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20年前、私が通っていた小学校では、夏休み中に1冊の本をクラスで回し読む課題図書があった。
本に貼られた名簿の自分の名前に丸印をつけ、次の友人に届けるのだ。
小さな学校だから、ほとんどに友人の家へは自分で自転車に乗って行くことができる。
だが、その夏、私は左足の小指を骨折していて、自分で本を持っていくことが出来なかった。
それで、私は母の車で友人の家を訪ねることになった。
友人の家は古いアパートで、今にも取り壊されるのではないかというような様子で、
駐車場からも遠く少し歩かなければならなかった。
私は母におんぶしてもらい、友人の部屋がある2階に上がり呼び鈴を鳴らしたが、
何度鳴らしても誰も出てこない。
そこで、ポストに本を入れ、私は母におぶられたまま階段をおりた。
階段をおりて少し歩いた時、私の目線が一気にストンと下がった。おぶってもらっていた私には何が起こったのかわからなかった。
ただ母の服を小さな手で強く握っているだけだった。
「痛-っ‼」という母の小さな声で気がついた。なんと母がマンホールに落ちたのだ。
このアパートのマンホールの蓋が腐っており、母と私の体重に耐えられず、抜けてしまったのである。
マンホールからぬけだし、車に戻った母と私は驚いた。なんと母の前歯にひびが入り、唇からタラッと血が流れていた。
そう、母は私をおぶっていたため、マンホールに落ちた時、手をつくことができなかったのだ。
そして、マンホールのふちに顔面を打ちつけた。
おそらく母は、落ちている間「あーっ」と言ったため、口を開けていたのだろう。よって、前歯にひびが入ったと思われる。
それ以来、母は決してマンホールの上を歩かない。
そして前歯のひびは今もはいったままである。
相当、ショックだったのか母は毎年夏の暑い日に出くわすと必ず私に言うのだ。マンホールの上は歩くな、蓋を信用するな、腐った蓋がしてあるマンホールはただの穴なのだ。深く大きな落とし穴だ。穴なら穴らしく、自分は穴だと名乗れ。そうしてくれれば、人は避けて通るのだ。
顔面から穴に落ち、前歯のひびが入っても手を離さず、私をおぶい続けた母に、一応感謝している。
私の兄はブラックを超えた漆黒企業で働いている。
毎朝5時20分の始発に乗り、7時に出社。車の点検をし、8時から事務作業、9時から営業。会社には21時頃に帰り、今日の仕事をまとめて23時40分の終電で家に帰宅する。休みは不定期、シフト制である。
そんな兄は疲れているせいもあり、夕食を食べ終えるとソファーで寝てしまう。
しかし、次の日も5時の始発に乗らなければならないので、母は兄に風呂に入るよう声をかける。
これが我が家で毎晩行われる光景だ。
私はというと、録画したドラマを観たり、大学の課題に取り組んだり、大好きな本を読んだりして、お風呂の順番を調整している。
この日も、いつものように母の怒鳴り声が聞こえてくる中、私は時間も忘れて、本屋で見つけた好きな芸人さんのエッセイをニヤニヤしながら読みふけっていた。最後のページを読み終わり、解説までしっかり目を通した私は、時計を見て驚いた。
午前5時を回っていたのである。今日は学校が1限からあるので7時半には家を出ないといけない。
お風呂に入るのも忘れて熱中していた私は、慌てて階段を下り風呂場に直行した。
するとそこには、昨日の夜もいつものように母に怒られながら風呂に入ったはずの兄がいたのだ。
湯船に5時間ほどつかっていたのであろう100キロはある巨体の腹だけをプカーと浮かし、もう冷めてしまったであろうお湯が、あほそうに開いた口に迫っていた。私はそんな兄をたたき起こし、仕事に送りだした。
時間を忘れる瞬間は、私のように夢中になって本を読むこと、兄のように疲れた体を癒す気持ちよさについ5時間湯船で寝てしまうこと、浦島太郎のように竜宮城で乙姫たちと戯れること。そう、極楽の時間に自らがいることなのだ。
