スカッとした梅雨晴れの中、6月19日高野山まで。南海電車は込んでいました。こういう↓行事があったからかな?

 

霊宝館

南海電車の高野山世界遺産きっぷ(当日購入可•二日間有効)で200円引です。

 

弘法大師空海企画展「お大師さまから・お大師さまへ」で以下に紹介する展示は全て7月9日まで

 

 

聾瞽指帰

前期の目玉の一つは国宝「聾瞽指帰」(ろうこしいき)。

 

 

 

 

 

 

空海の貴重な直筆で、読めませんが達筆なのは間違いないわ。さすがに、「先生」とか「延暦」はわかりました。入唐する前、24歳に仏道に入ることを親類縁者に意思表示したものです。

 

↓字の特徴など解説。

 

勤操僧正像

空海の師、勤操(ごんそう)僧正像も生き生きした感じが伝わる名品で、元気をもらえるタイプの珍しい国宝。↓のほうが色彩がはっきりしてわかりやすい。

 

↓平安時代の作品ですが、室町時代の年号があります。

 

 

wikiによると最澄からも空海からも灌頂を受けているようです。また、空海が任された東寺の隣にあった西寺の別当を務め、そこで亡くなったようです。

 

 

 


 

 

勤操が亡くなったのが827年で、空海が建設中の東寺を任されたのが823年なので、少し重なっています。大安寺↓とも東大寺とも縁が深い人でおそらく東大寺のお水取りでは名前を呼ばれること間違いなしと思うけど、確認してみよう。

 

 

善如龍王像

空海の生涯に関する展示では、男女の別がまぎらわしい善龍王が男性として描かれていました(龍光院蔵、室町時代)。善龍王と書かれることが多いねんけど、展示目録の善如は納得.

 

 

 

空海と西寺の守敏との雨乞い対決で善龍王が登場するんやけど、守敏は勤操の後任で弟子で、奈良出身なので、奈良の仏教排斥のために作られた話かも。空海は隠れ奈良派です。

 

宸筆「弘法」

昭和天皇の宸筆「弘法」も展示されていました。これは高野山壇上伽藍・根本大塔の扁額になっているらしい。

 

空海入定1,100年を記念して根本大塔再建時に下賜されたもの。1937年の日中戦争開始の年、高野山が戦争に関わった様子はあちこちに伺える。なるほど↓

 

狛犬

元々天野社と呼ばれた丹生都比売神社の木製の狛犬(室町時代)も展示されていました。元は青と緑に塗られていたのかな?

 

 

 

 

金念珠

↓龍光院が高野山での空海は住まいだったらしい。そこに伝わる伝空海が唐から持ち帰ったとされる金念珠

 

 

(続く)