形成された美しさは、劣らず、いや全く異なるアートで宇宙を表現していた。その他にも、街中の景色全てが規制することで、現代の都市にはない町並みを維持しており、日本独特の文化を感じることができた。

要は、タイやカンボジアに行くことによって、日本を客観的に理解、比較することができ、日本独自のよさが際立つ、京都が新たな環境の変化へと導くことになると考えています。

違った環境の変化は、近日中に公開いたします。
いつもなら心が躍るはずが、今回に限って旅の準備はどこか心が落ち着かない。


奇妙な夢も昨夜みた。


夢はいつも奇妙だが、赤ん坊を抱える感触を確りと腕に残していた。



きっと、私は大きな転換期に立っているのだろう。選択肢はいつも無数にあり、一日の行動が今後に影響し、更に他人の人生に影響する連鎖が発生する。今回のボランティア活動は、自分がその中心となり、無数の人に転換期となるきっかけを与える。また同様に、現場で私が様々な環境に遭遇し、きっかけを吸収し、また与えられる。

今回のボランティアは結果を求める訳ではない。
また、私がボランティアをする環境(プロセス)の経過ではない。
原因を追究する旅である。

自分の目で現状を認識することである。

人生の中ではただのプロセスにすぎないが、今後の行動指針となる、結果を左右するいくつものプロセス(経路)の中で、私は明日からボランティアに行く事を決意する。

しかし、その決意に対する重荷(プレッシャー)は旅の前夜に、私に大きく圧し掛かる・・・・



38億年前に生命が誕生してから、数え切れないほどの別れがあっただろう。

別れを前提とせず、その時は急に訪れるのである。

(写真) 彼の初体験。有馬温泉のオフロードで挑戦!



(写真) 彼と彼の彼


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親友の丸山はこう答える

「彼は私の成長を後押ししてくれた友人の一人である。ある時は暗峠の頂上で友人の接吻を見せてくれた。
またある時は死体通天の真ん中で私と菊田を降ろし、初めて男の手を強く握り、安心を感じさせてくれた。
須磨の細い路地では前にも後ろにも行けない状態になり、前のライトが割れた時、「もうむちゃくちゃやぁ…」と神の泣き言を初めて聞かせてくれた。
座席だけでなく屋根の上に乗せてくれたことも、後ろのタイヤに捕まり走ってくれたこともあった。
恒例となった越前海岸へ導いたのも、夜景の素晴らしさを教えてくれたのもみんな彼のおかげである。

数年間の間、時には恐怖を、時には感動を私たちに与え続け、役目を終えた彼に一言「ありがとう」と感謝の言葉でねぎらいたい
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親友の菊田はこう答えた

さようなら、ローバー。たくさんの、思い出をありがとう。

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最後に私も一言

私の永遠の相棒であり、将来また車を購入する時も、貴方を忘れない。
きっと貴方をまた愛し、そして新たな冒険に旅立ちましょう。

これからも別の誰かを乗せて、貴方は物語を作るのでしょう。
私と違う誰かを乗せて・・・

本当にありがとうございました。

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 私は中学で勉強こそしていなかったが、ごく真面目であった。しかしながら、私の意志とは関係なく、高校受験が押し寄せてきた。決して勉強をする事が嫌いではなかったが、私はそれより未だ見ぬ世界に、実社会に希望を持っていた。塾に出掛けるといい、毎晩、私と当時の親友であるTakuroと、知らぬ土地へ出掛けた。ある時は、芦屋の歯医者さんに勤める女性が綺麗だったことを見かけると、私達は毎晩そこに通った。もちろん、自転車である。その様にして、私の土地勘は人数倍、いや日本で有数の感覚を持つ事になったのである。しかし、私は塾に行くのを拒んだ結果、志望校に受かることはなかった。

 最も極悪になる大きな転換機が、高校1年生である。 運が悪いのか良いのか、高校の最も成績の良い、そして評判の悪いクラスに配属された。 そこで、行動派の私は悪に染まる。 あまりにも悪、いや子悪党である。ろくでなしブルースの様な出来事は、良くあった(日常茶飯事ではない)。テレビでギャングが話題となることから、近くの主要駅でもギャングが結成されていた。夏休みに入る頃には、家出もする様になり、私は極悪の道へと進みだした。

 私は、行動派の人間として、友人の間で広く知られている。 自覚意識もあり、私自身それを喜んでいる。しかしながら、これが大人になっている証拠なのか、不思議と私はある奇妙な事に気づく。現在の私は、冷静な思考;冷静な行動によって構成されているのである。まずは私自身の紹介をさせていただく。経歴は以下の通りである。

 小学校5年生の時に、当時のライバルである籔内君(私だけがライバル視していた)に影響されて、私は理論と新たな知識に魅了され、勉強の虜となった。しかし、当時は友人が放課後に遊んでいるのを嫉妬して、自分が終電がなくなるまで、塾で勉強していたのを悲しく感じ始めたのである。そこで、私は塾をやめ、肉体的な行動派と道を進めた。昼夜問わず、未だ見ぬ土地を求め、徹底的に遊びつくした。

 勉強の意欲を無くした私は、義務教育制度の下で、公立の中学校に入学した。ここで私は、情熱を持った行動に目覚める。中学校では、入学と共にサッカー部へ所属した。私はここで、現在の親友と多く出会う事になる。他校との試合で、自転車でよく訪れることがあった。しかし、遠方では電車を利用することがあったが、私は興味から自転車で行く事を望んだ。ここが、行動派を作った原点かもしれないと感じたが、私の母はこう語っていた。

"Tommieが未だ小さい頃に、貴方は家の前に乳母車に座っていたの。まだ幼稚園にも通っていない、ほんと歩き出し始めた小さい頃よ。そんな貴方が、ふと目を離した隙にいなくなって、私は必死に探したけど見つからなくて警察に通報したわ。すると、1時間後に家から3km離れた場所に住む女性が、迷子の子供がいると通報をして判明して、迎えにいったの。すると、貴方はお菓子を食べながら、笑顔で寛いでいたのよ。発見時の様子を女性に伺うと、私は乳母車を自分で押して、その離れた地点まで行ったとのことだったわ。"

私は、知らない土地や風景を見ることが好きなのだ。