毎朝始発に乗り終電で帰宅していた兄は、今ハローワークに通っている。
今度は無理のない生活を送ってほしいと願っている。
三年間働いていた職場では、色々な事が起きた。
口にヘルペスができた。39度の高熱が続いた。
美味しかったご飯の味がしなくなった。
きっかけや、理由は山ほどあった。どちらかというと辞める理由を探していたのかもしれない。
私はもう働きたくなかった。
誰かの為に、笑顔で働きたい、そう思い入社した。
目に見えた成果をあげなくても、いつか誰かの為になるとそう信じて疑わなかった。それが私のモットーであり、目標であった。
しかし、私は見失った。そして思ったのだ。自分を削ってまで、何のために働いているのだろう。
そう思い出すと、普段なら反省する小さなミスや、普段なら受け止められる同僚の言葉が大きなストレス変わっていった。
あいつは私より楽をしている。
私はあいつより働いている。
そう思い出したら続かない。
辞めるきっかけを探して退職へと進んでいく。
あの時、一度落ち着いて休めばよかったのかもしれない。同僚と愚痴を言い合えば、自分ばかりではないと気付き、悲観的にならずに、すんだのかもしれない。仕事と距離を取り趣味に没頭すれば、俯瞰的に現状を見つめ直し、明日からも頑張ろうお思えたかもしれない。そして、あそこでまだ私は働いていたかもしれない。
でも仕方ないのだ。
これもタイミング。
だれかのために働く。自分のために働く。
働く理由は、なんでもいい。
ただ、私の仕事が誰かのなにかになっているかもしれない。
それを忘れなければ、私は働く事に迷うことはないだろう。
そうして今日も世界はまわるのだ。
私の祖父母は京都唯一の村に住んでいる農家である。
両親は共働きであるため、夏休みなどはしばらくの間、家から車で1時間の距離にある、祖父母の家に預けられていた。
そこでは毎食出てくるのは、かぼちゃの煮付け、たくあん、こんにゃくのたいたん、ほうれん草のおしたし、味噌汁、日持ちのする魚の干物などの茶色のおかずばっかりであった。
今思えば、体にいい栄養満点の食事であるが、育ち盛りの私には物足りなかった。
ある日おばあちゃんと村に唯一ある商店で買い物をしていた時、
「何か食べたいものあるかー」と聞かれた。私は、大好物だったエビフライ!と答えた。
家では母が忙しい中、手作りしてくれる。
一瞬ポカンとしたおばあちゃんの顔は忘れられない。
おばあちゃんのレパートリーに揚げ物はあるが、食卓に並ぶのは、椎茸の天ぷらか野菜のかき揚げである。
もちろん作れるはずもなく、話を聞いていたお店のおじちゃんが「これちゃうかー」と冷凍のエビフライを持ってきてくれた。
それを購入して帰ると、早速夕食の準備を始める。その横で私はわくわくしていた。
冷凍のまま油であげて、お皿に並べられたエビフライを私は一口食べ、こう言い放った。
「こんなんエビフライちゃう」
祖母にそう言うと、お箸を置き、私は駄々をこねだした。
お店で買ったエビフライは衣ばかりで中身のエビは小指ほどの大きさもないものだった。
普段手作りのエビフライを食べている私はあのプリッと感が好きだったのだ。
そのうち泣き出した私をおばあちゃんは、「明日もう一度作るからごめんやでー」となだめた。
次の日、おばあちゃんと私はもう一度お店を訪ね、今回は生の海老とパン粉と小麦粉を購入した。
材料は、母のお手伝いをしていたので私が知っていた。
早速家に帰ると2人で海老の殻を剥き、小麦粉、卵をつけ、そしてパン粉をつけてあげてみた。
そして、揚げたてのエビフライを2人で味見した。
「おいしい!!!」
満遍の笑みでそう答える私をみて祖母も笑っていた。
そして、おばあちゃんも一口食べてみる。
「おいしいなあ!これはしおちゃんと食べたくなるわあおいしいなあ」とおばあちゃんは初めてのエビフライを喜んで食べていた。
