れながさ、凄いなぁと思うのは、努力の押しつけをしないし、人の評価をしないことなんだよね。
それこそ、自立してるってことなんだろうなぁ。

私は本当に結局最後のところでjudgeしてると最近すごーく思う。
そして周りの人はさぞ居心地を悪くしているだろうなと反省。
評価軸(≒興味持つもの)がとっても狭いんだよね。
そして他人に評価を付けたがるのは、軸を確認しようとしてる、自分に自信がないことの裏返し。



あと、学さんに言われて初めて自覚したけど、
完璧主義なんだろうなって思う。
足りないところを補う、弱い所を補強する、人を批判する、意見を付与する…全部そう。

だからこだわる。だからやり抜ける。それが唯一の自信のよりどころになる。

だけど、だから、脆い。

学さん、あいつやっぱ何だかんだ凄いよなぁ、悔しいけど。。まぁそういうの、好きなところw


そして完璧主義を押し付けるっていうね。
ペースの並走は押し付けたらだめって、分かってるし散々人に言ってきてるのに。


そして、たまにとても疲れてしまうんだ。
もっと強くなりたい、もっと色々と出来るようになりたい、もっと頼られたい、もっと自信持ちたい、
もっと安定ひたい、もっと好かれたい、
もっと、もっと…
自己依拠における帝国主義。


でもそうやっていった先に何があるっていうんだろう。
素敵な未来の約束も、見えている世界も、私自身も、別に大して変わらない。
そう、世界は変わらないの。
そもそも誰だ、そうやって努力と希望・幸せを結びつけたのって。
それに気付いて、呆然と息切れしていた今年。

夏前くらいから思ってはいたけど、特に夏、
頑張れば頑張るほど、周りは私を一人で良い人だって思ってしまうんだろうなぁと気付いて、
元々求めてたものと、頑張り方が違うんだって思って
ものすごーく悲しかった。

じゃあ,私がやって来たこと・持って来た思いは何だったの?って。

廣田に言われたことで凄く申し訳なくって、
一緒に居る人に嫌な思いをさせたくない、とか、守りたいって思ったから、
キャパを増やさなきゃ、強くならなきゃって思っていたのだけど、
じゃあそういう私と一緒に居た人は、それで幸せだった、幸せなのかなぁ。

結局のところ、その時々(短期的に)で自分に大事なものを選んでしまって、
大切な人を失ったり、大切な気持ちを我慢したり、

まぁでも確かに、私あれ以来適当な人付き合いってしてないかもしれないな。
真面目に向き合おうっていう気持ちはいつもあるかも。
だってやっぱり、同じ気持ちにはさせたくないもの。
もうあんな思いは二度としたくない。私がね。

本当に罪悪感と申し訳なさと、無力感でいっぱいだった、4年前の夏。

ちゃんと、自分で自分のこと受け止めて、愛していかないと
自分のことでいっぱいいっぱいで、人と関わることが出来無くなりそう。恋愛含め。


だって私は全然満足してないもの。自分の現状に。
ダメなところ沢山あるし、私はよく人と比較する。
色んな人と比較すればするほど、自分のだめなところが浮き彫りになっていく。
私は最早、短所を語るのが好きな方だし、それを認めることは快感ですらある。
それは多分、多くの人が困難に感じるであろう、「短所を認めて人に話す」ということが
難なく出来るようになっている自分に、満足しているから。
でもこれだけじゃ一歩目でしかない。


でも何となく、自分の根っこの部分は好きだな。負けず嫌い、真面目、攻めの姿勢。
それに信じてる。自分のエネルギーを。愛せるって。


短期的に信じられなくなるときもあるけど、それでもやっぱりやれる子だって、信じてる。
きっと同じ言葉を掛けて育てて来てくれたであろう、お母さん・お父さん・周りの人に感謝。

結局私はどうしたいんだろう。どういう世界や理念が理想だと思ってるんだろう。

と、思ってみたけど、やっぱり人が還って来る場所でありたいな。
彩り豊かで、柔らかで、それでいて、折れない。愛情を絶やさない。
bossa novaが似合う良い女が良い。


メンタリティだけは、ステージの上に居る勇気を。
そして明日からのステージが、楽しいものでありますように。
笑顔で帰ってもらえるものでありますように。

こういうこと考えられる・素直で綺麗な心で居られるのも、
育ちが恵まれているから。ありがとう。


来年の目標は、彩。 まぁ5カ年計画かもしれないけどね。笑
先日内定先にて研修。

いわゆる○○流の考え方・ツールを習ってみる。運用してみる。
確かに効率良く作られている、そんな感じ。

確かに、均一的に「頭が良い」なーと思う。話してて、ん?ってなる人が居ない。
気付きのレベルが深い、話が通じてる、そんな気がしています。
なんかものすごくずば抜けて凄いなーっていう感じじゃなくて、優等生的な取り方というか。
平均を下回る人が居ない、内定先のイメージはそんな感じ。
先輩が言ってた、「普通の人が猛烈に頑張る会社」って言う言葉のイメージが分かりました。

