12月8日、JR奈良駅から奈良交通の観光バスに乗って正暦寺参詣。
公共交通機関の駅から徒歩1時間以上かかるので観光バスありがたい。
#奈良マラソン2022#奈良マラソン
— 奈良女子大学 古代衣装同好会 (@nwukodaiishou) December 11, 2022
天平人グループ、応援参加しています!🏃♀️🦌👟 pic.twitter.com/4Xpji4dowM
奈良マラソンでは山の麓を走るようです。
紅葉
紅葉🍁は期待していたよりもきれいでした
川に沿って参道があり、モミジが好きそうな立地です。
秘仏公開
本堂でのご本尊の公開が12月4日まで残念やと思っていましたが、ご住職の案内で宝物館(瑠璃殿)でご本尊を拝観
正暦寺金銅薬師如来倚像:当寺の本尊(秘仏)。当寺は一条天皇の発願により、関白・藤原兼家の子・兼俊僧正が創建した由緒ある寺院だが、平重衡による南都焼討と応仁の乱で二度焼失している。 倚子にかける姿が特徴的な白鳳仏。 pic.twitter.com/f9TE8FVeN4
— 仏像紹介BOT (@butsuzobot) December 13, 2022
飛鳥時代の金銅仏で、お顔はエキゾチックで、降ろした足元には蓮の花が履物のよう↓
お厨子の中でしたが、間近で明るい状態で拝見させていただけてよかったご住職のお話も面白かった。
薬師如来に神社に祭るのは牛頭大王(もとは祇園祭を主催する八坂神社も牛頭大王)で京都的。
平安時代創建のお寺ですが、白鳳仏で大仏開眼の導師僧菩提僊那(ぼだいせんな)が請来したと書かれています。全盛期の藤原氏なので、そうであってもおかしくありません。
他にも、創建当初の仏様と推定される平安仏、天台宗的な額の狭い薬師如来(?)、そして大神神社(おおみわじんじゃ)の神宮寺、大御輪寺(今は大直禰子神社)から来られた日光菩薩(ケヤキ材の一木造)、月光菩薩(ヒノキ材の一木造)も。両菩薩は去年の奈良博でもお目にかかりました。
徳川時代に真言宗としましたが、浄土宗の道場など以前は様々な宗派が混在。その中で数々の火事、時には盗難を乗り越えたサバイバー仏さまがおられる宝物館。見ごたえがありました。
ご住職の言葉
「仏像の百貨店と呼んでください」
↓本堂は山の上で今回は訪問せず
正暦寺の紅葉
— あをによし (@aexcs) December 21, 2019
奈良市の #正暦寺 で本堂脇庭園の池に映る #紅葉 を眺める。 pic.twitter.com/aFhimUScu0
屋根は2014年修復
【清酒発祥の地"奈良" 正暦寺】
— 奈良朱雀ビジネス企画部 (@Cha2011Nara) November 1, 2014
🙏「本堂修復記念法要並びに式典」
が開催されご招待いただきました。
まもなく執り行われます🙏#奈良 #清酒 #正暦寺 #japan #nara pic.twitter.com/NT2WvgOhIt
歴史
一条天皇の勅願寺で、藤原兼俊(道長の兄弟)が創建。正暦は時の元号。枕草子や源氏物語は一条天皇の時代の創作物です。
藤原氏のお寺だから元号使用かな。塔頭福寿院は江戸時代の再建ですが、お庭の借景や、屋根に京風が残っています。
正暦寺
— mai (@m_ai201305) November 24, 2018
本堂も福寿院客殿も
仏像やらがいい感じに見えて
(多くのところは奥が暗くて見えなかったりするけど)
ゆったり時間が流れてよかった
ちゃんと 紅葉狩り した pic.twitter.com/NnTNfzx7sb
一条天皇の時代に藤原氏は勢力を強めました。ご住職の解説によると藤原氏の氏寺、興福寺は内部抗争を避けるバッファーの役割を果たしていました。
キャパオーバーした興福寺を補うために正暦寺が建立。
ざっくり言うと、
— スイシ🤘日本酒と日本茶に詳しくなるバー12/2🍶バーエデン難波 (@osencha_suishi) January 11, 2020
正暦寺を始め、興福寺、永久寺の奈良の寺は藤原氏のファームでもあった。
平安の都で政治に参戦する立場ではない藤原氏の息子たちは剃髪して寺に身を潜め、席が空いたら髪伸ばして上京し、政治のリングに上がる。
無駄な闘争を減らす仕組みでもあった。 https://t.co/XFraFUHAa9
平重衡(たいらのしげひら)の南都焼き討ち(1181年)の際に、興福寺から逃げた僧が正暦寺に逃げ込んだた、平氏が追いかけてきて巻き添えで全焼。逃げて込んでええのに!というご住職の言葉ですが、「命あっての…」と実践したんやろう。
その後、学問寺として再興されました。
室町時代に現代の清酒の製造法の基礎となった「諸白づくり」を確立。それまでの日本酒は白濁したドブロク。
伊丹市とうちのほうが先といっているのはこのお寺を中心とするグループなんや。
日本酒乾杯条例というのもありますが、こちらは京都が最初。
正暦寺の酒母は「菩提もと」と呼ばれ、日本酒ビジネスで寺は最盛期を迎えました。平成に入って寺は酒作りを再開。
4/n
— スイシ🤘日本酒と日本茶に詳しくなるバー12/2🍶バーエデン難波 (@osencha_suishi) December 13, 2022
正暦寺清酒祭 pic.twitter.com/zlEqZOoWXk
正暦寺乳酸菌、正暦寺酵母の働きにより造った酒母を使った菩提元純米酒 「鷹長」を買ってみました。 pic.twitter.com/Gpkis620nD
— すみれの言葉 (@sumire_gingetsu) May 22, 2022
福寿院でも販売していました。バスガイドさんにつられてさりぃも。
江戸時代は藤原氏の氏寺ということで徳川家からの「経済封鎖」を受けました。明治維新後は神仏分離、となかなか大変だったようです。
福寿院
客殿は重要文化財で、孔雀明王、狩野派の襖絵をゆっくり見る時間はなくて…
録画してた「イーヴォ・ポゴレリチ in 奈良 -正暦寺 福寿院客殿-」
— ゐぬ (@kenzoku_inu) March 26, 2018
情景、音…ステキでした~ pic.twitter.com/Nj2aVHvedW
再訪したいんやけど、レンタカーかな。
(終わり)