その後は、揚げもって味見味見とエビフライを2人で食べてしまい、結局その日の食卓はいつも通りの茶色いおかずが並んでいた。
きっとおじいちゃんはしらないであろう。ここに並ぶはずであったエビフライの存在を。これはおばあちゃんと私、2人だけの秘密である。
あれから20年ほど経ち、今でも祖父母の家に行けば、食卓に並ぶのは茶色いおかず。そして、私の大好物であるおばあちゃんのエビフライも一緒に並ぶのだ。
おじいちゃんは知らないだろう。
作りもってキッチンで食べる揚げたてのエビフライが1番おいしいことを。これもまたおばあちゃんと私、2人だけの秘密である。
ずーっと気になっていた梅しごとを始めた。
午前12時。
瓶を煮沸消毒をして、梅1kgのヘタを黙々と取る。
スーパーに行くたびに気になっていた梅である。
お酒はあまり強くないので、今回は梅シロップ。
瓶に詰めてみたけれど、かわいい。
ずーっと見てられる。
夕方母に見せる。
食事中母も気になるのか、話しながらちらちら瓶を確認する。
かわいい。
そう思ったのだろう。
食事の最後に「お母さんも梅酒するわ」
梅、、恐るべし。
直射日光を避けた場所に置いておくのだが、
どこがいいだろうか。
できれば、寝室に置きたいけれど、暑すぎるので
やめておけと忠告を受けた。
どうしよう。
ああ、梅を詰めるとき水分をあまりふきとらなかった。
カビが生えたらどうしよう。
ああ、頭の中が梅だらけ。
[ まず最初に ]
またまた理髪店のお話である。
これには深くはないが、わけがある。
私が、母の図書館に勝手にお邪魔していたのが、先日ついにバレたのである。
「なあー、今日部屋入ったー?」
もうだめだ。嘘はもちろんつけないし、つく必要もない。
すました顔をして、それとなく答える。
「うん、本借りたよー。散髪屋さんのやつ読んだ。」
そこからが、まさかの展開である。
母は、おすすめの本を四冊ほど手に取って私の部屋に来てプレゼンし始めた。
「もっといいやつあるねん」とか、「いまならこっちの方がおすすめやねん」とか
こちらが、言葉を挟む隙を与えず、話し続ける。
しまいには、読む順番も決めて、気が済んだのか部屋から出ていった。
私は、本当は別のものを読もうと考えていたのだが、順番が決めているため
くしくも、理髪店被りが起こってしまったというわけだ。
しかし、やはり自室に図書館があるだけはある。さすがの母である。
同じ理髪店でも、また違った良さがあり、あっという間に読み終わってしまった。
どちらかというと感想文向きの本ではなく、軽く読める本であった。
さて以下からは私の感想文が始まるわけであるが、もちろんネタバレもあるかもしれないわけで
先に謝っておこうと思う。
ごめんなさい。
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母はいつも言っていた。
「田舎にはプライバシーがない。」
田舎の怖い所は、全員が噂話が大好きで、おせっかいで
あたかも自分たちはあなたの為を思って言っているのよという
偽善者の顔をして近づいてくるが、
本当はつまらない生活の中でちょっとした会話の話題がほしいだけなのだ。
私はそれを身をもって痛感したことはないが、年に数回、母の実家に遊びに行くといつも
道端で会う知らないおばあさんによく話しかけられた。
そして決まって、
「どこのこや、ああーー○○さん家のあっちゃんの娘さんか」と言われていた。
あっちゃんとは母のあだ名で、昔から地元ではみんなにそう呼ばれていたらしい。
今思えば、私はおばあさんの普段の生活にはいない見慣れない子どもだったのだろう。
井戸端会議での絶好のネタである。
もしかしたら、あっちゃんは出戻ったとか、
おじいちゃんの容態が危ないなど根も葉もない噂を立てられていたのかもしれない。
10歳にもならない私の、初めての肩書は間違いなく、あっちゃんの娘である。
かといって私もいわゆる都会っ子ではなく、母の田舎と似たり寄ったりの町で育った。
