明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
2022年11月24日、王寺町観光協会ツアーの続きです。八尾市を後に大阪市内の四天王寺に。
極楽浄土の東門
西側に鳥居があるところが、めっちゃ神仏習合。かつて、大阪湾がすぐそばまで迫っていました。この先にある西門は「極楽浄土の東門」=極楽門と呼ばれ栄えました。
現在でも春分・秋分の日には沈む夕日を見ながら浄土を思う日想観(極楽浄土イメトレ)が行われます(復活行事らしい)。
大阪・四天王寺石の鳥居の中心にある額には
— 柏木ゆげひ(朝原広基) (@kashiwagiyugehi) October 12, 2016
釈迦如来
転法輪処
当極楽土
東門中心
とあるようです。能《弱法師》で描かれるように、彼岸の中日に真西に日が沈む様子から極楽を拝む「日想観」という信仰があり、四天王寺はその中心でした。「四天王寺前夕陽ヶ丘」の駅名もその名残です。 pic.twitter.com/pifFuf6D6f
今回の天平人活動は、お彼岸の四天王寺日想観法要へ。夕陽を見てお浄土を想うイダイケ夫人のイメージで。#日想観 #四天王寺 #天平人活動 #観無量寿経 pic.twitter.com/vOSG9aEQHT
— 中田文花 (@nakatabuncho) September 24, 2020
舎利出
毎日11時に金堂で行われる舎利出しに参加する予定でしたが、光蓮寺に寄り道して予定を変更。
最後に、ご監修の #小野真龍 先生のコラム。四天王寺独特の「舎利職」とは何か、また願文に秘められた思想とは。ご一読ください。#四天王寺 #聖霊会 pic.twitter.com/71bf3TktEZ
— 中田文花 (@nakatabuncho) December 30, 2020
この行事を毎日継続って、火事や災害が続いて何度も浄財を集めた四天王寺よ近年を歴史を思います。
毎朝11時 金堂で行われる11時 舎利だし これを受けてこそ四天王寺詣
— en madoka (@enmadoka) April 4, 2022
四天王寺で一番大切な儀式 大阪人のほとんどが知らない #四天王寺 pic.twitter.com/y2wDJ7bxfW
台風
【大阪百年前】78
— 大阪歴史博物館 (@naniwarekihaku) September 21, 2021
87年前。室戸台風で倒壊した四天王寺五重塔。昭和9年(1934)9月21日、大阪を襲った室戸台風は、四天王寺五重塔を倒す強烈な暴風だった。上空からの写真には、五重塔や中門が砕けたさまが捉えられている。左端の建物は金堂。(雑誌「上方」46号、昭和9年)(ふ) pic.twitter.com/MW2YpTFGMj
空襲
大阪の心臓、四天王寺は南北朝以来何度も焼尽と復興を繰り返し、最後は大阪大空襲で灰燼に帰したが今に至る。町の力と信仰があれば祈りの場は蘇るということでしょう。写真は同寺HPより。 pic.twitter.com/r3oJY7dTtq
— TAQUENACA, Aquirax (@aquirax01) April 16, 2019
托鉢で再建を果たした「みんなのお寺」の表れなんやとさりぃは感じました。
ここで西山先生から
本物かもしれない仏舎利が日本にもある!
