最近、自分も大人になったなと思う。責任をもって行動するようになったとか、他人の気持ちを考えて行動できるようになったということではない(ないのかよ)。単に、自分も周りも、僕のことを子どもだと見なさなくなった、ということに端を発する何かだと思う。

そりゃ30にもなって当然だろと言われそうだが、身近な同僚に年配の方がいれば、子ども扱いはされないまでも、30でもまだそれなりの若造として、へへぇーッてな感じでいられる。それがどうだ。考えてみれば、一緒に組んで仕事をしいてる同僚だと目上の人の方が少なく、その目上も10歳差未満がほとんどなのだ。なんてこった!若すぎじゃないか!…ということは一年も半年以上が過ぎた先日の会のときに気付いたことだった。

そもそも職業柄、普段接する人からは大人としか見られないのでここ数年大人のフリして生きてきたのだが、そのフリがいつのまにか板についてしまったというか、それでも以前はみんなに近づいて若いフリをしていたのが、ここのところは実際の年齢差による隔世の感を前提に親近感を出した方がラクだということに気づき、そしてみんなともそういうパッケージのコミュニケーションだとわかれば若いフリをしているときと大差なく歩み寄れることに気づき、何かにつけて「これだから昭和は」と言われることに甘んじる日々を過ごしている。

大人の階段を登ったつもりはないのだが、いつのまにか乗ってしまった大人のエスカレーターはみなとみらい線からクイーンズスクエアに伸びるそれ級に長く、そろそろ踊り場を見つけたいところではある。

とかなんとか言ってお茶を濁そうとしてみたものの、最初この話を書こうとしたのはそんな話ではなく、コミュニケーションの結果として新たな感性を得るというようなところはあるよなというものだったのでそっちをちゃんと書こう。

このところ、子どもの死のニュースを見るにつけ、心が締め付けられる。悲惨な話を自分の話にひきつけて言うつもりはないのだが、大人として他者と話をすることで、今までそれほど痛切に感じられなかったことが我が事のように感じられるようになっているのだとは思う。大人になると悲しいことが増えることを知った。