前記事はアスリートキッズサポートについての紹介でしたが、今回は私のことについて☺️



雪深い12月の北海道に3番目の次女として誕生👶


小さな頃は両親が共働きで寂しい想いもあったけど、とても愛されて育ちました✨


小さな頃から運動が大好きで、ドッジボールで負けてめちゃくちゃプンプンしてた記憶があります。笑

典型的なお転婆娘でした😂


小3から始めたバスケットにどっぷりはまり、ご飯食べる前も後も公園に行ってシュート🏀


バスケを中心に生活していました。


中学生の頃に体育の先生がずっとジャージで羨ましいな、制服動きにくいなと思った頃から、体育教師が夢となりました。笑


高校では楽しかったバスケットから一変

しんどい日々が続きました。


ただ、先輩に言われた言葉がずっと胸の中にあって

頑張れました。


人は試練から逃げても、また同じ試練が来る

乗り越えるまで。

そうやって生きていくんだよ。って…


高校生には重すぎる言葉でした😂


だから、必ず乗り越える為の試練と思って

頑張り続けました。



そんな頑張りが実り、成績ギリギリの奇跡の中、

推薦試験でまたもミラクルをおこし、教育大学へ

進学することができました。

倍率…すごかったんだと思う…


今思い出しても震えるほど奇跡が続き

私にはその時、幸せのレールがひかれている…

と道がみえたのを覚えています。


そう…小さな頃から不思議なな力があった私は

大人の言葉が聞こえたり、時々不思議な体験をしてたこともありました。


今後はそんな力も認めてあげて使う時が

来るんだろうなぁと思ってます☺️


そんなめちゃくちゃ守られて生きてきた私は

4人の子宝に恵まれ(だいぶはしょった😅)


子育てに必死で

自分軸をぶん投げて

子育て軸で生きてきました。



自分のことはいつも後回しで、子ども達のために

どうしようと毎日毎日。



大変だった時もあるけれど、子育てしている私は

誰かにここまで必要とされる幸せはないな…と

痛感しながら生きてこれました。



ただ、ずっと不安だったのです。


子ども達がいなくなったらどうしよう…

パパと2人で何をしてるんだろう…

今が1番幸せなのに終わるのがこわい、と。



そんな不安の中


子ども達といられる時間を最大限幸せに生きたいと

思ったし

同時に今まで走り続けてきた私自身をもっと私が大切にしてあげないといけないと気づいたのでした。



この2つを最大のミッションとして私自身も

幸せになるしかない!と決め、現在に至るわけです💫


みんな幸せになる為に生まれている


幸せな方に流れている…どんな時も



そして



あー生きやすい生きやすい


って生きていきたいなと思いながら

お仕事をさせてもらってます😊


具体的なメニューは

今後1つずつあげていきたいなぁと思ってます✨



こんな長文を最後まで読んで頂いた

めちゃくちゃレアなあなた♡


感謝の気持ちをたくさん込めて🫶✨


パワー🌳✨


どうぞよろしくお願いします🙇‍♀️♡