スカッとした梅雨晴れの中、6月19日高野山まで。南海電車は込んでいました。こういう↓行事があったからかな?
旧暦の5月1日・2日である6月18日と6月19日に夏季祈り(かきいのり)が厳修されました。
— 高野山別格本山 南院 (@NamikiriF) June 19, 2023
夏季祈りとは、五穀豊穣、除災招福を祈る法会でございます。
昨日当院のご本尊浪切不動明王様が唐櫃に入り壇上伽藍・山王院へとご出仕され、本日当院へとお戻りになられました。合掌#高野山 #浪切不動 pic.twitter.com/0bgfFa1TRI
霊宝館
南海電車の高野山世界遺産きっぷ(当日購入可•二日間有効)で200円引です。
弘法大師空海企画展「お大師さまから・お大師さまへ」で以下に紹介する展示は全て7月9日まで。
聾瞽指帰
前期の目玉の一つは国宝「聾瞽指帰」(ろうこしいき)。
聾瞽指帰!さすがNHK、ここで最大級の寺宝を出してもらうか。 #ブラタモリ pic.twitter.com/rywnemo7zv
— 酒上小琴【サケノウエノコゴト】 (@raizou5th) September 16, 2017
【#高野山展 から:1】#空海 24歳の自筆として名高い国宝《聾瞽指帰(ろうこしいき)》(展示は上巻のみ)。仏道へ進む決意を、力強い筆使いで戯曲風に綴った、いわば「出家宣言書」です。全長10mを超える大作なので、2期に分けて全文を展示します。前半部は10/14まで、後半部は11/7~20展示。 pic.twitter.com/8Ks1I30rDE
— 【公式】愛媛県美術館 (@ehime_art_Mus) October 4, 2022
空海の貴重な直筆で、読めませんが達筆なのは間違いないわ。さすがに、「先生」とか「延暦」はわかりました。入唐する前、24歳に仏道に入ることを親類縁者に意思表示したものです。
↓字の特徴など解説。
勤操僧正像
空海の師、勤操(ごんそう)僧正像も生き生きした感じが伝わる名品で、元気をもらえるタイプの珍しい国宝。↓のほうが色彩がはっきりしてわかりやすい。
【国宝絵画公開情報】
— 国宝絵画 (@kokuhoukaiga) August 25, 2014
おはようございます!本日より高野山霊宝館の大宝蔵展が後期展示となり『勤操僧正像(ごんそうそうじょうぞう)』が公開されます。見方によってはお茶目。10/5(日)まで! http://t.co/nqkQBrzU9u pic.twitter.com/PQqRc0vZog
↓平安時代の作品ですが、室町時代の年号があります。
⛳️普門院庭園④。
— 日本庭園メディア『おにわさん』中の人 (@oniwastagram) September 10, 2019
高野山の宿坊🛏普門院は高野山開山後の824年の創建と伝わる寺院で、開いたのは #弘法大師 #空海 の師範・勤操(ごんぞう)と伝わります。
勤操も平安初期の著名な僧のひとりで、普門院所有の“絹本著色勤操僧正像”🖼は国宝に指定(原本は高野山霊宝館に所蔵)。#庭園 #高野山 #和歌山 pic.twitter.com/xftVP3nvFz
wikiによると最澄からも空海からも灌頂を受けているようです。また、空海が任された東寺の隣にあった西寺の別当を務め、そこで亡くなったようです。
「西寺跡」
— はーいもしもし (@J6RXqrI1tMBcvRf) November 27, 2020
平安京の表玄関・羅城門の両脇には、二大官寺の東寺と西寺が建っていた。東寺は空海(弘法大師)に、西寺は守敏に下賜された。東寺はその後発展したが、西寺は衰退し度重なる火災で消滅。公園に土壇や礎石が残るのみ。空海と守敏の神泉苑での雨乞い対決は有名! pic.twitter.com/nf1cmAZsPA
東寺は空海、西寺は守敏に下賜、と言われますが、これは伝説の範囲のお話。そして東寺、西寺とも塔の完成は9世紀末頃で、空海はそびえるツインタワーを実際には見ていないのでした。すごい眺めだったろうなー。@cafemari https://t.co/SQ6oOr8BEt
— 橋本麻里 (@hashimoto_tokyo) October 27, 2019
タモリさんが訪ねた、史跡西寺跡です!😎
— ブラタモリ (@buratamori2018) 2023年5月13日
東寺と対照的に、講堂の跡です。
ロケ地→https://t.co/9wFDQw2BGF#ブラタモリ #西寺 #東寺 pic.twitter.com/e03drIBe6e
勤操が亡くなったのが827年で、空海が建設中の東寺を任されたのが823年なので、少し重なっています。大安寺↓とも東大寺とも縁が深い人でおそらく東大寺のお水取りでは名前を呼ばれること間違いなしと思うけど、確認してみよう。
善如龍王像
空海の生涯に関する展示では、男女の別がまぎらわしい善如龍王が男性として描かれていました(龍光院蔵、室町時代)。善女龍王と書かれることが多いねんけど、展示目録の善如は納得.
