
「NO CONTROL GRIZZLISM」(2005年7月28日/森チャック/作品集/マガジンハウス)グルーミーは可愛いだけじゃなく、作者の森チャックさんの哲学の象徴でもあります。
以下は
公式サイトからの引用です。
『人間と仲良くオテテつないで踊ってるクマさんのイラストがあるとします。
それってすごく
残酷な絵だと思いませんか?
熊は年間に何百頭と人間に殺されていると言ってましたが、そんな人間と手をつながらされてるんですよ、しかも笑顔で。
それは
「親をナチスに殺されたあげく、ヒトラーと手をつながされ、笑顔で仲良く踊らされてる」ようなもの。』
同じ文章の中で森さんも仰っていることですが、可愛らしい動物のキャラクターは所詮人間をターゲットとした広告です。これは良い悪いの問題ではなく現実であり、私たちは実際の動物たちとキャラクターたちを完全に切り離して考えています。だから多くの人は森さんのいうような残酷な意思は持っていないのでしょう。
しかし、そこにこそ問題がある。美化されたシンボルだけが流通し、動物たちの実体などもはや頭の片隅にもありません。可愛いければそれでいい。
シンボルには実体を覆い隠す作用がありますが、そのようなシンボルを簡単に受け入れてしまえるということは、実体を知らないどころか興味すらないということを示しているといえます。
人間はいつでも、他者の痛みにひどく鈍感です。とかく最近は無責任なアドバイスや批判が公共電波で流され、大きな事件や事故の目撃者たちは携帯で写真を撮りまくる。
もし人間が他者の痛みを自分のものとして受け止められるのなら、こんなことはありえないはずです。自分に関係のない出来事はみな抽象的なシンボルでしかないのです。今偉そうにわかったようなことを言っている私自身も、そういった人間のひとりであるにすぎないでしょう。
グルーミーは確かに、悪気なく残酷な振る舞いをする恐ろしい面をもっています。それは可愛らしい動物キャラクターと同じく熊という実体からかけ離れた、森さんのいう『残酷な絵』そのものです。
しかし同時に、忘れさられた、あるいは意図的に無難なものに置き換えられた残酷な現実に人々が蓋をすることを皮肉り、憤慨する。
だからグルーミーは、人間の意図を表現するために実体から離れることを強要されたツール=シンボルでありながら、そのような実体無視の現状を非難するという逆説的な存在なのです。そう考えると、可愛い顔して重い任務を担っているんだなぁと感服するばかりです。
あの暴力的なアニメーションを見て、私たちは「こんなのは暴力的でよくない」とこぼすだけでは偽善的ではないでしょうか。
確かに表現方法としては過激ですが、もし非難するのならあのアニメーションから受けた『痛み』は本来は一体誰のものだったのかを考えてみてからでなければ、説得力を持たないでしょう。

「いたずらグマのグルーミー ぼくにひろわれてよかった…?」(2006年4月30日/森チャック/絵本/ゴマブックス)
「森チャック スパルタ マッサージ」(2002年5月/森チャック/作品集/マガジンハウス)