ちとせならのツアーの続きです。

新薬師寺の隣にある不空院(通常非公開)は山号の春日山(しゅんじつざん)が示す藤原氏ゆかりの寺。

 

唐から招へいされた鑑真和上の到着後の最初の滞在先であったと伝わります。平安時代、住坊跡に空海が八角堂を立て、それが興福寺南円堂のひな型になったと伝わります。

 

南円堂を建立した藤原冬嗣は唐から戻って来た空海を引き立てたようなので、十分ある話。

 

八角堂は安政の大地震で倒壊し、本堂はその礎石の上に大正時代に建てられました。

 

鎌倉時代に不空院を中興したのは真言律宗の僧、なので、現在も真言律宗。

 

後に春日大社の宮司となった二条基弘氏が維新後の寺の復興にいろいろと手を貸されたようです。

 

不空羂索観音

 

藤原氏の崇敬した不空羂索観音坐像が祀られています。鎌倉時代の作で玉眼入り作者は不明で宝冠がないのが特徴です。手にされている蓮の花も額にある第三の目も開いているので、悟りに入られた直後かもしれません。

 

羂(けん)は網、索(さく)は魚の釣り糸のことで人々を救う道具です。羂は不動明王も手にしていますが、こちらは武器としての使用です。

 

観音様は鹿皮の衣装を身にまとっています。

 

 

春日大社第一の神であるタケミカヅチ(国譲りの使者)の本地仏とされ、鹿の像が置かれていて可愛いらしい。

 

神社のように鏡もおいてあるので、神仏混交色が強い。もしかしてこれは二条基弘氏の趣味?新薬師寺の先代のご住職の絵も厨子に飾られています。

 

↓この方、同じツアーの参加者やわ

 

南円堂にも不空羂索観音坐像があって、国宝。

 

 

 

徳川慶喜

代々の徳川将軍の位牌が祀られますが、十五代将軍慶喜の位牌はありません。徳川将軍の中で最も長命な彼は神式で葬儀をしたから戒名がありませんびっくり葬儀委員長は渋沢栄一

 

朝敵だった自分に爵位を与え名誉回復した明治天皇に敬意を表してのことですが、年下の明治天皇が先に亡くなりました。

 

縁切り寺

江戸時代は縁切り寺、かけこみ寺として信仰されていた名残。

 

実際に駆け込んで京都嵯峨野の祇王寺を再興して庵主となった高岡智照尼をモデルに瀬戸内寂聴さんが小説を。

 

 

 

ご本人の自伝↓

 

寂聴さんが嵯峨野に寂庵を開いたのが1974年で、智照尼が亡くなったのが1994年なので付き合いはあったんやろね。

 

↓そやそや、こういう風におっしゃってました。

 

狛犬ならぬ狸で、阿吽(あうん)の一対になっています。

 

芸妓達が芸事の上達をお願いした弁財天(室町時代)もあるようなので、またの機会に。

 

 

井上内親王と藤原家

本堂の裏に聖武天皇の皇女、井上(いうえ)内親王が祀られています。

 

ここはガイドの友松さんの案内がないと絶対行かへんかったわ。

 

天皇が63歳で即位して皇后となったものの天皇を呪詛した咎で内親王は廃后。幽閉先で廃太子された息子、他戸(おさべ)親王、と同じ日に亡くなりましたガーン

 

 

 

 

異母姉にあたる孝謙天皇が重祚して称徳天皇になったのも他戸親王誕生後なので、後を継がせることも考えていておかしくない。

 

道鏡と称徳天皇像は女帝が困る藤原氏の都合がかなり入っていて、これが今日まで継がれています。

 

 

光仁天皇の祖父が天智天皇、子供が後に平安遷都をする桓武天皇とその弟で非業の死を遂げた早良親王です。桓武天皇の母は高野新笠で父方は百済王の血を継ぐ渡来人の家系出身で母方は古墳の技術者、土師(はじ)氏。

 

↓うん、その通りでやわ。この本は2022年11月刊行で新しいんや。

 

桓武天皇をバックアップしたのが式家の藤原百川。ここにもキングメーカー、藤原氏が顔を出します。

不空院と縁が深い藤原冬嗣は藤原北家で式家でないから直接、内親王抹殺への陰謀に関わっていない可能性もあるんやけど、わが身に呪いが振りかかるのを恐れて祀ったんやろか?

 

(続く)