「その時」は突然やってくるもので・・・。
ウチのお袋は昭和7年生まれで、今年91歳でございます。
風呂も一人で入れているし、洗濯も全部してくれている。
もちろん干すのもね。
耳が遠くなってきてるから、話するときは自然に私の声もでっかくなっちゃうし、それが怒りつけているみたいで、自分で嫌になる時もある。
でも毎日のこととなると歯がゆいしイライラしちゃって・・・。
もの忘れも多いし、それは仕方ないんだと頭ではわかる。
何度も同じこと言わなきゃいけないしさ。
この日曜日にとうとうやっちゃいました。
階段踏み外して立つことができない・・・。
相当痛かったみたいだけれども、トイレだけは這って行ってた。
翌日町の整形外科に連れて行くにも一苦労。
だけどとにかくレントゲン撮ってもらって、骨が折れてないかどうか見てもらわないことには・・・。
いよいよとなれば総合病院への紹介状も書いてもらわなきゃ。
何とか車に乗せて整形外科まで行ったけれども、今度車いすに乗せるのも・・・。
ここはグダグダ言っている場合ではない。
生まれて初めて親を抱えて車いすに乗せて・・・。
レントゲンを撮ってもらったけど、詳しいことはよくわからない。
総合病院へ紹介状を書いてもらって一時帰宅。
総合病院へ予約の電話を入れたら、翌日の朝に予約が取れた。
ま、随分待つだろうけど。
その日は朝ごはん・昼ごはん・夕飯とみんな私が作って食べさせて・・・。
まぁいつもしていることだから、ご飯作る分には何も不都合はないんだけど。
しかし突然立つことさえできなくなるとはな・・・。
翌日は朝仕事休み貰って朝ごはん作り。
お袋は一向に支度しようとしないから、
「早く服着てくれ。病院の予約があるんだから」というと、
「今日なんか?」
日付と時間の区別ができづらくなってきたみたいでね。
先日も親父の祥月命日に坊さんがお経をあげに来たんだけど、
「13日に来るって書いてあったけど、今日来たな」などと言う。
「命日が10日だから、10日に来るって書いてあったろ?」
「13日って書いてあった」
「13時に来るって書いてあったんだよ!」
「13日だと思ったけどな」
こうなると堂々巡り・・・。
まぁさ・・・、仕方ないんだよ・・・、仕方ないの・・・。
もうさっさと抱えて車に乗せ、総合病院へ。
待つのは仕方ないけど、しばらくしてCT撮りに行き。
戻ってまた暫し。
いよいよ診察室に呼ばれ、CTの画像を先生が見て、
「踵の骨がやっぱりヒビ入ってるみたいだし、骨がずれてますね。しかし手術して治るとは限らないんですよ、足首の骨は複雑ですし、簡単に届く箇所でもないし。年も年ですから麻酔の副作用も心配ですから、このままギプスをして保存的治療ということにした方がいいと思うんですが・・・」
医師がそう言うならこちらとしても異存はないし、これからオリンピックでも目指すわけでもない。
立てるように、歩けるようになれば・・・。
そう願うばかり。
「入院はできますか?。同居家族は私だけなので、仕事しながらだと・・・」
「そうですね、入院の手続きをしましょうか」
私も正直迷ったけれども、この状態で家で面倒見るのは大変だし、またなんだかんだと強く当たってしまいそう。
「入院かぁ・・・」
とお袋はため息をつく。
ギプスをしてもらうために、ブカブカの病衣を着させられ。
そのまま入院のための血液検査やら心電図やらレントゲンやら検査に回り、また診察室の前で待っていると。
「このズボンじゃ帰られないな」
と言う。
「入院するんだから帰られないんだぞ」
「入院?!、そっか・・・」
最後にPCR検査して、1時間ほど2人で隔離され、」陰性が確認できたところで病室へ・・・。
病室へは家族も入れないので、ナースステーションの前で看護師さんにお任せ。
その後いろいろ看護師さんから説明を受け、一旦家に帰って持って行くものを用意して再び病院へ。
一日かかったね・・・。
帰ってきてひとりで夕飯を食べていると、あれだけ歯がゆくてイライラしてたのに、いないと思うと寂しいもんだね・・・。
とにかくあまり認知が進まないでいてくれればありがたいけれども・・・。
無理かな?。
退院して私が面倒みられるんだろうか?。
今まで介護申請もしてこなかったけれども、申請するきっかけになったことは確か。
今日やっと包括支援センターへ相談の電話をし。
審査も先生や看護師と相談して、病院の方に行ってくれるとのこと。
この先のこと、いろいろ考えることがいっぱいあるけど・・・。
ほんとに突然で・・・。