舎利はもともとはお釈迦様の遺骨を意味しますが、立派な舎利容器に入っているものは通常は水晶の玉などで、骨ではありません。
今回のガイドをしてくださった西山厚先生は奈良国立博物館で学芸員として、仏舎利の展覧会をされたようです。
↓かな。
その時の上司のコメントが「うーん、舎利は跳ねるからな。」展覧会関係者でけが人が出たりアクシデントが続いたようです。
日本にもおそらく、本物のお釈迦さまの遺骨(ご真骨というらしい)が名古屋の日泰寺にあります。
英国人によって明治時代にネパール国境に近いインドのジャングルで真舎利が発掘されました。真舎利の決め手は容器にあった古代文字の解明されたから。
インドはヒンズー教の国ということで(英国人のアイデアと言われています)、仏教国であるタイに送られ、それを日本がおすそ分けしてもらったものです。京都の妙法院に一旦、安置され、名古屋に新たにお寺を建立したらしい。
#近代建築 19/04/08 名古屋市
— Kanpanerura(🌸=^_^=) (@Siamese___Cat) April 8, 2019
日泰寺 奉安塔@千種区
1918年築
設計:伊東忠太
花崗岩2階
ガンダーラ様式
ここの2階部分に仏舎利が安置されている
つまり、お釈迦様の本物の遺骨がある…とのこと
ただ、立入禁止なので、全貌は拝めず、写真
今日は降誕祭( #花まつり)
涅槃会に来るべきだったかも pic.twitter.com/W3TY4BXjzY
舎利塔の周りが立入禁止なので、人気スポットではないらしい。
日本人だけではなくインバウンドの聖地になるポテンシャルはあると思うけどな。
覚王山日泰寺に参拝致しました。タイ王国から寄贈された真舎利(インドでイギリス人が発掘した釈迦、その親族の遺骨)が唯一有るお寺です。合掌 pic.twitter.com/Oo0MaBdDZV
— 888 龍神様 (@Riyu8888) October 31, 2022
ここでも物部氏
聖徳太子を祀る聖霊院のそばに、物部氏が祀られています。
柵があって近くに行くことはできません。
↓そうかも。
四天王寺にある熊野権現礼拝石。この石は阿蘇ピンク石であるので、元は石棺でだという説がある。四天王寺は聖徳太子を担いだ蘇我氏に戦争で敗北した物部氏の古墳を潰してつくられたと言われている。 pic.twitter.com/f1Zj1T69BL
— Kim, Yi-Chul 🖖 (@kimarx) November 21, 2022
四天王寺聖霊会 長者の「祝詞」の声。いわゆる警蹕。お供えを手渡しで運ぶのも神道的な場面。そしてこの長者が物部氏の末裔で、1400年、今もなお四天王寺とかかわっておられるというのがスゴい。#四天王寺 #聖霊会 pic.twitter.com/WaWLCg54mz
— 中田文花 (@nakatabuncho) April 23, 2022
四天王寺はもともと物部氏の勢力圏にあったようで、物部氏に仕えていた人達は公人と呼ばれる四天王寺に仕えるようになりました(会社が吸収合併された感じ?)。
昨日訪れた聖徳太子展図録を眺めてる。図録では触れられぬが、最近刊行の河出文庫『四天王寺の鷹』で谷川健一氏は、守屋の奴が四天王寺の奴婢となりその末裔は公人と呼ばれ、その中の公人長者は聖霊会では欠かせぬ役柄であり、現在の長者として玉野・玉造両家をあげ、終章は聖霊会の光景で締めている。 pic.twitter.com/zIhU81cTNh
— 宇治の瀧屋 (@UYE6bd8Np9Necw1) January 4, 2022
亀石
写真❌なんですが、四天王寺には明日香にある酒船石と類似の亀石があります。藤原道長はここで手を洗ったという記録があるらしい。
こういう儀式って、仏教よりも古そうと思っていたけど仏教を伝えてきた百済にもあったようです。古墳も巨大な石を扱う技術の上に成立やけど🪨、こういうのは古墳時代の技術か、仏教伝来ぐらいまで時代が下るのかな。
水を使う儀式自体は古くて、石の置物が
バージョンアップ⤴️と考えるのが妥当なんかな。
仏像
太子が戦勝祈願のために木で彫った四天王を収めるために、建立された最初の官寺と伝わる四天王寺なんやけど、太子が活躍した飛鳥時代の仏様はエキゾチックな微笑みをたたえた金銅仏が主流。
1本の木➡️一体の仏様という作成スタイルは平安時代の初めに主流になりました。最澄や空海が作と伝わる仏像もあります。とすると、平安時代の木製の仏像に箔をつけるために太子作の話ができたんかな?これは質問したらよかったな。
(続く)