12月8日、JR奈良駅から奈良交通の観光バスに乗って正暦寺参詣。

 

公共交通機関の駅から徒歩1時間以上かかるので観光バスありがたい。

 

奈良マラソンでは山の麓を走るようです。

 

紅葉

紅葉🍁は期待していたよりもきれいでしたおねがい

川に沿って参道があり、モミジが好きそうな立地です。

 

秘仏公開

本堂でのご本尊の公開が12月4日まで残念やと思っていましたが、ご住職の案内で宝物館(瑠璃殿)でご本尊を拝観ラブ

 

飛鳥時代の金銅仏で、お顔はエキゾチックで、降ろした足元には蓮の花が履物のよう↓

 

お厨子の中でしたが、間近で明るい状態で拝見させていただけてよかったニコニコご住職のお話も面白かった。

薬師如来に神社に祭るのは牛頭大王(もとは祇園祭を主催する八坂神社も牛頭大王)で京都的。

 

 

平安時代創建のお寺ですが、白鳳仏で大仏開眼の導師僧菩提僊那(ぼだいせんな)が請来したと書かれています。全盛期の藤原氏なので、そうであってもおかしくありません。

 

他にも、創建当初の仏様と推定される平安仏、天台宗的な額の狭い薬師如来(?)、そして大神神社(おおみわじんじゃ)の神宮寺、大御輪寺(今は大直禰子神社)から来られた日光菩薩(ケヤキ材の一木造)、月光菩薩(ヒノキ材の一木造)も。両菩薩は去年の奈良博でもお目にかかりました。

 

徳川時代に真言宗としましたが、浄土宗の道場など以前は様々な宗派が混在。その中で数々の火事、時には盗難を乗り越えたサバイバー仏さまがおられる宝物館。見ごたえがありました。

 

ご住職の言葉

「仏像の百貨店と呼んでください」

 

↓本堂は山の上で今回は訪問せず

 

屋根は2014年修復

 

歴史

一条天皇の勅願寺で、藤原兼俊(道長の兄弟)が創建。正暦は時の元号。枕草子源氏物語は一条天皇の時代の創作物です。

 

藤原氏のお寺だから元号使用かな。塔頭福寿院は江戸時代の再建ですが、お庭の借景や、屋根に京風が残っています。

 

一条天皇の時代に藤原氏は勢力を強めました。ご住職の解説によると藤原氏の氏寺、興福寺は内部抗争を避けるバッファーの役割を果たしていました。

 

キャパオーバーした興福寺を補うために正暦寺が建立。

 

 

 

平重衡(たいらのしげひら)の南都焼き討ち(1181年)の際に、興福寺から逃げた僧が正暦寺に逃げ込んだた、平氏が追いかけてきて巻き添えで全焼。逃げて込んでええのに!というご住職の言葉ですが、「命あっての…」と実践したんやろう。

 

その後、学問寺として再興されました。

 

室町時代に現代の清酒の製造法の基礎となった「諸白づくり」を確立。それまでの日本酒は白濁したドブロク。

 

伊丹市とうちのほうが先といっているのはこのお寺を中心とするグループなんや。

 

日本酒乾杯条例というのもありますが、こちらは京都が最初。

 

正暦寺の酒母は「菩提もと」と呼ばれ、日本酒ビジネスで寺は最盛期を迎えました。平成に入って寺は酒作りを再開。

 

 

福寿院でも販売していました。バスガイドさんにつられてさりぃも。

 

江戸時代は藤原氏の氏寺ということで徳川家からの「経済封鎖」を受けました。明治維新後は神仏分離、となかなか大変だったようです。

 

福寿院

客殿は重要文化財で、孔雀明王、狩野派の襖絵をゆっくり見る時間はなくて…

 

再訪したいんやけど、レンタカーかな。

 

(終わり)