さて、題名の通り書きたかったのは、
「教育方法」について。

マルタスのファシリ研修のときにふと思ったのだけど、私は体系的にものを教えられた経験が無いから、
体系化された知識からinsightを取ってくるのがとても苦手。

散らばってるものを拾い集めるうちに自分で体系化していく方が得意。
しかもそれは実践の中で思った気持ち、気付いた視点 に敏感でそれを覚えているから。

だから間接体験から学ぼうとするケーススタディも上手くフィットしない。
しないというか、させ方がよく分からない。

けど多分私の内定先は個人を均質化して、体系化された知識をinputすることで
同質のソルジャーを作っていく術に長けている。とても。

それがあそこの強さなのかもしれないし、組織体として”強い”理由なのかもしれない。
買収先の染め上げとかね。
まぁ要するに軍隊ですね、統率がとれている。
ただ凄いなと思うのは規律がはっきりしているために裁量がとても大きいこと。
縦にだけじゃなく、横にも斜めにも。
本当に「好き勝手」出来る。
これだけ均質化を進めておきながら、懐の大きな会社と言われる所以はそこにあるのかなーと思います。


超成果主義:(自分のフォーカスポイントについて)

自分の結果とかではなくて共同体の利益主義、共同体の成果主義。
興味があるのは皆の幸せ、共同体としての成功。
そこに意味があると思うから、プロセスフォーカス・個人のキャパや気持ちフォーカスになる。

そして性格≒言動が流動的である以上は、
「フォーカスポイント」がその人のオリジナルの、本質の部分になるんじゃないかと思う。
そして私は少なくとも人よりは、人のフォーカスポイントを見つけることが得意みたい。
見つける、だけじゃなくてそれを人に説明したり、別の方向に注意を向ける術を見つけたり。
多分それは、「なんで」そこに注意が行ってるか、考えてそこに対してアクションをとるからかな。
こういう考え方は、自分が納得出来ない先輩とか友達とかに対するときに身に付けたもの。
自分がここで過ごしてきた3年間を、あの人たちは別の場所で過ごしてきてる、
じゃあ彼らは彼らでそこで見てきたものがある筈。それって何だろう、何を考えてるんだろう。
分かり合うポイントが何なんだろう、いつの間にかそれを見つけるのが得意になった。

だって私がその先輩を嫌ったままだと、何も前に進まないって、分かったから。
そういう風に仕向けてくれた奈奈さんに、心から感謝。FAX4枚に渡る手紙に、心から感謝。

けどそもそも、
なんで共同対の成功を気にするようになったんだろう。
組織に都合が良く、組織の中での方が生き生きするタイプ。
けど一方で、多分ここが合致し過ぎると心身ともにすごく消耗するから、気を付けないとな。
あれやらなきゃこれやらなきゃって思う前に、きちんと心を休めて。そわそわしないで済むように。

大丈夫だよって。
人の評価なんて、自分と同じような人に高くついて、そうじゃない人に低くなる。

でも多分、似過ぎてるとそれはそれで反発するんだと思う。
プライド高い人が苦手、なんて答えは単純で、両立しないからってだけなんだよな。。

元々結構な競争気質で、でもそれじゃ上手く行かなかったんだよなぁってこと、
走ってて思い出した。
人の背中を追いかけるのが好き。
追いぬかすことが先輩への一番の恩返しだと思ってるし。

絢ちゃんと細かい小競り合いで色々あって、でもそれじゃだめだなぁと思って
力の方向を変えたらもっと上手く行くようになった、
多分そんな感じだな。

だから対自分、対ラベル 対象は人じゃない方がいい。
余計なエネルギーが出ないで済むから。


それでも、人と比べて「あぁ自分はこんなにダメだな」って思うこと多いし、
それを直していきたいという想いが活力源になってることは間違いないんだ。

だけど、それを「自分の理想があるから」直していきたいって思うのか、
「あの人に負けたくないから」直していきたいって思うのか、その違いな気がした、今書いてて。


ここ最近(2か月くらい?)、
すごく自分の悪い面が助長されてる気がして嫌でなりません。
見下し癖再発というか。
しかもかなり長いスパンで戻って来ている感じがする。いややなぁ、本当に。。。