【真言宗大珠院公式アカウントのフォロワーの皆様おはようございます】
— 真言宗大珠院 -24日より限定御朱印配布- (@Officia54716581) June 17, 2023
毎月17日は龍猛菩薩、清瀧権現の御縁日
龍猛菩薩は般若経系経典の説く空観思想を体系化した古代インドの高僧です
清瀧権現は空海が神仙苑の「請雨法」の際に唐から勧請した善女龍王と同体とされます
祈願
世界平和
万人豊楽 pic.twitter.com/yuF6gN40NO
善女龍王は雨乞いの対象である龍王の内の一尊✨善如龍王とも表記される✨☺️八大龍王の内の【娑伽羅】の第三王女と言う事です✨像の左右に「三千世界 代乗真悲」と刻まれる✨☺️ pic.twitter.com/XGV2BaeCo7
— 大心 (@17G6P5td1wOBglk) June 15, 2022
空海と西寺の守敏との雨乞い対決で善如龍王が登場するんやけど、守敏は勤操の後任で弟子で、奈良出身なので、奈良の仏教排斥のために作られた話かも。空海は隠れ奈良派です。
宸筆「弘法」
昭和天皇の宸筆「弘法」も展示されていました。これは高野山壇上伽藍・根本大塔の扁額になっているらしい。
弘法大師という諡号を醍醐天皇より下賜され1100年が経ちました。
— 高野山 青巖寺@南山坊 (@nanzanbou) October 16, 2020
明日から大師号下賜1100年記念法会が10日に亘り執行します。9時から奥之院で開白法会を催し、金剛峯寺では弘法大師像が5年振りに特別開帳します。この勝縁にぜひ御参拝ください。写真 根本大塔 昭和天皇勅額https://t.co/aeRr73qCxS pic.twitter.com/ACwSV8jTzN
空海入定1,100年を記念して根本大塔再建時に下賜されたもの。1937年の日中戦争開始の年、高野山が戦争に関わった様子はあちこちに伺える。なるほど↓
戦争とは無縁と思われる高野山だが、昭和18年には高野山の人口を超える一万一千人(施設隊三千人、予科練生八千人) の軍隊(三重県海軍航空隊)が駐留した。寺院は兵舎となり、山門には銃剣を持った兵隊が立ち住職もそこから出入り出来なかったという。
— 高野山 青巖寺@南山坊 (@nanzanbou) August 15, 2015
狛犬
元々天野社と呼ばれた丹生都比売神社の木製の狛犬(室町時代)も展示されていました。元は青と緑に塗られていたのかな?
【丹生都比売神社】Niutsuhime Shrine🇯🇵
— 寧々丸 (@Dixies0420) February 25, 2023
真言密教道場の地を探す弘法大師空海の前に黒白二匹の犬を連れた狩人が現れ高野山へ導きました。狩人はこの神社で祀られる丹生都比売大神の御子である高野御子大神の化身で、これが神仏融合の始まりともされています。#loveplus #ラブプラス世界遺産 pic.twitter.com/UpMo5sXEmE
「空海と密教美術」展、7月30日までの限定公開である「金念珠」は、空海の住坊であった高野山の竜光院に秘蔵されてきたものです。空海が唐にいたときに、順宗皇帝から贈られたと伝えられています。
— 空海と密教美術展 (@kukai_supporter) July 27, 2011
金念珠
↓龍光院が高野山での空海は住まいだったらしい。そこに伝わる伝空海が唐から持ち帰ったとされる金念珠。
#龍光院(別格本山)
— 大和♧𝚃𝚂𝙲. (@yamato_3312st) July 20, 2021
弘法大師空海様の居住地🏚️
高野山で最古の寺院☝️
本尊 大日如来🙏
平安時代に庭池に龍神が現れ
寺名を中院から龍光院に改💡
御朱印は手書ではないが
寺宝は貴重な物が数多く
空海が描いた#伝船中湧現観音像 をはじめ
国宝&国重文が数十品👀
現在、高野山名宝を
霊宝館で展示中✨ pic.twitter.com/BpenUSpnT4
(続く)