疲れると無人島探しをする吉田です。
子どもが宿題を忘れたとします。
そこで、これに対峙する大人の言葉は概ね二択です。
A:「ちゃんと宿題をやりなさい。そうしないと、テストでいい点取れないよ!」
B:「次はちゃんとやってこようね。そうすれば、次は前回のテストよりもいい点が取れると思うよ!」
子どもが演習でちょっとしたミスをしたとします。
A:「こんな簡単な問題をミスしてはダメ。だから、テストでも点数が悪いんだよ!」
B:「ちょっと油断しちゃったね。でも、このミスしちゃったという経験がテストでは生きるから大丈夫!」
子どもが友達とささいなことで喧嘩をしたとします。
A:「なんでそんなことをしたの。そんなことをしていたら、みんなに嫌われちゃうよ!」
B:「喧嘩はよくないね。でも、してしまったらその後が大事で、お互い反省して、また仲良くできるようにしようね!」
返す言葉の見本はこのような感じでしょうか。
いくら大人であっても、言葉の先に起こる正確な近未来は的確には予想できません。
しかし、今失敗してしまった子どもに対して「こうなってほしい」という近未来を想定して、薬となる今の言葉を発することが大切ではないでしょうか。
子どもがしてしまった出来事はもう覆ることはなく、あとはこれのフォローやリカバリーに考えを向けることになります。
すでに子ども時代を終えた大人に、「子どもの気持ちを理解して」は簡単なことではないと思いますが、私たち塾人は、この「子どもの気持ちを理解する」ための努力をし、また子どもにとってのベストやベターな着地点を想定した声がけを行わなくてはいけません。
また、子どもたちの「自立」をサポートして、しっかりと自分の足で立ち、そして自分の人生をしっかりと歩いていけるように、「自立」するためにはどのように背中を押すべきかも指導者のスキルの一つと言えます。
間違えてはいけないのは、これは甘やかすということではありません。その子の経緯に即し、叱るという選択肢に迫られた時、サクセスゼミナールでは正しい姿勢をもって叱ります。歯止めの役割をする叱るという行為は、これがあるからこそ認める、ほめるという行為が成り立つと考えています。
表題にある通り、子どもの失敗について、この経験を生かしてどのように学んでほしいのか、反省のない繰り返しの失敗についてどの強度での叱りを与えるのか、いずれにしてもそこには計算が求められます。
塾生たちには、私たちのこのような思いや考えが、いつか大人になったときにでも気づいてもらえたならうれしいことです。
着地点は明日にも、来年にも、そして未来のどこにでもあるものなんです。
PS:最近になって無へのあこがれがあるからこそ、無人島へのあこがれが芽生えたのでしょうか。
真剣に探してしまう時があり、自分でも困っています。