文明塾で、アサーティブなマインドセットはスキルです!とはっきり言っていて、
なんだー、じゃあリーダーシップとか、性格とかって、結局スキルなのかなぁ?と思ってしまった。
面接で言ってきたこと、とかも単なるスキルなのかなぁ。

でもそれって自分をコントロール出来る、というレベルの話であって、本当の性格ではないような気がする。
っていう考え方自体マースにかなり影響を受けてるのかもしれないんだけど。。

とは言え、言動の一つ一つがその人のキャラクターを組成していて、
考え方を投影しているんだとすれば、
毎回の“言動”の選択≒マインドセットがコントロール可能なら性格や人格はコントロール可能ってことになる。


・・・けど、人間それじゃあ無理が来るようになってるんだよなぁー。。
どこにギャップがあるのかしら。という感じだけど、

自分の理想として、「あるべき」「コントロール結果としての」“自分”と、
自分の自然の姿として、「ありたい」「ただ置かれたままの状態の」“自分”と、
がズレてると、難しいのだろうな。

だけど、じゃあどうやったら理想の自分に「変わって」いけるんだろう。そこが全くの謎。
じゃないと常に現状維持。

とは言え、やみくもに、「変わろう!」と思ってもそれじゃ全然だめで、
電気のスイッチみたいに、本来の自分が元気を失っちゃうだけ…w
それじゃあ本末転倒なんだよなぁ。元気とエネルギーを奪うだけだし、自分が居なくなるだけだから。


とは言え、アイデンティティって考え方なのか?
一旦アイデンティティクライシスを起こそうと思ってやってみたのだけど、
結果的には結構良かったと思っていて、それは自分の性格の自己認識につながったから。
振れ戻し含めて。

なんか、アイデンティティって、考え方の先にあるというか、もっと根幹の部分にある気がしている。
自分が信じているもの、信じる価値、価値観ってことになるのかな、結局。













思うことは色々とあって。だけど上手く言葉にならなくて。

求めてるものは何なのか。
与えられた機会は何なのか。


究極的にはこの二つに集中される。


内的動機と外的機会が一致するとき、それが、「あ、これだ」と想う瞬間。なんだろうな。
今の私には内的動機が薄くて、外的機会ばかりたくさんある状態。

少なくとも面接で語って来た動機は何だったのか、
これからの最終では何を語りに行くのか、
どんな自分になりたいのかをもう一度考えてみましょう。


考えの尺度を変えるべき、なのかもしれないよね。
内定レベルから社会人レベルまで。

どちらにしても仕事のやり方や自分のあり方は自分の性格が表れる部分だと思うので

「要る場所」としてどこを選ぶか。
「周囲からの見られ方」として何を選ぶか。
「得たいもの(外的・内的)」として何を取りに行くか。
「リソース」として何を利用しに行くか。

こうした部分でしか、違いなんて出ないだろうなと思います。


最低限、自分の価値基準と会社の価値基準が合ってるのか。
人に話せる答えを持っておきたい。




物産に勤めている田村の先輩からもらったお言葉。先輩が入社以降先輩にもらった言葉、だそう。

OB訪問の後、わざわざメールをくれて、泣きそうになりました。

最近思うのは”人+仕事=完成形”に初めてなるのだなぁと。
どっちだけでもダメなんだな、と思う。

どっちもがあって初めて、形になるというか。相乗効果なのだなと思います。



==Quote==
・ 「世の中に面白い仕事なんて存在しない。面白くするもしないも、それは全て自分次第。面白い仕事は与えてもらうものではありません。自分で面白くするのです。」

・ 「自分ブランドは一日一日の積み重ね。瞬間風速で身に付くものでは有りません」

・ 「人間万事塞翁が馬」

・ 「運と縁とタイミング」

・ 「因果具時:現在の果を知らんと欲せば過去の因を見よ。未来の果を知らんと欲せば現在の因を見よ」 つまり、「原因と結果は必ず一致すること」。

・ 「人が仕事を創り、 仕事が人を運ぶ。人が仕事を創るが、その仕事が思わず自分自身を運んでいってくれる。想像以上に自分を遠く、凄いところまで運んでいってくれる。自分が精魂かけて創った仕事が、なんと自分自身へ恩返ししてくれるかのように、自分の運命をもたらしてくれる。自分の運命を開いてくれる。心底打ち込んだ仕事は、貴方自身の運命を開いて、さらに高いところ、さらに凄い領域に運んでいってくる。「仕事」以外でも、影の努力で結実したものであればなんでもいい。ただ、強烈に影で努力すること。人の何倍も影で努力すること。それが運命を開く。若いときにどれだけ影の努力を積むか、が大事。」
==Unquote==




先輩、ありがとうございます。
がんばります。