明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 

 

2022年11月24日、王寺町観光協会ツアーの続きです。八尾市を後に大阪市内の四天王寺に。

 

極楽浄土の東門

 

西側に鳥居があるところが、めっちゃ神仏習合。かつて、大阪湾がすぐそばまで迫っていました。この先にある西門は「極楽浄土の東門」=極楽門と呼ばれ栄えました。

 

 

現在でも春分・秋分の日には沈む夕日を見ながら浄土を思う日想観(極楽浄土イメトレ)が行われます(復活行事らしい)。

 

 

舎利出

毎日11時に金堂で行われる舎利出しに参加する予定でしたが、光蓮寺に寄り道して予定を変更。

 

 

この行事を毎日継続って、火事や災害が続いて何度も浄財を集めた四天王寺よ近年を歴史を思います。

 

 

台風

 

空襲

 

托鉢で再建を果たした「みんなのお寺」の表れなんやとさりぃは感じました。

 

ここで西山先生から

本物かもしれない仏舎利が日本にもある!

 

舎利はもともとはお釈迦様の遺骨を意味しますが、立派な舎利容器に入っているものは通常は水晶の玉などで、骨ではありません。

 

今回のガイドをしてくださった西山厚先生は奈良国立博物館で学芸員として、仏舎利の展覧会をされたようです。

↓かな。

 

その時の上司のコメントが「うーん、舎利は跳ねるからな。」びっくり展覧会関係者でけが人が出たりアクシデントが続いたようです。

 

日本にもおそらく、本物のお釈迦さまの遺骨(ご真骨というらしい)が名古屋の日泰寺にあります。

 

英国人によって明治時代にネパール国境に近いインドのジャングルで真舎利が発掘されました。真舎利の決め手は容器にあった古代文字の解明されたから。

 

 

インドはヒンズー教の国ということで(英国人のアイデアと言われています)、仏教国であるタイに送られ、それを日本がおすそ分けしてもらったものです。京都の妙法院に一旦、安置され、名古屋に新たにお寺を建立したらしい。

 

 

舎利塔の周りが立入禁止なので、人気スポットではないらしい。

 

日本人だけではなくインバウンドの聖地になるポテンシャルはあると思うけどな。

 

 

ここでも物部氏

聖徳太子を祀る聖霊院のそばに、物部氏が祀られています。

 

柵があって近くに行くことはできません。

 

↓そうかも。

 

 

四天王寺はもともと物部氏の勢力圏にあったようで、物部氏に仕えていた人達は公人と呼ばれる四天王寺に仕えるようになりました(会社が吸収合併された感じ?)。

 

 

 

亀石

写真❌なんですが、四天王寺には明日香にある酒船石と類似の亀石があります。藤原道長はここで手を洗ったという記録があるらしい。

 

こういう儀式って、仏教よりも古そうと思っていたけど仏教を伝えてきた百済にもあったようです。古墳も巨大な石を扱う技術の上に成立やけど🪨、こういうのは古墳時代の技術か、仏教伝来ぐらいまで時代が下るのかな。

 

水を使う儀式自体は古くて、石の置物が

バージョンアップ⤴️と考えるのが妥当なんかな。

 

仏像

太子が戦勝祈願のために木で彫った四天王を収めるために、建立された最初の官寺と伝わる四天王寺なんやけど、太子が活躍した飛鳥時代の仏様はエキゾチックな微笑みをたたえた金銅仏が主流

 

 

 

 

1本の木➡️一体の仏様という作成スタイルは平安時代の初めに主流になりました。最澄や空海が作と伝わる仏像もあります。とすると、平安時代の木製の仏像に箔をつけるために太子作の話ができたんかな?これは質問したらよかったな。

 

(続く)