春分を迎えて
新しいことをしたいという
欲(望み)が無意識に湧いてくる季節
植物が芽を出すように
私の欲も
ムクムクと芽を出し始める
コンクリートでさえ突き抜けようとする、コンクリートが硬いなんて思ってない、ただ上に伸びたいだけなんだ
タンポポもやっと暖かくなってきて花開いてきたけど、寒い日もあるから葉っぱは縮こまってる。まだゆるんで縮んで繰り返し。
でも
意識しないと
今幸せだし
特に望みなんてないかもって
思いがち
が
春分に入って
今幸せでも
10年後もこのままでいたか?
問われると
いいや!
無理でしょ!
もっと広いおうちに住みたいとか
もっといい服着たいとか
出てくる
そうか
もっと望んでいい
もっと願っていいのだ
もっと自分に望みを聞いてあげないと
それが
「本当はどうしたい?」
という問いなのだ
ただ、それだけ望んで欲しいものは?
その先にあるものは何か?
なぜ私たちは望みという欲があるのか?
それは
喜びだからだ
それを感じたい!のだ
もっといい服を着たいのは
よく見られたいからではなく
それを着たら
もっと豊かさを感じられる
美しさを感じられる
心地よさを感じられる
それが喜びになるからだ
おもてなしがしたいのは
お花を飾ったり
料理を作ったり
テーブルをアレンジしたり
それをみんなで分かち合ったりしたいのは
全部そこに喜びを感じられるからだ
この時という
喜びを感じたいのだ
この時を共に過ごしたいからだ
それが
欲だし
望みだし
願いだ
そして、
その欲望は人それぞれ好みがあるだけ
何が望み(喜び)かは
その人次第
だから
この世界は喜びだらけなんだ
みんなのその欲望で
こんなにも豊かなものがたくさん生み出された
それを受け取ることができる
なんてありがたい世界
それは
与える時も
受け取る時も
同じ
この時(喜び)を感じるために
欲してる♡
そして
地球はそれを与えてくる場所なのだ
去年長野に行った時、夕日が美しくて車を止めてもらい、夕日とこの時を共に過ごした。
この夕日を見た時
あ〜、この瞬間を逃したくないな〜って
思ったんだ
だって夕日は毎日沈んでる
できれば毎日この瞬間に出会いたい
この時を逃したくない
肉体が有限だからこそ
尊い
この時を
忙しさにのまれて
何も思ってなかったら
そのままスルーしている
おしゃべりしてて
一瞬「あっ」て思ってても
スルーする時もある
いかにこの時を過ごせるか?
この喜びを体験できるか?
それは
本当にその時しかない
その選択を日々求められている
些細なことさえも
自分は何を望むのか?
という選択を
地球は喜びであふれている
それを楽しむために
生まれてきた
それを逃すのも喜びに変えるのも
自分の選択だ
もっと喜びをたくさん感じるために
何を望もう?って思ったら
ワクワクするな〜


