最近公開された韓国映画、「ソウルの春」を観てきました。

 

1979年に韓国で実際に起きた軍事クーデターを元に、フィクションを加えて制作された映画とのこと。

 

 

クーデターは、陽が落ちてから次の陽が昇るまでの一晩のうちに行われたもので、

 

 

そのクーデターを描き出す本作は、従って、ほぼ全編で暗い夜間のシーンが続きます。

 

 

謀反を企てる側と、体制を維持せんとする側が、お互いに率いうる軍勢を最大限に活用しながらせめぎ合い、

 

 

一進一退の攻防を繰り広げる様は、とても緊張感があり、観るものを飽きさせませんでした。

 

 

万人受けする映画ではない、かもしれませんが、私はとても興味深く観ました。

 

 

なんといっても、隣国のことながら、私はほとんど何も知らないんだな、とつくづく思います。

 

 

プラハの春、またはもう少し最近では、アラブの春、などにあるように、

 

 

民主化へのうねりがその地域を覆う様子を指して、○○の春、という表現を使いますが、

 

 

今回は「ソウルの春」。

 

 

え?韓国って、そもそも民主主義の国ではなかったの??

 

 

この映画、私のような何も知らない人間ではなく、例えば韓国の方が観れば、きっと

 

 

抱く感想も全く違ったものになるだろう、と想像します。

 

 

ということで、自分の無知の恥を正直に告白して、私は元となった史実を全く知らずに観たわけですが、

 

 

それでも、見どころはたくさんありました。

 

 

今回のクーデターは、軍部の中にはびこる秘密結社「ハナ会」が先導します。史実だそうです。

 

 

軍という、上意下達が絶対の、指揮命令系統の本来はっきりした組織にあって、

 

 

その本来の上下関係とは異なる、「ハナ会」という別の繋がりが組織の中に入り込み、

 

 

「ハナ会」はやがてそれ自体が存在意義を見出し、軍にとって代わってしまおうとする。

 

 

それが、このクーデターの一要素となっています。

 

 

軍としての指揮命令系統と、「ハナ会」の中の立場、二つの軸の間で各々がゆらめき、

 

 

結果としてクーデターが予測不能の方向にふらふらと進んでいく様子が、映画の中では丁寧に描かれていきます。

 

 

私は、そこからつい自民党の派閥問題を思い起こしましたが、飛躍のしすぎでしょうか。

 

 

今、裏金問題のせいで首をすくめるふりをし、派閥が表に出ない、刷新された党に見えるように腐心しつつ、

 

 

結局は、次の総裁選の背景にもはっきりと派閥の論理が蠢いています。

 

 

自民党の「派閥って良くないからやめよう!」という話は、今に始まったことではなくて、

 

 

以前にも「もう派閥は全部解体したから、これからは○○派って呼ぶことにしよう」って言っていたことを、

 

 

どれだけの方が覚えておられるでしょうね。結局、いつの間にか「旧」はとれて、元の木阿弥。

 

 

今回の映画で、軍の公式な指揮命令系統とは全く関係のないところに人間関係が生まれ、

 

 

やがてそれが体制全体にも影響を及ぼしうるだけの大きな力を持ちうる、という様子を見るにつけ、

 

 

日本の与党においても、派閥の論理なんて所詮はムラ同士のケンカだし、どうぞ好きにやってください、と

 

 

言い切れない薄寒さを感じます。

 

 

あと、印象的なシーンは、クーデターを先導する側が大統領府に押しかけ、裁可を求めるシーン。

 

 

この裁可は、クーデターの正当性を主張するために必要不可欠なものであり、

 

 

大統領の裁可がなければ、クーデターは単なる犯罪行為になる。

 

 

双方ともに、裁可する・しないがどのような意味を持つかを十分に理解し、

 

 

その上でギリギリの攻防を見せる、非常に緊迫したシーンです。

 

 

シビリアン・コントロールの大切さと、難しさを思い知らされます。

 

 

文民統制なんて格好の良いことを言ったところで、血気盛んな軍人たちに詰め寄られ、

 

 

「ご裁可を!!!」

 

 

なんて叫ばれた日に、ほんの5分前まで平和に過ごしてきた文民大統領は、それを突っぱねられますかね。

 

 

映画の中での結末はここでは触れませんが、恐ろしいシーンの一つだと、印象に残ります。

 

 

ということで、ネタバレに配慮しつつ、感想を書いてみました。

 

 

私としては、とても興味深い映画でした。

 

 

サラピ