この本には、そういったいわゆる典型的な田舎の生活が理髪店の康彦によって語られている。
特に大きいこともおこらない。
息子が町に帰ってきたり、町に新しいお店ができたり、近所のおじいちゃんが死にそうにながったり。
犯罪に巻き込まれたりすることもあるが、全く起こらないとはもちろん言えないことばかりである。
そして、現実世界にてどこの町でも起こっているであろう町の過疎化問題に直面しているのである。
物語に出てくる大輔さんが結婚する時には、町総出で結婚式が行われる。
大輔さんは、結婚に後ろめたいことがあり、細々としていたいのに
話題に飢えた町の人たちは、そっとはしてくれないのだ。
でも、それはすべて悪いことなのだろうか。
もちろん、大輔さんには同情する。
劇中では、結婚式から逃げてしまった大輔さんに瀬川さんが、
『農業をやめるか?やめねえべ。苫沢7から出てくか、出ていかねえべ。だったら開き直るしかないっしょ。
〜染まれ。自分なんかなくしちまえ。楽に生きられるぞ』
という、場面がある。
なんて、悲しいのだと最初は思ったけれど、確かに主人公のように心からお祝いしたい人もいる。
酒を飲むための口実であっても、結婚式に集まって来てくれたのは事実である。
それならもう、開き直ってありがとう!僕結婚したよ!幸せになるよ!と開き直ることも必要ではないだろうか。
もちろん全員に強制するわけではないが、それが嫌な人は、自分で町から出ていけばいい。
隣の家の馬場さんの息子武司は、家を出て東京で暮らしていた。
急に父がなくなるかもしれないという現実に最初はあたふたしていたが、現実との間に
挟まれ葛藤していた。
町をでた人は人なりに、苦しみはあるのである。
後ろめたいこともあるのである。
結局どこにいても同じなのである。
自分の置かれた環境の中で、自分の下した選択を受け入れ過去から積み重ねられた今の生活していくのだ。
そう思うと、劇中に出てくる馬場さんの奥さん房江さんはたくましい。
旦那さんが死にそうな状況でも、現実から逃げずお見舞いにも行くが、その先で楽しみも見つける。
過去を引きずるのではなく、しっかり後始末をして区切りをつけて進んでいく。
もちろん一人ではなく、近所の主人公の母、富子さんなどの老人会のメンバーとだ。
確かに田舎に、プライバシーはない。
平気で野次馬のように集まってくるし、人の家を散策しようとする。
でも、野次馬と思われたくないから、きゅうりを手土産に自宅に訪問したり
いい意味でも悪い意味でもおせっかいなのだ。
その行動の裏には、そこはかとない優しさを感じる。
(本当にそこはかとないほどであるが、、、。)
田舎の孤独と都会の孤独は違う。
田舎で隠し事はできないが、最初から隠さずに本当の自分で生きていける。
最後に主人公の息子である和昌が、
「変化がねえ町だからね。少しは変化を起こそうと考えているのさ」
という場面がある。
私は和昌が起こそうとしている苫沢町の変化を見てみたいと思った。
それに私も地元も苫沢町のように田舎の良さを残したまま、変化する町になってほしいとも思った。
そのためには、人任せではなく、私が和昌のように行動しないといけない。
とりあえず、毎月行われている地域のごみ拾いに参加してみよう。
[ まず最初に ]
気づいてしまうのだ。
テレビは毎日話題は違うかもしれないが、
人の批判ばかりして、不満の気持ちを煽るのが得意であると。
そして、ある程度飽き飽きしていると
NHKで必要最小限の情報だけを手にして自分の考えで行動するようになる。
まあ、この話はおいといて。
私の母は読書家であり、自室に小さな図書館を作っている。
(図書館と言っても買った本を並べているだけの本棚なのだが、、、)
私は、そこにこっそり通って、有り余る時間を読書に費やすことが、最近の日課だ。
せっかく読んだのだから、そこで感じたことや思ったことを言葉で表したい!!
