これはかなり前に見た映画だ。

マルセリーノという少年の愛くるしさとキリストのシーンが心に残っていた。

現代の汚れきった世の中でそれは一筋の光にも見えると思った。

純粋な少年の姿を見ていたら誰でも気持ちが洗われると思う。

彼は牧師達が暮らしている所に捨てられる。

牧師達は里親を捜す為に街を回るがそれは叶わなかった。

そして自分達で育てる事にするのだ。

マルセリーノはすくすくと育ち愛くるしい顔をした男の子に成長して行った。

悪戯はするがそれも子供のやる事なので牧師達は暖かなまなざしで見守っている。

ある日マルセリーノは決して二階に上がっては行けないと言われる。

そう言われたら逆に上がりたくなるのが子供の気持ちである。

何度も躊躇して彼はとうとう上がってします。そこで見た物は人の大きな影だった。最初は黒い大きな男と思ったがそれが神の姿だと知り彼は近づいて行く。

彼はきっとお腹をすかせていると思ったマルセリーノは食堂でパンやワインをくすねてしまう。

食べている最中には優しいマルセリーノは自分の分のパンを懐に入れてもって行こうとするのだった。

この作品で一番の見所はキリストの手が動くシーンである。

彼の中でただの神様ではなくひとりの友人としてもそれは描かれている。それは彼の純真無垢な姿を描き出しているのだ。

限りなく汚れのない目で接するマルセリーノ。見ていてそれは私の気持ちを再び大きく揺さぶった。

昔見ているのでラストシーンは知っているが改めて見たらどうしてと思ってしまう。

その前にマルセリーノは母の事を聞く。すると牧師の中のひとりは天国にいるという。マルセリーノはお母さんに会いたいのだ。

母は小さな子供にとって世界中で全てだと行っても過言ではない存在である。

それなのに最近は気に入らなかったら大きな声で叱っている母の姿を見るが
それは親のエゴでしかないのである。そうなると子供は親をどう思うだろうか。

子供は住む家を選べない立場である。

映画とは離れるがそう言う現実も頭をかすめてしまった。

これはスペイン映画であるが今の日本は完全に違う方向に行こうとしているように思えてならない。

親として子供とどう接するのか。

牧師達は本当の子供ではないがそう言う気持ちでみんなが接しているのがよく分かる。

だから甘えさせる事もしない代わりに大きな愛の目で彼を見守るのだった。

どうして最近パンやワインがなくなるのだろうか。

それが汚れなき悪戯というタイトルの意味である。

彼はキリストが願いを叶えてやると言った時に天国の母に会いたいと言う。そしてあなたの母にも。