約一年ぶりの更新・・😂笑
先日長崎へ行ってきました✈️
旅の理由は、曾祖父へご挨拶がしたかったから☺️
もうこの世にはいませんが、
曾祖父の育った町へ行ってみたかったのです。
2015年、父方の祖母のお葬式の日。
そこで初めて、曾祖父の話を聞いた。
太平洋戦争中の長崎県調川町で、
当時調川駅の駅長をしていた曾祖父。
線路が脱線してしまい、その修復作業をしていた頃、
軍から、空襲に備えて灯火管制の指令が出された。
しかし、曾祖父は明かりを消さず、
夜もその作業に全うし、線路が修復した翌朝始発の電車に自ら飛び込んだ。
責任を取るために、亡くなった。
それから何度か、曾祖父のことを思い出し、
いつか曾祖父の生まれ育った町へ
行ってみたいと思っていました!
そして今年9月、ふとまた思い出し、
Instagramで検索してみると、
5年前から曾祖父の命日に慰霊祭を催してくださっている
神社のInstagramのアカウントが・・!
血の繋がりがあるわけでもない、
それでも曾祖父に寄り添ってくれてる人がいる
なんだか心が温かくなり、
お礼の手紙を書きました💌
これは行くしかない!と決断し、
長崎へ行くことを決めました!
称しょう碑にご挨拶
竹藪の中を進むと、
これは曾祖父が亡くなった2年後に、
国鉄の人が建ててくれた称しょう碑みたいです。
やっとご挨拶できました!!!!
この石碑の裏には、文章が書かれています。
長崎へ来る前、書かれた文章を調べて、
その一文ひとつひとつ、どんな意味があるのかを考えました。
死ぬことで責任を取るという古い考え方・・
悲しみと怒りが沸いてきて、
泣きながら、自分のノートに思いをまとめた。
今まで、祖母から戦争の話は何度も聞いてきましたが、
心が苦しくて、涙が止まらなくて、
ここまでしっかり戦争について考えて
向き合ったことは、初めてでした。
今の時代を生きる者として、
絶対に忘れてはならないこと✨
きっと曾祖父は、空の上から、
平和な世の中🕊を心から望んでいると思います。
曾祖父のことを多くの人に知ってもらいたいし、
二度とこの様なことが起きぬ世の中に
していきたいなと思いました😊





