土曜や日曜の昼下がり、はたまた春休みや夏休みなどの、
いわゆる子どもが家にいそうな時期・時間帯に稀にくる行商人がいた。
ポン菓子屋である。
ポン菓子が何か知らないと言われたらよわるのだが、そこはこのネット時代である。
知らない方は検索していただきたい。
とにかく家で宿題をしていたり、テレビを見ていたらいきなり外から、
「ボーーーーーンッッッツ」
と爆発音がするのである。乳幼児が泣きだすのはここに書くまでもない。
けたたましい爆発音がするのだが、その恐怖とは裏腹に、私たち子どもたちは
ワクワクしながら親にお米をねだるのが常であった。
穀類膨張機というそうなのだが、見た目はほとんど大砲のように見える機械を
運んできたポン菓子行商人のお爺さんにお米とお金を渡すと、
ポン菓子を作ってもらえるのである。この出来立てあつあつのポン菓子の
素朴な美味しさは今でも忘れられない。
たまに昭和レトロを紹介する番組などでポン菓子が取り上げられるが、私の記憶では
京都市内では少なくとも2002年頃まではそうした行商人の方がいたのである。
お米が膨張したときに鳴る爆発音はおそらく今聞いてもなかなかの恐怖であるが、
それよりも恐怖だったのは美味しいポン菓子を作ってくれるお爺さんにも関わらず、
その方がかなりの無愛想であることだった。
私が住んでいた街に来てくれたポン菓子屋の御主人は、何らかのハンディで
人と会話を一切することがなく、「米〇合 ○○圓」と書かれた木の札を指さす
だけであったのだ。
お米とお金を渡すと黙々と作業をし、ポン菓子ができたらそれを袋に詰めて
無言で渡してくれる。
その無言が妙に子供には恐怖であった。
京都でなくても平成初期であれば、穀類膨張機をひいて歩いていたポン菓子の
行商人がいたのかもしれないが、今となってはこれも語り草の昔の京都の話である。