こうしたらいいのではないか、
ああすればよいのではないか、
なんらかの課題を抱える個人あるいは集団において、もっとも熱く議論されるのはここである。
私もそうだったが、本来、手段は、ベキ論の下位に属する「べき」ものである。
それがない手段、砕いていえばアイディアの応酬は結局アイディアに留まり、アイディアは個人単位から出てくるものだから説得力を持たない場合が多い。
べき論は事実あるいは、みんなの共通認識を帰納あるいは演繹的にまとめたものである。
ついアイディアに走りがちな自分に気づいてから、思考がとてもシンプルになった。
そして、自分が観察しあるいは意見交換しあるいは取り込んだ現実について、一定のべき論を導きだすいいトレーニングになっている。
新たな人生において、新たな仲間に対して、私が引き続き強化していかなければならない能力だと思う。
しかし自分もそうだったとはいえ、本当に、べき論のないアイディア討論、世の中に溢れかえっているなぁ。