土曜や日曜の昼下がり、はたまた春休みや夏休みなどの、

いわゆる子どもが家にいそうな時期・時間帯に稀にくる行商人がいた。

ポン菓子屋である。

 

ポン菓子が何か知らないと言われたらよわるのだが、そこはこのネット時代である。

知らない方は検索していただきたい。

とにかく家で宿題をしていたり、テレビを見ていたらいきなり外から、

 

「ボーーーーーンッッッツ」

と爆発音がするのである。乳幼児が泣きだすのはここに書くまでもない。

けたたましい爆発音がするのだが、その恐怖とは裏腹に、私たち子どもたちは

ワクワクしながら親にお米をねだるのが常であった。

 

穀類膨張機というそうなのだが、見た目はほとんど大砲のように見える機械を

運んできたポン菓子行商人のお爺さんにお米とお金を渡すと、

ポン菓子を作ってもらえるのである。この出来立てあつあつのポン菓子の

素朴な美味しさは今でも忘れられない。

 

たまに昭和レトロを紹介する番組などでポン菓子が取り上げられるが、私の記憶では

京都市内では少なくとも2002年頃まではそうした行商人の方がいたのである。

 

お米が膨張したときに鳴る爆発音はおそらく今聞いてもなかなかの恐怖であるが、

それよりも恐怖だったのは美味しいポン菓子を作ってくれるお爺さんにも関わらず、

その方がかなりの無愛想であることだった。

私が住んでいた街に来てくれたポン菓子屋の御主人は、何らかのハンディで

人と会話を一切することがなく、「米〇合 ○○圓」と書かれた木の札を指さす

だけであったのだ。

お米とお金を渡すと黙々と作業をし、ポン菓子ができたらそれを袋に詰めて

無言で渡してくれる。

その無言が妙に子供には恐怖であった。

 

京都でなくても平成初期であれば、穀類膨張機をひいて歩いていたポン菓子の

行商人がいたのかもしれないが、今となってはこれも語り草の昔の京都の話である。

 

左京区の奥地というと語弊があるかもしれないが、

京阪三条駅から叡山電車に乗り換え終点まで行くと、

八瀬比叡山口という駅がある。

この駅、昔は八瀬遊園駅という駅名であった。

比叡山の入り口のような場所に昔は八瀬遊園、もりのゆうえんちと言う

叡山電車が経営していた遊園地が存在した。

 

遊園地とは言っても、私の記憶では夏に行ったことしかなく、

遊園地というよりそこに付随するプールがお目当てであったかと思う。

夏の京都がどれだけ暑いかは私が語らずともよいのだが、

兎にも角にも泳げない、かなづちであった私でさえ、

子どもの頃は親にプールに行きたいだの海水浴に行きたいだの、

とにかく水に触れたい一心になるくらいの酷暑の夏の京であった。

 

世紀末の頃の京都ですらその暑さであるから、今の京都の暑さなどは……

 

遊園地そのものが京都には数少なかったが、八瀬遊園のプールはとにかく

京都市内屈指の広さがあり、もりのゆうえんちと言うよりももりのプールと

言ったほうが正確であるように今となっては思える。

親にせがんでいった八瀬遊園のプールであったが、浮き輪が無くては泳げない

自分のプールでの記憶は、よく溺れたということくらいしかない。

 

それはさておき、八瀬遊園の遊具のほとんどが、電化されていなかったように

私は記憶している。いわゆる、自転車のペダルを自分で漕いで動かすタイプの

遊具が大半ではなかっただろうか。

はるか東の果てではディズニーランドが既に存在し、京都からほど近い枚方には

ご存じ、ひらかたパークがあったような時代にまさかの人力に頼った遊具が

大半を占める遊園地……

 

それでも、父や母とともに一生懸命ペダルを漕いで様々な遊具を楽しんだ記憶は

良い思い出ではあるのだが、恐ろしいことにペダルを漕いだ記憶しかなく、

具体的にどんな遊具であったかはどれ一つとして覚えていないのである。

 

八瀬遊園、もりのゆうえんち。2回ほどしか行ったことはないが、それでも

遊園地が現在。京都市動物園の中に小さなものくらいしか京都市内に残っていない

ことを思えば、貴重な記憶なのだろう。

 

【八瀬遊園 もりのゆうえんち】

京福電鉄の子会社であった叡山電車が1964年に開業。

2001年に閉園し現在はリゾートホテル、エクシブ京都八瀬離宮となる。

 

 

生まれも育ちも京都市内、就職して気が付いたらなぜか東京に来てしまい早10年近く。

仕事に追われる日々の中で、たまに思い出されるのは平成初期の京都のことばかり。

というのも、私自身が平成1桁生まれであり、幼少の頃の記憶と言えば

世紀末から2000年代の京都ということになるのだろう。

 

まだ三十路の私が言うのもおこがましいのかもしれないが、私が知っている範囲の

「昔の京都」には今に無い様々な趣深いものがたくさんあったなと思う。

比叡山に行けばスキー場があり、伏見に行けばお城が主役の遊園地があり、

これまた八瀬にはほぼプール目当てでしか行かない遊園地があり、

路面電車かと思って乗った電車は山岳鉄道かの如くはるばる比叡山を越え琵琶湖まで行き、

河原町にはネオンと映画館の大看板が並び、ポン菓子・菓子パン・野菜・魚・包丁研ぎなどの行商人が

洛中を行き来していた。

 

昔の遠い京都の記憶を東京でボーッとしているとよく思い出すようになったが、

ひょっとするとこの記憶は何かしら文字で残しておくと、後世、誰かにとっての何かの話のネタくらいには

してもらえるかもしれないと思い、ブログを始めようと思い立ち。

 

平成初期から中期の京都の私の記憶を文字化するだけのブログです。

もし私の記憶違いで、ここは歴史的事実として誤っているなどあれば、

コメントで教えていただければ幸いです。