Healerの咲耶です。

 

「咲耶はどんな人?」について書いています。

 

今日は高専時代に培った「出来て当然」の後遺症について少し。

 

実家の家業が強電の電気工事業(個人経営の小さな会社)だったので、本当に小さな頃から自分で卵焼きを焼いたり、目玉焼きを焼いたり、スクランブルエッグを焼いたり、アイロン掛けしたり、ミシン掛けたり、編み物したり、ボタン付けしたり、給食袋洗ったり、上履き洗ったり、選択干したり、畳んだり、布団干したり取り込んだり。。。と家事全般を幼稚園の年長くらいから始めているような家庭でした。姉妹が何人かいるのですが、同じ年齢でもできる人できない人は当然いてばらつきがあり、段取り力ですとか、効率化、人への指示、指導が他の過程の子女よりは勝っていたように思います。

そのお陰もあり、高専で女子寮生活を送る上では何かと重宝もし、睨まれる対象ともなり、「女子寮の寮母さんのようね。私いなくても大丈夫そうで安心だわ。」と本物の寮母さんに任される(先輩のメンツまるつぶれ)というなかなかシュールな女子寮生活を送りました。中には張り合う方もいらっしゃり、張り合う理由が分からない私は混乱するばかり。その方は1年で退寮されちゃいましたけど。

 

まぁ、そんなこんなで割と何でもこなす見事な器用貧乏に育ち、高専という特殊な環境(元は通信士養成学校でしたので船の通信士さんを沢山排出していました)では、船の上で電気関係のもの(無線機、TV、ラジオ・・・・扇風機に至るまで)の修理は通信士だったそうで、「通信士=なんでもできる」から、「高専生ならこれくらい出来て当然」のような不文律がある校風でした。

 

そのお陰を持ちまして、目出度く高専を卒業した後も、技術系のことであれば初めて見たものでも扱えるはず「出来て当然」の志の下日々技術力を上げていったのであります。それは、ソフトウェア業界に移動してからも変わらなかったため、まぁ、こまごま色々と覚えさせていただきました。

 

そのお陰をもって、周囲の女性陣とは話が全くかみ合わず、男性には怖がられ、とても窮屈で寂しい社会生活を送らせていただきました。

 

最近になって知ったのですが、我が家の両親は栃木県の田舎出身なので、感覚が10年くらい古く、一般常識も古典に則っておりましたので、男女雇用機会均等法施工後の世界では、なかなかに複雑な思考回路を育てることとなりました。

 

今日はちょっと長くなってしまいまして、すみません。