先生と呼ばれる人たちの悩み・・・
せっかく北海道から選出を果たした鉢呂経済産業大臣
9日の会見で福島第一原発の周辺地域を「死のまちだった」と述べ、
その後、発言を撤回して陳謝しています
どうしてあのように心ない言葉を口にしてしまうのかと不思議に思いますが、
それは日ごろからそういう思考で、そういう言葉を使う方だからなのでしょう
大臣になったからと言って、そう簡単に言動が変わるものではありません残念です
それにしても「公務員の常識は、社会の非常識」という皮肉めいた言葉があるとおり、
身分が保障されていることに甘んじているせいか、
家系的に公務員が引き継がれているケースが多いせいか、
一般社会の民間人とは、思考がズレていることが多いのが事実です。
でも、本人たちは、自分がズレているとは気付いていない場合がけっこうあります。
問題に遭遇しても、自分がズレているという思考はないので、
相手の問題ばかりを焦点にします。
自分が槍玉にあがっても、不満ばかりを口にします。
ここが先生と呼ばれる人たちの(本人にも相手にも)悩みになります
そんなときは、周りのサポートが大きな意味を持ちます。
本人の凝り固まった思考のみで行動を起こしても、事態は収束しません。
それどころか、危機感の無さが明るみに出て、かえって悪化します。
事実を事実として捉え、危機感をもって、善処することが可能な
知識人・信頼できる人・モラリストなど・・・周りにいると良いですね
ただ、サポートをする人を間違えると取り返しがつかなくなるので
(同類の思考の人ばかりだと)細心の注意を
考えるのではなく、感じる
カウンセリングを行う立場でも、
ついつい自分のことは先延ばしにしてしまいます
そして移動時間や家事の合間に、
ついつい頭の中であれこれ思考をめぐらせます
過去を引きずり、今に悩み、未来を案じ・・・
一体いつ安らぐときがくるのでしょう
そんなときは、
「ゲシュタルト療法の9原則」の中の
「考えないこと。むしろ、味わったり、見たりして感じること」
を心がけます
掃除機をかけていても考え込んでる自分にハッと気づき、
手を止めて、テレビをつけました
たまたま写し出された番組が
「岩見沢」野音で行われた10周年にして、ラストだった
南こうせつ率いるフォークソングでした
ものすごく遠い昔に聞いた記憶のある曲と
それよりも、その会場に行っているギャラリーの方の
笑顔に驚きました
・好きな歌手に会えて、好きな曲を聞いている
・自然の中で空気も澄んでいる
・(美化された?)思い出が甦り、当時を偲んでいる
・そして、愛する人・大切な人・愉快な仲間(?)と共にいる
ということなのでしょう・・・感動しました
あの場で同じ時間を共有できる人がいることが素敵だと思いました。
穏やかな時間に包まれて、どの方も優しい表情をしていました
テレビをつけた私も、岩見沢野音にいたときの方々も
感じるものが多かったはずです
「この調子で考えずに感じよう!」と前向きな私です
ダブルバインド
友人の娘さんが、一番関心を持った「ダブルバインド」
聞きなれない言葉ですが、実はわりと経験することが多いのです
今回の相談内容は、
「幼い頃は、親に甘えたくて、そばによると、「外で遊んでおいで」と言われ、
言われたとおりに外で遊んでいると、「どうしてお家のそばで遊ばないの!」と怒られました。
学生になると、休日の過ごし方を、「家に閉じこもってないで、外に出なさい」と言われ、
出かけると、「出かけてばかりいないで、家事の手伝いをしなさい」と怒られました」
・・・ということでした
子どもの頃から、親からの矛盾する二重メッセージに困惑していたという、
どこの家庭でも多かれ少なかれありがちなことでしたので、
カウンセリング初心者の彼女も、共感したのだと思います
このように、矛盾する二重メッセージを繰り返し受けていると
子どもは、何をどうしたらよいのか解らなくなります
何をしても怒られる
↓
愛されていない
↓
望まれていない
・・・と思ってしまい、自らの行動がとれなくなります
こういったダブルバインドは、親子の他に「上司と部下」「先輩と後輩」「恋人」「夫婦」間で
経験することが多いようです
想像力を働かせたり、「相手の立場にたって」「思いやりを持って」行動すると、
矛盾する二重メッセージを発信することは少なくなるはずです
このブログを読んでいただいた方には、相手にダブルバインドを向けない
ということを心がけてほしいなぁ・・・
傷つく人を作らないでほしいなぁ・・・と願うばかりです