そう思い、このコーナーを作ることにした。
学生の頃は、あんなに億劫だった読書感想文を、
頼まれてもいないのに始めるなんて思ってもみなかった。
時間とは恐ろしいものである。
つきましては、以下からは、読んだ本の感想を書いていくわけで
もちろんネタバレもしてしまうわけで
知りたくなかったのにや、こんなものかくなよと思う方がいれば、
先に謝っておこうと思う。
ごめんなさい。
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前髪は、目にかからない『ぱっつん』。
ロングへ―アーなんてもってのほか、肩につかない『おかっぱヘアー』。
美容室でしか髪を切ったことのない5歳の私が、夏休みに祖母の家に預けられたときに
連れていかれるチエさんという床屋にセットされる髪型はいつもそう決まっていた。
そして、1週間後に迎えに来た母が、祖母にこう怒鳴るのだ。
「なんでこんな短いん!!!!!」
祖母は、しれっと
「遊んでる時に髪邪魔そうやから美容院連れていってん。
私が切ってもよかったけど、プロの方がええやろー。
でも、まさかこんなに短くなるなんてなー」
嘘だ。ちょうどよかった髪の毛ももっと切って、ぎりぎりまできってと言ったのは祖母だ。
母はなくなく泣き寝入りする。
このくだりは毎回行われ、帰りの車の中で母は
「何が美容院や、そんなおしゃれちゃう。ただの床屋や、、、。」
とぷりぷりいうのだ。
私の床屋イメージは、そんな感じである。
しかし、今回出てきたお店は格式高い伝統的というかレトロなお店であった。
亭主もプロという言葉が似合うおじさんである。
口コミで訪れたお客さんも30代の若いおにいさん。
亭主は、自分の話をべらべらとはなし出す。
私は現実でもよくいるおしゃべりの美容師さんだなーっと感じた。
質問してくる人は苦手だけど、このおじいさんのように自分の話をしてくるだけなら
まだ我慢できる。
お客さんのおにいさんもそんな気持ちで聞いているのかなと思っていた。
でもおじいさんの身の上話は、床屋の散髪の時間つぶしのしゃべりにして
なかなかハードなものであった。
若い頃の葛藤、お店の苦労、そして成功。もちろん家族の話もするのだが、
それも壮絶なものであった。そのお話1つ1つは、現実で髪を切っているおじさんとは、
全く別の人物の人生のような気がした。
しかし、すべてを時系列で聞いていると、そういったことを乗り越えて
今の考えや、現状のお店を持つまでの経緯に至ったのだなと納得できるものであった。
この短編を読んでいて、人の人生はきっと、毎日の積み重ねで、きっかけがあり環境が一変することはあるけれど、
それでも続いていくものであると再認識した。
その中で、自分がどう考えて行動するのかが大切で、きっかけはきっかけに過ぎないのだと気づいた。
きっとおにいさんもそう感じたのだろう。
だから、おじいさんに後ろ髪惹かれる思いもあったが、散髪が終われば何も言わずに立ち去ったのだと思った。
その他の5つの短編もすべて、もしかしたらあるかもしれない出来事である。
死んだはずの祖父からメールが届いたり、一生懸命若作りをして夫婦で成人式に向かったり
ないであろうが、あると思わせるのだ。
かといって、疎遠であった母と数年ぶりに再会するという誰もが経験する可能性があるお話もある。
そんな、ちぐはぐな短編が、『海見える理髪店』としてまとめられていても違和感がなく、なんなら
短編1つ1つが欠けてはいけない、まとまってこの本であると思えるのはたぶん、
すべてのお話のテーマが、人の感情は、些細なきっかけで変化する、考え方が変われば
見える景色も変わる。そして変化した思考を、もとに行動することだけが
これからの自分の未来を変える、ということを伝えているからだと思う。
それをより濃く表しているのが、「空は今日もスカイ」だと感じた。
日本語が英語になるだけで違う世界に見える。でも、それは長くは続かないのだ。
なぜなら自分はなにも変わっていないから。空をスカイと呼べは少し賢くなったように感じる。
変わったように感じる。でも、青い空はどう呼んでも青いままであり、自分自身や環境は変わっていないと
主人公は最後に気がつく。
この青空がある世界が変わるのは、呼び名がかわったときではない。
自分がこの左手に書かれている電話番号に電話をし、そしてフォレストが救われてから初めて、気持ちがいい青空になるのだ。
きっかけは違うが、この物語に登場する主人公たちは、全員自分自身の現状を自分の力で変わろうと奮闘するのである。
私たちの人生の中で自分自身が変わるきっかけは、この本のように十人十色状況はバラバラ。
ありえないことが起こって初めて今までの自分と向き合える人も、日々の生活の中で気がつく人もいるのである。
私もこれは、苦しいときや辛い時に現状を変えてくれるきっかけを探すのではなく、どんな些細なことでもきっかけにして
自分を変えていけるようになりたい。
この本は、私が日々の生活の中で何もできないことを嘆いていただけの自分を
なにかできることはないかと考える自分に変えてくれた1冊である。
