10代20代の時は空気のように扱われる軽い存在の自分が嫌だったけれど、人間のベテランといえるくらいの年齢になってそれがとても楽だと思うようになった。
もちろん重要な人物でありたいという願望はないわけではないけれど、他人から執着されるところの知人たちの苦労を知ると、気にされないとはなんと楽なことだろうと感じる。もちろん家族ができて気持ちに余裕があるから言えることかもしれないが。
私にとって誰かと付き合ったり結婚したりというイベントは待っていれば勝手に降ってくるものではなく、自分から行動しつかみ取りにいかないと手に入らないものだった。
息を吸って吐いてるだけで引く手数多の友人を若いときは羨ましく思っていたし、誰からも必要とされない自分が惨めで寂しくて早くいなくなりたいと思うくらい切実に悩んでいた。
でも誰からも気に留められないということは自由でもあって、生命の危険を感じることも他者から理不尽な狂気を向けられることも少なく、安寧な日々を過ごしたい自分にはうってつけの役割だ。
SNSで素敵な家に住み、素敵な家族との暮らしを公開してる大変私好みの美人さんが、誹謗中傷に対して訴訟を起こすと言っていた。
生活を公開しているだけで誹謗中傷の数がものすごいやってくるというのは、どんなにストレスだろう。もちろん良い反応がほとんどだと思うが、悪い言葉は印象に残ってしまうし10件褒められても1件の誹謗中傷でその日が台無しに思えるくらい傷つくかもしれない。
人にはそれぞれの地獄があるというけれど、注目を集めて影響力を持つことによって味わう地獄は私には耐えられそうにないし、地球の片隅でささやかに生きて、いなくなったらすぐに忘れられてしまうくらいが自分にとっては幸せだと思う。